トラブル拾いの旅

第1話

「すみません。練習不足でした。引き続き、よろしくお願いいたします」

 警察時代からの恩師にメールを入れ、道具を担いで武道館を後にした。

 私は、今日、剣道八段審査に参加した。

 警察時代からもう10回めの受審だったが、今回も落ちた。

 剣道の最高位である八段の審査は、現在では京都、東京、愛知で年間6回ほど行われているが、年間4、5千人受審しても合格率1パーセント以下という狭き門であり、確率的には司法試験より難しいと言われている。

 今回も千人近くが受審して、合格者はわずか7人だった。

 昨年、再就職先を退職してからは、剣道も引退しようと考えていたが、青山孝子の死で精神的に落ち込んだ。このままだと自分がおかしくなりそうで、何とかしなければと思い、久しぶりに千葉県剣道連盟の練習会に顔を出した。

 そこで顔馴染みの先輩や同僚に歓迎され、成り行き上その後も通うことになった。結果、中断していた八段審査にも再挑戦する流れとなったという訳だ。


 地下鉄九段下駅の階段を降り、トイレに入っているとスマホが鳴った。

 画面を見ると結城信乃からだった。

 信乃は、亡くなった青山孝子の医学部の同期で、孝子が入院していた根室の病院を院長の夫とともに切り盛りしている。

「お久しぶりです。忙しいところすみません」

 孝子が亡くなった後、何度か連絡を取ったが、最近は話をしていなかった。

「この度、孝子との約束にのっとって遺骨を海に散骨することになりました。それで、参考までにお知らせしようと思いまして……」

 聞けば、身内のいない孝子は、自分の死後のことについて何から何まで友人の信乃に託したらしい。その中に遺骨は海へ散骨して欲しいとあったため、本格的な冬になる前の11月、チャーター船を頼んで根室沖で散骨式をすることになったという。

「11月半ばだと、まだ雪は大丈夫でしょうか」

「確かなことは言えませんが、根室の海岸線はそれほど雪は降りません。多少降ったとしても海が時化なければ船は出せるそうです。ただし、寒さは覚悟してください」

「分かりました。必ず行くと約束してましたから、是非行きたいと思います。今夜、妻に相談して、明日また電話します」

 電話を切り、目を閉じると孝子の顔が浮かんだ。

 5月に根室まま一緒に行ったときの笑顔の孝子だった。

 いまだに死んでしまったとは思えない。

「また、理由を考えなきゃな……」

 歩きながら独り言を漏らした。


「えっ、また北海道に行くの?」

 家に帰って妻に審査結果を報告した後、ついでのように北海道行きの許可を申請した。

「うん、今日、偶然に警察大学校の同部屋のやつが審査に来ててね、同期会をやろうってことになったんだけど、そいつが道警で、あと東北も2人いるから、じゃあ函館でやろうかってことになったんだ。俺、部屋長だったけど、全然やってなかったからね」

「お金は?」

「ああ、前にもらった旅行券がまだ残ってる。お婆さんを根室に届けたときは、途中の宿泊代とかガソリン代とかも全部出してもらったから……」

 ここは嘘をついた。

 春に2回目の四国へ行った際に旅行券はほとんど使い果たしていた。あとは現役当時に貯めてあったヘソクリ貯金を使うしかない。

「ふーん。で、いつ?」

「同期会は11月の16日だから、出発は11日にする。帰りは10日後くらいかな」

「朝も、帰りの夕飯も要らないのね」

「はい」

 いつものやりとりを経て、妻の認可は下りた。


 11月11日午前4時、助手席に設置したビデオカメラを録画にセットし、北海道を目指して車を発進させた。

 前回、孝子と一緒に行ったときは、仙台まで海岸沿いの6号線を使ったが、今回はひたすら青森まで4号線で行くことにした。

 まず市川から外環道に入り、草加インターで降りる。

 あとはひたすら下道だ。いつものように独り言を録音しながら淡々と走った。

 しゃべりに関しては、最初はマイクを意識していたが、最近は自然に話せるようになった。動画にした時にはほとんど使えないものが多いが、後で見返していると思わず笑ってしまうような名言も残っている。そんなときには、映像に字幕を入れてその部分を強調したりもできるようになった。

 宇都宮のコンビニで昼食を買って食べ、また国道4号線をひたすら北上した。

 私の場合、あえてその土地の名物を食べて動画に盛り込むことはしない。もちろん、美味しいものは好きだから、時間と余裕さえあれば人気の飲食店に入って土地の名物や特産物を食べることもあるが、いちいちそれをやっていたら時間と費用が掛かってしまい効率が悪くなる。だから必然的にコンビニで買って車中で食べることが多くなる。

