花に願いを

水月 莉羅

母へ贈る

「花が好きだった。」

母についてついて聞かれて思い浮かぶのはこのことだけだ。

私が生まれるずっと前、母がまだ若かった頃には花を求めて各地を旅したこともあったのだそうだ。

けれど10年前から病気で目覚めなくなってしまった母について、私が思い出せるのは花束を抱えて立つまばゆいほどの笑顔、の他には病院のベッドに横たわり目を開かない無表情だけだ。


「お母さん、久しぶり。今日はハナニラを持ってきたよ。」

けれど変わらず母の顔は険しく、無機質な部屋の中にはただ秒針の音だけが響いていた。

「お母さん、私ね、来年から一人暮らしすることにしたの。だから、もう、あまりこれないかもしれない。」

ハナニラの花言葉は〝悲しい別れ〟

「お母さんが元気だったら引っ越しても電話とかメールとかできるのにな…」

そんな考えても仕方ないことを考えてしまう。母が病気で不安や寂しさを抱えているなんてことを周囲に相談することができないためか母の見舞いに来るたびに弱音を吐いてしまう。

弱気になっていても仕方ないと自分に言い聞かせ、そしてまた見舞いに来れる日を心待ちにするのはいつものことだ。

「引っ越す準備もあるしなかなかこれないと思うけど、夏が終わる前にはまた来るね」

そして、弱気な自分を見せないため、周りに心配をかけないために気合を入れる。口角を上げ、背筋を伸ばして「わたし」をつくる。


普段は人が入らない母の部屋も週に一度は掃除をしている。母の部屋と私の部屋の掃除は私の担当だ。

窓を開けると心地のよい風が入り込んできた。

「ふぅ、こんなもんかな」

「わっ…!」

窓から強風が吹き込んできて、紙の山の中からメモが飛び出てきた。

「なにこれ。『リミネースの生息地は…』って破れてるし…リミネースって何?」

まあ、きっと母のことだから花の名前なのだろうと納得する。

聞いたことのない名前だけれどお花屋さんに売っているのだろうか。母が探してた花なら引っ越す前にお見舞いに持っていきたいなと考え、病院までの道中にあるお花屋さんに電話することにしようと結論づける。

「もしもし、すみません。リミネースって販売されてますか?」


どこにもないなんて一体どういうことなのだろうか。

母がメモを残すような花なのだから、あまり知られていない花だろうとは思っていたけれど、まさかどの店にもないだなんて想像もしていなかった。

「メモに書くくらい思い入れのある花なんだったら持っていってあげたいなぁ…」

母は、探していた花を見つけても特別気に入ったものでなければ枯れるまで飾って楽しむのみだった。そんな母がメモに残すということはきっと大切な花だったのだろう。


「おはよっ!」

「あ、うん、おはよう…」

いつものように幼馴染の悠葉が声をかけてくる。

「どうしたの?元気ないけど」

「リミネースって知ってる?」

「なにそれ?」

「聞いたことないよね?お母さんの部屋を掃除してたらでてきたメモに書いてあったんだけど…」

「ふーん、それで?」

悠葉はあまり興味のない様子だったのでリミネースが花の名前であること、花屋においてなかったことなどを手短に伝えた。

「お母さんが気に入っていた花だから気になるし、私も探してみようかなって」

「夏椛ってほんっとお母さんのこと好きだよね」

呆れたように悠葉が言う。

「えー普通でしょ」

「ってか本当にリミネースって花あるの?聞いたことないけど」

「いや、わかんないけど…」

私も感じていた疑問について図星をつかれて返す言葉もなかった。

「そんな花があるんだったらもう見つかってると思うよ?」

「そうだけど…でも…」

「それにお母さんが探してたからといって夏椛が探さなくてもいいでしょ?」

「別に探してもいいじゃん。誰かに迷惑かけるわけでもないし」

どうして悠葉は否定的なことばかり言うのだろうか。私は母についてのことなら少しでも知りたいし、母にしてあげられることがあるのならしてあげたい。けれど、そう言えばきっとまた親離れできていないだとか、お母さんのことが好きすぎるとか言ってばかにされるのだろう。なんて考えてるうちにだんだん腹が立って体の芯が熱くなってきた。

「もー仕方ないなぁ。私が手伝ってあげるよ」

仕方ないってなんなのだろうか。

「いいよ。悠葉がいうように本当にあるのかも分からないし、迷惑かけられないよ。」

「別に迷惑じゃないし、頼りなよ。夏椛はいつもなんでも1人で背負いすぎだよ」

さっきまで私が母を大切にしていることや花を探すことや否定ばかりだったのにどうして急に手伝うとか言い出すのか。頼んでないし、頼みたくもない。

「ほっといてよ。1人で探したいの。悠葉の助けなんて要らないから」

悠葉の返事も顔も見たくなくて逃げるように教室へ向かう。


あんなことを言ったはいいものの図書館に行って調べても、インターネットで調べても詳しいことは分からず、分かったのはリミネースが『海に咲く花』だという真偽不明の噂だけだった。


