第42話 屋上のセレナーデ
「二人目、完了」俺は工場を出ながら、ため息をついた。「なあ、ゲムちゃん、これは俺が契約した仕事より、よっぽど手間がかかるぜ」
『貴様が契約したのは、力と、玩具としての魔法少女だ』ゲムちゃんの声が、平坦に俺の頭の中で返ってきた。『貴様の資産を管理することも、契約の一部だ。文句を言うな。結果が、全てを物語るだろう』
俺は腕時計を見た。「美姫は、ダンスの練習中のはずだ。会いに行くか」
俺は、スターライト・プロダクションが入るガラス張りのタワーへと向かった。
ロビーは、白とクロムで統一された、痛々しいほどモダンな場所で、パリッとしたスーツを着た人々が忙しそうに行き来している。そこにいるだけで、ネクタイが必要な気分になった。
俺は、俺のことを「響子の特別ゲスト」として知っている受付係に頷くと、彼女は手を振って俺を通した。
ポップミュージックの音を頼りに、大きなダンススタジオへ向かう。マジックミラー越しに、美姫の姿が見えた。
彼女は、シンプルなレギンスとクロップトップに身を包み、髪を後ろで結んで、過酷なリハーサルの真っ最中だった。その顔は汗でぬれ、いつもの明るい笑顔は、険しい決意の仮面に取って代わられていた。
彼女はプロのダンサーチームに囲まれ、鋭い目つきの振付師が、修正点を叫んでいる。
「もう一度! 最初から!」振付師が叫んだ。「青山、サビでのターンが半拍遅い! 素人みたいに見られたいのか!? もう一度だ!」
美姫は、死んだように疲れきっているように見えた。彼らが再びルーティンを始めると、彼女の目が観察窓の方をちらりと見て、俺の視線と絡み合った。
彼女の目が、大きく見開かれた。その顔の疲労は、一瞬だけ、純粋で、必死の希望の表情へと変わった。
俺は彼女にウィンクし、小さく手を振って、続けるように合図した。
俺の存在が、彼女の中に新たな火を灯したようだった。振付師のために踊りながらも、彼女は、俺のためにも、演じていた。彼女の動きはより鋭く、その表情はより生き生きとしていく。彼女は、全てのビートを、完璧に捉えた。
「そういうことか」俺は、椅子にどさりと座って見守りながら、思った。「あいつのアイドルのトレーニングを見るのは、これが初めてだ。俺はいつも、あいつはただの天才で、その魔法が全ての仕事をしているんだと思ってた。どうやら、間違ってたみたいだな」
『彼女の力は、アドバンテージだ』ゲムちゃんが、俺の心の中で述べた。『それは彼女に、観客を魅了し、崇拝させる力を与える。だが、筋肉に動きを教えることはできない。タイミングを完璧にすることも、スタミナをつけることもできない。その部分は、彼女自身が、努力して手に入れなければならない』
『彼女の闇の才能は、彼女をスターにする。彼女の努力が、彼女を伝説にするだろう』
俺は、彼女がへとへとになるまで追い込まれるのを、さらに一時間、見守った。彼女は、二度とミスをしなかった。
ついに、振付師が手を叩いた。「よし。そこまで。明日は朝六時にここだ。遅れるなよ」
彼は、嵐のように去っていき、美姫と他のダンサーたちは、フロアの中央で、息を切らしていた。
美姫は、タオルと水のボトルを掴んだ。その胸は、激しく上下している。彼女は、ガラス越しに、弱々しく、疲れ切っているが、勝利に満ちた笑みを俺に向けると、更衣室へと向かった。
数分後、彼女は、シャワーを浴び、可愛いサンドレスに着替えて出てきたが、その疲労を隠しきれてはいなかった。目の下には、隈ができていた。
俺は、外で彼女を待っていた。「大事な戦いの直前だってのに、まだこんなに必死に練習してるのか」彼女が出てくると、俺はウィンクして言った。「さすがは、俺の美姫だ」
「マスター!」彼女の顔が、輝いた。彼女は、十分に近づくと、ただ、俺の腕の中に崩れ落ち、俺の胸に顔を埋めた。
「すごく、疲れました」彼女は、俺のシャツに顔を埋めながら、呟いた。「響子さんに、殺されそうです。この一週間、まともに眠れていません」
彼女は俺を見上げた。その目は大きく、懇願するようだった。「でも、あなたが来てくださった。あなたが見ていてくださるのを見て…それだけが、私がこれを乗り越えられた、唯一の理由でした」
彼女は少し身を引き、その表情は真剣なものに変わった。「大きな戦いは、二日後です。光のイージスはプロですわ。彼らがどれほど強いかは、私たちはすでに目の当たりにしています」
「私たちは…本当に、準備ができているのでしょうか? 私は勝ちたいです、マスター。あなたのために、私たちのために。でも、まだ、怖いんです」
