第23話 悪夢に抗う砦 – 番外編
最後のピザがなくなり、アパートは心地よく、混沌としたエネルギーで満たされていた。博人が去った後も、少女たちは夜の出来事でまだ興奮冷めやらぬ様子だった。
「信じられない!」茜が宣言し、千代子のコーヒーテーブルを叩いた。その衝撃で、空のピザの箱が跳ね上がる。「いや、これは人道に対する罪だよ!」
美姫は、スマホをいじりながら顔を上げた。「何がですの?」
「焔ちゃんだよ!」茜は、アームチェアで静かに丸まっている焔を、非難するように指差しながら言った。
「この子、ちゃんとしたお泊まり会をしたことがないんだって! 信じられる!? ジャンクフードも、怖い映画も、可愛い男の子の話で夜更かしするのも、なし! これは、修正しないと。今すぐに」
焔は、見慣れた、ヘッドライトに照らされた鹿のようなパニックを浮かべ、目を大きく見開いて顔を上げた。「お泊まり会? でも…私は…」
「問答無用!」茜は、彼女の言葉を強引に遮った。「決定! 今夜! ここで! 全員、史上初の『堕天したち・究極のお泊まり会』に、公式に招待する! 出席は義務だからな!」
千代子は、目尻にしわを寄せながら微笑んだ。「素晴らしいアイデアだと思いますわ。毛布なら、たくさんありますから」
静かに様子を窺っていた蒼が、小さく頷いた。「予定外の、チームビルディング訓練ですね。論理的には、理に適っています。私も参加します」
リビングは、混沌とした傑作へと姿を変えた。彼女たちは家具を壁際に押しやり、広々とした空間を作り出した。
毛布と枕が、中央に巨大な巣のように積み上げられる。残ったソーダとポテトチップスの袋が、公式のスナックマウンテンとなった。
夜は、茜の「公式お泊まり会訓練」で始まった。まずは、映画鑑賞。茜は、安っぽいスラッシャー映画を主張し、美姫は、ベタベタな恋愛映画を譲らなかった。
「私たちを泣いてしゃくり上げるようなのが必要なの!」美姫が主張した。
「根性と爆発があるやつが必要なんだよ!」茜が言い返した。
彼女たちはまず、ホラー映画で手を打った。それは、怖いというよりは面白い、安っぽい作品だった。茜は画面に向かって叫び、美姫は飛び上がるようなシーンでは枕の後ろに隠れ、焔はアームチェアという安全地帯から、小さく、魅了されたような笑みを浮かべて見ていた。
蒼は、登場人物たちの戦術的判断の甘さについて、真顔で解説を加え、一方、千代子はただ、温かく、母性的な愛情をもって、皆を見守っていた。
スラッシャー映画の後、彼女たちは美姫の恋愛映画をかけた。
それは、約束通り、ベタベタだった。美姫と千代子は泣いた。茜は、吐き気を催すふりをした。蒼は、男性主人公の壮大なロマンチックなジェスチャーを、「感情的に人を操るものであり、経済的に無責任だ」と断じた。
そして焔は、静かだったが、微笑んでいた。本物の、心からの笑みだった。
夜が更けるにつれて、見慣れた不安が、再び焔の心に忍び寄り始めた。楽しい時間は、終わった。
今や、怖い時間がやってくる。新しい場所で、人々に囲まれて、眠る時間。
千代子と蒼が、床に寝袋を敷き始めた。「さあ、皆さん、そろそろ休みましょう」千代子が、優しくあくびをしながら言った。
焔はただ、枕を胸に抱きしめて座っていた。「茜ちゃん?」彼女は、小さな囁き声で尋ねた。
「ん? どうした?」茜は、自分の枕を整えながら尋ねた。
「私…よく眠れないんです。新しい場所では」
茜は、手を止めた。彼女は焔を、本当に彼女のことを見て、そして初めて、その静かな外見の奥にある、深く、本物の恐怖を、その目に見た。「それって…悪夢のせい?」彼女は、驚くほど優しい声で尋ねた。
焔はびくりと震えたが、頷いた。部屋中が、静まり返った。
「怖いんです」彼女は、床に視線を固定したまま、囁いた。「眠っている間に、制御を失ってしまうのが」
「私の力は、私の家族を殺しました。もう二度と、誰も傷つけたくないんです」
茜は、長い間、黙っていた。彼女は、蒼のような戦略家でも、美姫のような人心掌握家でもない。かけるべき正しい言葉を知らなかった。だから、彼女は、自分が知っている唯一のことをした。彼女は、行動した。
「よし」彼女の声は、新しく、猛烈な決意に満ちていた。「許さん。増援が必要だな」
それから十分間、彼女は狂気じみたエネルギーで働いた。
彼女は、アパートにある全ての枕、全ての毛布、全てのクッションを掴んだ。それに気づいた美姫と蒼も、手伝い始めた。彼女たちは、ソファを土台に、椅子を支柱にして、リビングの中央に、巨大で、広大で、そして構造的に怪しい砦を、作り上げた。
それには壁があり、屋根があり、そして、這って入るための小さな入口さえあった。
茜は一歩下がり、腰に手を当てて、自分たちの作品を眺めた。「見よ!」彼女は宣言した。「これぞ、特級対悪夢要塞! あらゆる悪夢と、暴走する宇宙エネルギー砲を撃退することが、証明されている!」
焔はただ、その滑稽で、傾いた建造物を、見つめていた。小さく、涙声の笑いが、彼女の唇から漏れた。
「おいでよ」茜は、中に這い込みながら言った。「この中は、超安全だから」
焔は、一瞬ためらった。千代子が、励ますように頷いた。彼女は、茜の後を追って、這って入った。中は居心地が良かった。ポップコーンと、友情の匂いがする、小さく、柔らかい洞窟だった。
美姫が、すぐに彼女の後を追って這い込み、焔を二人の間に挟んだ。蒼は、小さな笑みを隠しきれないため息をつきながら、自分の寝袋を引きずってきて、入口を守るように陣取った。
千代子は明かりを落とし、近くのソファに腰を下ろした。静かで、見守るような、守護者だった。
「なあ、焔ちゃん」茜が、暗闇の中で囁いた。
「はい、茜ちゃん?」
「もし悪夢を見たら、それは悪夢を見るってだけだ」茜の声は、真剣だった。「あたしが、ちゃんとここにいる」
「美姫と蒼は、反対側にいる。もしあんたの力が暴走したら、あたしたちが、それを受け止める。姉妹ってのは、そういうもんだろ。あたしたちは、あんたのこと、怖がってなんかない」
焔は、長い間、黙っていた。そして、小さく、静かな声が、枕の砦の中で響いた。「…ありがとう」
「どういたしまして」茜は、すでに半ば眠りながら、呟いた。
数分後、焔は、友人の、柔らかく、リズミカルな寝息を聞いた。彼女は、静かな暗闇の中で、二人の新しい、騒がしく、滑稽な友人に挟まれて、横たわっていた。
彼女は、安全だと感じた。完全に、そして、全くもって、安全だと。
とても、とても長い間、初めて、斎藤焔は、暗闇を恐れることなく、眠りに落ちた。
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