 その後、ひたすら走り続け、午後6時に福島市に入った。

 今日は初日で元気が残っているので車中泊して、明日の朝早くから運転を再開することにした。

 平場でも、道の駅や公営駐車場など安全に車中泊をできるところもあるが、知らない土地だと少し不安だ。幸い国道4号線は東北自動車道と並走していて、高速道路のサービスエリアなら好きなだけ止っていられるし、大きなところだとトイレやコンビニ、レストラン等の施設も充実している。

 ナビで調べると、近くに国見SAという大きなサービスエリアがあり、手前の国見インターから高速に入れば入場可能であることが分かった。

 ナビに従って高速道路に入り、数キロ走ると下り線のサービスエリアに到着した。

 トラックがとても多い中、落ち着けそうな位置に駐車する。降車すると寒さが身に染みた。

 何か温かい食べものをとレストランに飛び込み、一番先に目に入った牛タンの定食を注文した。少し高かったが、ここで寝れば1泊分の宿泊代が浮くから良しとした。

 しばらくの間、サービスエリアの施設内をウロウロした後、トイレで歯磨きなどを済ませて車に戻った。

 今回は11月の北海道ということで、カイロはもちろん、極暖の下着や極寒地用の寝袋などを用意して来た。

 早速、準備したすべての防寒対策を施して寝袋に潜り込むと、ホカホカとして気持ちの良い寝床に仕上がっていた。

 途中、何度か尿意をもよおして目が覚めた。その都度、ドラッグストアで買って来たプラスチック製の尿瓶で用を足した。

 尿瓶というものは初めて使ったが、これほど便利なものとは知らなかった。

 ただ、朝、サービスエリアのトイレまで持って行き、中身を捨てて容器を洗うときには、かなり人目が気になった。

 支度をして顔を洗い、施設内のコンビニで食べ物を買い、出発したのは午前6時半だった。

 それにしても、サービスエリアの車中泊というのは快適だ。

 休みたいときに休み、食べたいときに好きなものが食べられる。大きなところなら商業施設も夜通し営業しているし、コインシャワーや温泉、簡易ホテルまで備えているところもある。

 今回の旅は予算が苦しいので、可能な限りSA泊で済ませたいと考えている。

 次のインターで降りると4号線に戻るまで距離があったため、そのまま高速で仙台まで行って下道に戻った。

 5月に孝子と一緒に走ったときは、東関東地震の被災地を巡ったため海岸沿いを北上したが、今回は少し内陸寄りを通る国道4号線を走り続けた。

 昼食のためコンビニに寄り、ナビで今後の行程を確認したところ、このまま国道4号線を走ると八戸方面を迂回するようになってしまう。そのため、東北道に近いうちに高速に入り、車中泊するためのサービスエリアを探すのが得策と考えた。

 ナビをセットして再び国道4号線を北上していると、20キロほど走ったところで、岩手の滝沢インターから高速に入るよう案内した。

 言われた通り高速に入ると、案内標識に青森まで155キロとの表示があった。それなら明るいうちには青森市内に着く。

 計画通り途中のサービスエリアでもう1泊するか、このまま高速で青森まで行ってしまい、ビジネスホテルに泊まって美味しいものを食べ、ゆっくり寝るかのどちらかで一瞬迷ったが、すぐに誘惑に負けて青森直行を選択した。

 青森で何を食べようかと、ワクワクしながら運転していると、安代ジャンクションの手前に八戸方面の表示が現れた。

 東北自動車道は、ここで八戸方面を経由する本線ルートと内陸を通るルートの二手に分かれている。

 八戸の文字を見て、5月に孝子と一緒に根室に行ったときのことを思い出した。

 あのときは八戸を経由して、大間から函館行のフェリーに乗った。

 ビスコの箱に印刷された子供の顔は幼少の頃の孝子がモデルだという嘘で盛り上がったのが、ちょうど八戸辺りだった。

 あのときは本当に楽しそうだった。

 その後、大間の民宿でマグロを食べた。

 安代ジャンクションまで1キロの表示が現れた。

 あのときは、大間から早朝に出航するフェリーに乗った。

 フェリーのデッキで、風に当たっていた孝子の顔は今でも鮮明に覚えている。

「明日でお別れだ」と言って寂しがる孝子に、「秋になったらまた来る」と言ったとき、少年のように目をまん丸くして笑った。

 あの顔は中学校の頃の孝子より子供っぽく、可愛かった。

 安代ジャンクションまで500メートル。

「ああ……」

 私は、またあのフェリーに無性に乗りたくなった。もう一度あのデッキに立ち、朝日を浴びながら函館の景色を見たくなった。

 この先を左に行けば青森、このまま本線を行けば八戸に行ける。しかしそうすると函館上陸が1日延びることになる。

「もう……」

 迷った挙句、私はハンドルを強めに叩いて意味も無くクラクションを鳴らすと、そのまま本線を真っ直ぐ走り抜けた。

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