あなたと0なんて

菜野りん

1

エアコンの風でチリン、チリン、と風鈴の音がする。

どうやら誰かが持ってきたらしい。

隣にラムネの空き瓶と、季節外れなココアの缶が転がっていた。

この部室にはバラバラとものとごみが混在している。

折れたドラムスティック。ケーブル。メガホン。…音のなるおもちゃ?

このガラクタだらけの場所でも、心地よく思えた。


遠くから聞こえる蝉の声。

そしてこの風鈴の音。

そう、これらは全部、夏の音。

目を瞑ると、本当によくわかる。


そのざわめきを小耳に挟みながらも、私の全神経はレイに向いている。


レイ。


きめ細やかな真っ白な肌と長い手足。

ツヤツヤとした短い黒髪がかすかに揺れ動いていた。

少しつった目元に、蝶のような美しいまつ毛が影を落とす。


「…レイ。」

「…ん?どした、ユウ。」


レイの大きな黒目がぎょろり、とこちらを向いた。

鱗粉が舞う。幻覚を見た。


思わず声をかけてから、何も言うことがないことに気がつく。

慌ててほおをかく私をレイがじっと、見ていた。


「何弾いてるの?」

「んー…何ってこともない。アコギに触ってたいだけ。」

「ふーん。」


レイはまた視線をギターに戻し、ジャーン、ジャーン、と音を立てた。

残念ながら、私にはこの音がなんなのかわからない。

絶対音感なんてすごいものは望まないけど、もう少しわかりたい。

コード、とか。カノン進行、とか。


私とレイは見ている景色が違うんだろうな、なんて大袈裟に思ってしまう。

きっと、近づききれないのだ。私は。

そうか、結局レイの世界にいけないのか。

夏休みが始まって早々、私は呆然と絶望している。


でも、同時に理解してもいる。

本当は近づく手段なんていくらでもあること。

私は多分、彼女をぼんやりと眺めていたいんだ。

きっと何も知りたくない。

遠目から見れば美しい絵画の、近くで見たときに見えるひび割れを、私は受け止められないんだ。多分。


ふうっとため息をついて、私はペンを持つ。

どうせ暇だからと開いたノートは、未だ真っ白である。

結局、音楽など何も知らない私が、なぜいつも軽音部室に居座っているかと言うと、レイの誘いがあったからだ。


軽音部は一バンドで一部屋使うシステムなので、弾き語りをするレイは一人。

二つ隣り合った部室があると言うのに、レイのいる木曜日は偶然隣は使われてなかった。


『ねえ、ユウ。よかったら一緒にいてくれない?』


あの時すごく心が躍ったのを覚えている。

驚きと、言葉になんてし難い高揚感。

アニメだったら、きらんっと目が光っただろうな。

本当に夢みたいだと思った。


友達の多いあのレイが、わざわざ私を誘ってくれたんだ。私を選んでくれたんだ。

そのことが叫びたくなるくらいに嬉しかった。


レイの声が少し掠れていた。


「ねえ、ユウ。もし、私がいなくなったら…」


ふと、レイは憂を帯びた瞳でアコギの縁をなぞった。

レイの息を吐く音が聞こえる。


「…え?」


レイがこちらに視線を向けた瞬間、レイの輪郭がぼやけて溶けていった。

目の部分が黒く窪み、口が、何かを言っていた。伝えようとしていた。

私は思わずあとずさる。レイに何が起きているの?


「ユウ、ユウ…」


レイがどんどん溶けて、タールのようなどろっとした液体に変わっていった。

私は部室のドアを開き、階段を落ちるように降りていく。


「い、いやあああああっ!!!!」

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