王都編

プロローグ

 部屋は静まり返っていた。窓辺に立つ人物の背中越しに、薄暮の光が沈みかけた空を照らしている。

 長く伸びる影が床に落ち、机の上に置かれた古びた懐中時計がほのかに鈍く光った。

 誰のものとも知れぬその時計の蓋が開かれている。古い細工の針が、時を刻むかすかな音を響かせていた。


「……来たか」


 静かな声が室内に落ちた。すぐに扉が控えめに叩かれ、返るのは低い声ひとつ。


「報告します」

「入れ」


 扉が開かれ、一人の影が静かに部屋へ踏み込む。動きは無駄なく静かだ。


「例の件、進展がありました」


 そう告げる影に、窓辺の人物は振り向かず答える。


「……どこまで、だ」

「北東の辺境より王都へ。すでに街中での所在を確認しております」


 しばしの沈黙。

 指先が懐中時計の縁をなぞる微かな音だけが、部屋に響いていた。


「それで?」

「しばらくは様子を見ます。ただ……」


 影は言葉を選ぶように、一瞬だけ間を置く。


「……ここまでやる必要があるとは思えません」


 その言葉に窓辺の人物がゆっくりと振り返る。その眼光には鈍色の光が宿っていた。


「その判断をおまえに任せたつもりはないが?」

「申し訳ありません」


 頭を下げる影を一瞥し、また窓の外に目をやる。

 沈黙を破るように懐中時計の蓋が閉じられた。


「このまま見届けよ。決して眼を離さず」

「承知しました」

「何が見えてくるかはわからん。だが、行く先々に波紋が生じることは避けられまい」

「……波紋を?」

「すでに起きている。静かなる波紋だ」


 影は深く頷き、軽く頭を垂れる。


「心して参ります」

「よい」


 扉が音もなく閉ざされ、再び部屋に静寂が戻る。窓辺に立つ人物は、沈みゆく陽を見つめたまま、独りごちる。


「もしや、あれもまた……ひとつの歯車か」


 静かに、懐中時計が手のひらの中で時を刻んだ。

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