「悠葉じゃないけどそんなのほんとうにあるのかな」

今日も学校の図書室で調べていると、口をついて出た不満が思っていたより部屋に響いた。周囲の視線が痛かったので今日は帰ろうと慌てて荷物をまとめる。


…でもメモに書いてある様子だときっとあるんだよね

「わっ!」

「すみません!って悠葉?」

…正直気まずい。私が避けてたからクラスの違う悠葉とはあれ以来会っていない。

「ちょうどいいところに!久しぶりだね!」

「う、うん…久しぶり…」

「いやー1週間くらい会えてなかったから会えてよかったよ!」

悠葉はこの前のことをあまり気にしていないみたいで、いつもと変わらず話しかけてきた。

「どうかしたの?」

「もうすぐ夏休みでしょ?だからさ、海に行こうよ!」

悠葉とは幼い頃から、いや、生まれる前から互いの両親の仲がよかったためよく一緒に遊んでいたが、このタイミングで海へ行く誘いが来るなんて運がいい。噂を確かめるために海に行くにしても、海のないこの町からでて花を探しに行くにはいくつもの電車を乗り換える必要がある。

「わかった。お父さんに聞いてみる」

「それなら大丈夫!父さんがメールで伝えるって言ってたし」

それから悠葉と日付や待ち合わせの時間を確認しつつ一緒に帰った。今朝まで悠葉と会ったらどうしようと悩んでいたことが嘘みたいで明るい性格の彼女に嫉妬する。


持ってきた荷物を確認していると背後から誰かが走って来る音が聞こえた。きっと悠葉が驚かせようとしているのだろうと思い、気づかなかったことにする。

「わっ!おはよー!」

「わぁ!おはよー。もーびっくりするでしょ!」

「ごめんごめん。準備はできた?早く行こ!」

「そんなに急がなくても海は逃げないよ。おじさんお久しぶりです。お誘いいただきありがとうございます。」

悠葉のお父さんに挨拶する。悠葉のお母さんは仕事があって来れなかったらしい。

「いやいや、こちらこそいつも悠葉と仲良くしてくれてありがとう」

「うちの娘こそ…」

父とおじさんが話しだしたのを見てそっと後ずさる。いい人ではあるが久々に会う知り合いの大人との話では必ず『学校はどう?』とかいうなんとも答えにくい抽象的な質問から始まるのだからおじさんは父に任せておくほうが楽でいいと判断する。


「よしっ!夏椛、荷物はおいた?浮き輪ももった?早く行こっ!」

「んーちょっと待って」

海へ行けることが分かってから調べた噂とすでに発見されている花をまとめたノートを持っていこうと思いかばんに入れる。

「おまたせー、行こうか」

「なんか夏椛荷物多くない?何入ってんの?」

「お菓子とか空気入れとか。息で膨らませるの大変でしょ?」

ノートのことは言わない。きっと言っても『海に花とか咲くわけないじゃん』って言われるだけだから。また気まずくなって私も悠葉も旅行を楽しめなくなるだけだから。

「たしかにー!さすが夏椛、気がきくね」

「まあね」 

 

海につくと気づけば悠葉は隣におらず雲ひとつない空の下、照り輝く太陽にも負けず海に走っていく後ろ姿が見えた。この様子だと夕ご飯まで戻ってこないだろう。

「お父さーん、悠葉はもう行ったし私も行くねー」

未だに話し込んでいる父とおじさんに声をかけて私も花を探しに行くために荷物をまとめる。


…見つからなかった。リミネースどころかコンクリートの近くに生えている草のほかに植物は見あたらない。やはり、噂はただの噂にすぎないのだろうか。それとも、ここの海には、私の探せる範囲には存在しないのだろうか。

