かの悪役に ――エンドロールの向こう側へ愛を込めて
ららしま ゆか
かの悪役に ――エンドロールの向こう側へ愛を込めて
「食物語」というソシャゲをご存知だろうか。
「食物語」は中国発の癒し系料理擬人化RPGである。
本国版は二〇一九年、日本版は二〇二〇年にリリースされた。
癒し系を
物語は、主人公(=プレイヤー)の日常が破壊されるところからはじまる。
食神を父に持つ主人公と、その家族である
そこへ
絶望の只中の主人公に、たったひとり残った食魂が居た。食物語の表紙の内側で長い間眠っていたという、
これが「食物語」序章のストーリーだ。
なんのことはない、ありきたりなストーリーだと思われるだろうか。実はわたしも、はじめはそう思っていた。しかし、メインストーリーを一章、二章と進めていき、三章を読み終えた頃には、わたしはすっかり「食物語」の沼にハマっていた。
一体なにがわたしを惹き付けたのだろう。
答えは簡単、易牙という男のせいである。
食物語には、一〇〇を超える魅力的な食魂が登場する。もちもちとしたほっぺのかわいらしい少年から正統派の長髪イケメン、規律正しい風紀委員タイプの青年や男の娘、女性慣れしていないおじさまに、お茶目なおじいちゃんまで、多種多様だ――今まで言及しそびれていたが、食魂は全員男性である――。
勿論、食魂の中にも推しは居る。居るのだけれど、真っ先にわたしの心臓を握り潰す勢いで掴んできたのは、易牙という男だったのだ。
もしかしたら、易牙という名前に聞き覚えがあるひとが居るかもしれない。易牙は春秋戦国時代の中国に実在した料理人で、その名前は「
「食物語」の中の易牙は、狡猾で執念深く、目的のためなら手段を選ばない男として描かれている。作中では他にも、傲慢、愚昧、貪欲、卑怯、穢れた外道と、散々な言われようをしている。
易牙という男は、きっと多くのプレイヤーからは
そんな易牙のことを、何故好きで居続けているかというと、それが実はよくわかっていない。けれど、嫌いになれない理由については、幾つか思い当たる点がある。
易牙は普段、宴仙壇――今更の解説となるが、宴仙壇とは主人公と敵対する組織である――の管理人として、主人公が空桑に呼び戻したい食魂たちを勧誘して回っている。
メインストーリーの二章では、易牙はある食魂を宴仙壇に勧誘する。その食魂は
易牙は物語の端々で暗躍し、主人公を追い詰めていく。易牙が最も主人公を窮地に追い込んだのは、先述の易牙が主人公を刺し殺したシーンだろう。
宴仙壇と空桑の面々が全面対決となった
主人公はこのあと幽冥司に落とされ、生者とも死者ともつかない存在となってしまう。主人公は幽冥司で、自らの出生の秘密を知ることになる。実は、主人公の出生には、易牙が深く関わっている。しかし、易牙はおそらくそのことにまったく気が付いていない。主人公の出生については、語ると長くなるのでここでは触れないでおく。ただひとつ、易牙の
この易牙、はじめは小物感のある敵という位置付けでしかなかった。ストーリーの中ではそのように描写されていたし、きっとプレイヤーの誰もがそう思っていたはずだ。少なくとも、わたしはそう思っていた。物語の佳境を迎えるまでは。
主人公が幽冥司を彷徨っている最中、易牙は密かにある男と会っていた。物語の序章で、易牙とともに空桑を襲撃した人物だ。易牙はその男に生命を救われ、復讐の願いまで叶えられたという。易牙は、「貴方様を助けることは、私自身を助けることでもあります故」と語る。ものすごく意味深である。
このシーンをはじめて目にしたとき、なんとも言い
端的に言ってしまおう。
わたしたちプレイヤーが易牙だと思っていた人物は、実は易牙ではなかった。
文字通りの意味である。