それは、彼女からの、珍しい、本当の弱さの瞬間だった。俺は、彼女の目に、かつての美姫、俺が最初に出会った、孤独な魔法ハートプリンセスの姿を見た。
「答えは、俺にもわからねえ」俺は、彼女の手を取り、優しく言った。「だから、俺たちが最初に出会った場所に戻ろうぜ」
「それと、マスクを着けるのを忘れるなよ。有名な青山美姫が、俺みたいな怪しい男と歩いてるのを、人に見られるわけにはいかないからな」俺は、くすくすと笑った。
彼女は、混乱した表情を浮かべたが、疲れすぎていて、言い返す気力もなかった。彼女は、ハンドバッグから黒いマスクを取り出し、それをつけた。
俺は彼女を事務所から連れ出し、見慣れた、薄汚れた街の一角へと、戻っていった。
ヒマワリ百貨店の屋上は、俺が記憶している通りだった。同じ砂利、同じ低い縁、同じ、最高の夜景。
美姫は、縁に立ち、街を見下ろしていた。彼女はマスクを外し、冷たい夜の空気を吸い込んだ。
「…全ては、ここから始まりましたのね」彼女は、囁いた。「あの頃の私は、なんて惨めだったのでしょう? ただ、誰かに気づいてほしくて必死な、おままごとをしていた、小さな女の子」
彼女は俺の方を向き直った。街の灯りが、彼女の目に反射している。「あなたは、ここで私を見つけてくださいました。私が望んでいた全てを、くださいました。私の名声、私のファン、私たちのチーム。あなたは、私に、本物の夢をくださいました、マスター」
「俺の触手がお前を縛り上げて、震えるハートプリンセスを堕とした部分を、忘れてるぜ」俺は、後ろから彼女を抱きしめ、その頬にキスをしながら言った。
深い赤みが、彼女の顔に広がった。彼女は俺の胸にもたれかかり、その身体は俺の腕の中で、柔らかくなった。「忘れていませんわ、マスター」彼女は、息の混じった声で、囁いた。
「毎秒、覚えています。恐怖、痛み、そして…快楽。恐ろしかったです。そして、私の身に起こった、最高のことでしたわ!」彼女は囁いた。「あなたは、私を元に戻してくださいました。より良く、より強く、より正直な私に」
彼女は手を伸ばし、俺の顔に触れた。「あの小さな女の子、魔法ハートプリンセスは、彼らに負けていたでしょう。彼女は、弱くて、一人でしたから」
「でも、私はもう、彼女ではないのでしょう?」新たな自信が、彼女の目に燃え始め、恐怖を追い払った。「私は、ダークハートプリンセス。私は、堕天したちの一人。そして、私は、あなたのアイドルです、マスター」
「ああ、お前は、俺の美姫だ」俺は、温かく言った。「俺のアイドルで、チームに最初に参加したメンバーで、俺のスマホの、最初の連絡先だ」
俺はウィンクし、砂利の上に座った。「だから…スカウト料として、プライベートコンサートを要求する。今、ここでな」
俺の言葉は、彼女の傷ついた自信にとって、完璧な薬だった。眩いばかりの、本物の笑顔が、彼女の顔に広がった。
「プライベートコンサート? スカウト料として?」彼女は、軽やかで、音楽のような音を立てて、くすくすと笑った。「それは、厳しい交渉ですわね、マスター。でも、私の借金は、返せると思いますわ」
彼女には、ステージも、音響システムも必要なかった。街が、彼女の背景だった。彼女は俺の前に立ち、深呼吸をして、歌い始めた。
それは、彼女のポップなヒット曲の一つではなかった。ただ、俺のためだけの、シンプルで、静かなバラードだった。
彼女の声は、純粋で、澄み渡り、俺の胸をまっすぐに打つ、生の感情に満ちていた。彼女が歌うにつれて、俺は彼女の魔法を、崇拝や絶望の波としてではなく、俺を包み込む、優しい温もりとして、感じることができた。
まるで、彼女が、その魂の一部を、分かち合っているかのようだった。
歌が終わった時、彼女は、街の灯りの中で瞳を輝かせながら、静かに立っていた。
「あのね」彼女は、静かだが、しっかりとした声で言った。「蒼が、戦いのための、特別な役目を私にくれたんです。私の魔法でヴァルキリーを抑え、彼女の頭の中に入り込み、バランスを崩させて、彼女がみんなをめちゃくちゃにできないようにするのが、私の役目ですって」
彼女は、小さく、ユーモアのない笑いを漏らした。「クレイジーに聞こえますわよね? Bランクの私が、この街で唯一のSランクに、立ち向かうなんて」
彼女は、俺の目をまっすぐ見た。そして、以前そこにあった恐怖は、完全に消え去っていた。
「でも、もう怖くありません、マスター」彼女は、固く、明瞭な声で言った。「来ればいいわ。私たちは、準備ができていますから」
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