「おーい夏椛。こんなところにいたんだ。もう夜ご飯だってさ。帰ろー」

「うん…。」

「どうかしたの?まだ遊び足りないの?明日の昼には帰るけど朝早く起きたらちょっとは遊べるだろうから今日はもう帰ろう?」

「そういうわけじゃないけど、帰ろうか。」


…眠れない。

一晩くらいなら寝なくても平気だし、寝れないくらいならリミネースを探しに行こうと思い立つ。


街灯と星々の煌めきの下、海のさざ波だけが耳に飛び込んでくる。昼の間のにぎやかさがまるで嘘のようで世界に自分しかいないのではないかと錯覚しそうになる。

「悠葉?」

その静けさの中、予想外の人物が佇んでいて思わず声をかけてしまう。

「おー夏椛。どうしたの?夏椛も散歩?」

「まあ、そんなとこ」

「レジャーシート敷いてるし座れば?」

言われるがままに隣に座る。けれども特に話すことはなく、珍しいことに悠葉も静かで先程までと変わらない沈黙が広がる。

私は気まずさに耐えられず口を開いた。

「ねぇ」

「あのさ」

「ごめん夏椛が先に言っていいよ」

「あのさ、私、今日花を探していたんだよね」

「うん」 

「えっ、気づいてたの?」

海に駆けて行った悠葉が気づいているなんて予想外だ。

「まあね。それで?」

「…この前は探すの手伝うって言ってくれてたのにごめんね。」

「じゃあ、今からでも」

気持ちは嬉しいけれど、やはり今回は自力でやりたい。

「でも、これは私が見つけたいの。他の人が見つけたものを母にあげるんじゃなくて、私が見つけて、私があげたい。そうすればお母さんも安心して私を送り出してくれる気がするから。」

「そっか。」

「だから、もしかしたら協力をお願いすることがあるかもしれないけどそうじゃなかったらそっとしておいてほしい。」

「わかった。でも、困ったことがあったら頼ってね」

以外だ。悠葉のことだから引き下がるかと思っていた。

「うん。こちらこそ何かあったら教えてね。ところで悠葉は何を言おうとしてたの?」

「んー。何だっけ。あ、そうそう真剣に探そうとしてるのに茶化しちゃってごめんね。って言おうと思ってた。」

「いいよ。でも、それだけ?なんか静かだしいつもと調子が違うけど大丈夫?悠葉も困っているなら私に頼っていいんだよ?」

「困っているわけじゃないんだけど…」

「けど?」

「どっちかと言うと今の状態が私の素に近いんだよね。」

「え?」

「いつもの私と今の私を比べたらいつものほうが話しやすいでしょ?」

どちらかといえば私は今の悠葉の雰囲気と穏やかに輝く海のゆらめきに安心を覚えていた

「うーん…」

「話したいことが山ほどあって、他の人の話にもすごく興味があって。自分の話もめっちゃ聞いてくれるし話すことがないときには尽きることなく話してくれる。」

たしかに、悠葉は話すのも話を聞くのも上手だ。一度話しだしたら流れる水のごとく話が続き会話が途切れることはない。

「そう言われればたしかに…」

「しかも感情表現が大きくて普段は楽しそうにニコニコしてる。」

「そうだね。」

「ね?だから素の私は奥底に隠してる。」

「なるほど…ね。話題を準備するのとか大変だと思うし、努力しててすごいね。」

「まあもう慣れたと言うか、習慣になってるから大変でもないけどね。」

「そうなんだ。私は…いつものテンションの悠葉も好きだけど、今の悠葉もなんだか落ち着くというか、知らない一面を発見したようで嬉しいというか…嫌いじゃないよ。」

「そう。ありがとう。」

「じゃ、私そろそろ帰るね!また二人の時にでも落ちついて話そー!夏椛はまだここにいる?」

「う、うん」

テンションが急上昇して驚いた。ともあれ、仲直りできてよかった。別に喧嘩していたわけではなかったけれど心にかかってた霧が晴れたみたいだ。

「じゃ、レジャーシートはまた明日返してくれればいいから。」

「わかった。おやすみ。」


悠葉を見送って振り返るといつの間にか空には月が昇り、海にできた道を照らしていた。リミネースが海に咲くという噂を入手してから海についても調べていたから知っている。この道は潮の満ち引きによってできたものだ。

そして見た道の先には真っ暗なはずの夜の闇の中、月に照らされた島がミルキーホワイトに輝いていた。まさか、と思い恐る恐る近づくと調べていたどの花とも違う花が咲き誇っていた。


「リミネース…。」

見つけた。やっと…。


まぶたの裏に明るさを感じて目を開くと、部屋の天井が目に映った。

「夢…?」

落胆しかけたその時、悠葉からのメッセージの通知が目に入った。

『レジャーシートは朝ごはんのときに持ってきてー』

けれどリミネースは見当たらない。昨日の私は花を摘まずに何をしていたのだろうか。その時、開いていた窓からまだ暑くなる前の朝のさわやかな風が強く吹き込んできて思わず目を閉じた。

目を開くとサイドテーブルには、あのミルキーホワイトの花弁が広がっていた。

「おはよー夏椛!遅かったから起こしに来たよ!」

「おはよう悠葉」

「あっ!夏椛、その花びらもしかして…」

「うん。たぶんリミネースだと思う」

「そっかあ。よかったね。でも、花びらだけなの?」

「うん。押し花にして栞にでもしようかなって思ってる」

「おばさんのお見舞いに持ってくの?」

「うん。2つ作れるほどではないけど、お母さんの分を作ってもたぶん余るから他の花も足して自分の分も作ろうと思ってる」

「おー、いいね」

そんな話をしている時に再び風が吹き、夏椛のノートのページをめくった。そこにはハナニラの花言葉が書かれていた。




ハナニラの花言葉は

 悲しい別れ、恨み、卑劣。そして、星に願いを。

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