わたしたちプレイヤーが易牙だと思っていた人物は、実は易牙ではなかった。
この事実を知ったとき、わたしは勿論混乱した。ちょっとしたパニック状態である。じゃあ、じゃあ、わたしが今の今まで
それを説明するには、少しだけ易牙の過去について触れる必要がある。少し長くなるかもしれないが、お付き合い頂きたい。
また、これから語ることは、わたしの個人的な解釈が含まれている。なるべく客観的であるよう努めるが、留意して欲しい。
今から千年前――易牙は、現世での生を全うしたあと、
天の料理人となった易牙の生活は、順風満帆とは言い難かった。易牙は、生前のある行ないによって、周りの神仙たちから
時は流れて――枯無は空桑の管理補佐役に任命され、易牙は九重天を出て人間でも幽霊でもない半端な存在となっていた。そんなふたりが久しぶりに再会し、酒を酌み交わす。その場で事件は起こる。易牙は恩人であるはずの枯無に刃を突き立てるのだ。そして、枯無の身体を乗っ取ってしまう。
本物の易牙は、「食物語」の序章以前から主人公の近くに居たのだ。空桑の管理補佐役・枯無として――。
ここまで語っても、疑問はまだ残っているはずだ。
主人公の前に現れた〝易牙を名乗る男〟は、一体誰なのか?
それを説明するには、再び昔話をしなければならない。時代に翻弄され、食神に怨みを募らせた男の話だ。
これから語ることも、個人的な解釈が多く含まれている。メインストーリーで明かされた断片的な情報から考察し、点と点を繋げたものだ。この事柄について、別のプレイヤーはまったく異なる見解を持っているかもしれない。妄想と幻覚が多分に含まれているであろうことをご了承頂きたい。
清の時代のことである。
あるところに、食神を篤く信仰する一家が居た。
彼らは慎ましくも日々を懸命に生きていた。しかし、その暮らしはある日を境に一変する。彼らの住む村が飢饉に見舞われたのだ。一家は毎日懸命に食神に祈りを捧げた。しかし、食神からのご利益はなく、家族はひとりひとりと餓死してしまった。近隣の住民たちも自分たちのことで精一杯で、彼ら一家を助けてくれるものは誰も居なかった。
当時の人間界はひとびとの怨念に満ち、食魘が次々生まれ非常に危険な状態だった。食神である主人公の父は、このとき食魂たちと戦いに参加し人間を助けていた。食神が彼らの元へ駆けつけたときには、若い男ひとりしか生き残っていなかった。しかしその男も、水も食べものも間に合わずにそのまま餓死してしまう。男は、食神を怨みながら死んでいった。
けれど、そんな男に手を差し伸べる者が現れる。易牙である。
そう、易牙なのである。
ここでひとつ、思い出して欲しいことがある。「貴方様を助けることは、私自身を助けることでもあります故」という台詞だ。これは、易牙が枯無に向けた言葉である。この場面での枯無は、先述の通り易牙が身体を乗っ取っているので中身は本物の易牙だ。ならば、枯無と会話する、易牙の姿をした人物は――。
主人公の前に易牙として現れた男こそ、この〝食神を憎む男〟なのである。
易牙は、この男を自身の傀儡にする。この男が味わった絶望――飢餓を世界に蔓延させることを条件に、易牙の姿と過去の性格を模倣させたのだ。
易牙は彼に〝丁戊〟という名前を与える。これは、飢饉の年号から取ったものであろう。「食物語」の中で描かれた飢饉は、現実の出来事とリンクしているとわたしは考えている。その飢饉は、丁戊奇荒と呼ばれている。実際に発生した
ちなみに、「食物語」の作中での丁戊奇荒は、易牙が引き起こしたものである。
易牙に利用され、けれど自らの意思で悪事に手を染めた丁戊。
わたしが好きになったのは、かつての易牙であり、丁戊でもあったのだ。
だったら本物の易牙のことは好きじゃないの、って?
そんなわけはない。
このあと易牙(勿論、本物の)は、丁戊の肉体――易牙の姿をした身体から丁戊の魂を追い出して融合、魔化易牙なる存在へと至る。日本版「食物語」におけるラスボスである。
主人公一行は魔化易牙との死闘を繰り広げる。文字通り、生命を掛けた闘いだ。
主人公の猛攻を受け、易牙は命乞いをする。そして、悪魔のように囁く。「この世界のあらゆる極悪人に、生き地獄を味わわせてやるのだ。そのために、お前の身体を差し出せ!」と。この甘言に、なんと主人公は揺らいでしまう。長い旅の中で見聞きした数多くの苦難や無念の思いが胸に蘇ったからだ。しかし、主人公は復讐心を振り払い、易牙にとどめを刺す。
易牙の最期は呆気ない。肉体は断末魔とともに砕け散り、その破片からはどす黒い霊魂が吹き出す。霊魂は主人公の肉体を奪おうとするが、主人公はそれを弾き返し、逆に霊魂を掴んで握り潰すのだ。そして、二度と三界に現れないよう、易牙は完全に消滅させられる。
このあと、日本版「食物語」のメインストーリーは大団円を迎える。易牙という最大の敵を倒し、主人公は空桑の平和と大切な家族を取り戻す。後日談ともいうべきこの物語を眺めながら、わたしは複雑な心持ちになった。
だって、最愛の推しが死んだのだ。
ただ死んだだけではない。永遠の消滅である。
全部で一四章あるメインストーリーを、リリース当時からずっと追い掛けてきた。幾多の困難と悲しみを乗り越えてきた主人公が仲間と迎えたハッピーエンドには感動したし、誇張でなく涙を流した。この結末は当然だと思う。
それでもわたしは、易牙のことが好きなのだ。
たしかに易牙はとんでもない極悪人だ。作中で言及されている通りの卑劣漢の、一体どこに惹かれる要素があるのかと、あなたは
易牙は、涼やかな目元に長く艶のある黒髪が特徴の男性だ。少し独特で湿度高めな声による喋り口はどこか芝居がかっていて、野心にあふれ日夜奸計を巡らす易牙そのものだ。外見も声も易牙の魅力で、どちらもわたしは大好きだ。けれど、わたしが最もかわいいと思うのは、悪辣なのにとても人間味にあふれているところなのだ。
丁戊の演じる易牙の小物感漂う振る舞いは勿論、本物の易牙の、最後の最後で命乞いしちゃうところ。それだけではなく、しっかり甘言を弄してちゃっかり起死回生を狙うところ――。わたしには、それらすべてがかわいく思える。
易牙は我欲のために食神の座を狙い、悪逆無道の限りを尽くした。その最期にだって同情の余地はない。けれど。
わたしは、この愚かな男のことが愛おしくて仕方がない。
だって、「食物語」は易牙の存在なしには物語ることが出来なかったのだから!
日本版「食物語」は、惜しまれつつも二〇二三年にサービスが終了した。同年に本国版が、シンガポール・マレーシア版とグローバル版も二〇二五年にサービスが終了し、サービスが継続しているのは台湾版だけとなった。
ファムファタルは、中国語で蛇蝎美人というらしい。
易牙という男にこれほど似合いの言葉はないだろう。
最後に、易牙にこの言葉を贈ろう。
「食物語」の中で主人公が易牙に向けて放った台詞の中で、わたしが最も印象に残っているものだ。そしてこれは意外にも、わたしの易牙への感情とも重なる。わたしの中で未だ燃え続ける感情を、この言葉に託したい。
「あなたを絶対に忘れない……絶対に許さない、そして絶対に助けない! 永久にだ!」
かの悪役に ――エンドロールの向こう側へ愛を込めて ららしま ゆか @harminglululu
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