空音7歳の初夏、生活は一変していた。


 空音の部屋は屋敷の最も奥にある。途中までは外から回れるが、途中から建物内に入り廊下を通る必要があった。その付近に兄姉達が集まっている食堂があった。

 食堂に差し掛かった時声が聞こえた。

「やっと帰ってきたのかよ。『ただいま』も言えないの?」

 言葉の主は兄の一人だった。以前ルゥにしたのと同じように挨拶をしたら無視をした少年だった。彼には挨拶は不要と認識したが、今は挨拶で怒っている。行動の意図が分からなかった。

 空音が言い終わる前に拳が飛んできた。痛かったが空音の中で感情が動くことはなかった。しかし、理由の分からない行為に疑問が浮かんだ。兄は空音の胸倉を掴み笑いあざけった。

「遊びで作られた存在が屋敷をうろつくな」

 空音は初めて自分から考えた。なぜ己はこうも攻撃されるのか。まず要素として、遊びで作られた存在を歩き回るのを嫌いな人間がいると認識した。


 小学校に上がる前は、こんなことはなかった。だが、管理AIが登校を命じてから、すべてが変わった。空音は部屋にこもっていて、ルゥと話してテストを受けるだけで全てが許されていた。

 しかし登校に伴い管理AIから薄い色付きのメガネを渡され、これで外に出られるだろうと部屋から出された。型守の名は名乗らず、聞かれたら性は仮で与えられた、青池と名乗る様にキツく言いつけられた。空音にとって性は意味をなさずどうでも良い事だった。彼女にとっての問題は邸内を歩く事になり否応なく顔を兄姉と合わせる事になった事だ。そして前述の通りの状況である。


 初めてまともに部屋を出て確認した型守邸は巨大な邸宅であった。個室は20部屋あり、兄弟達にも一人一人部屋が与えられている。和洋折衷の白を基調としたデザインで壁は一見土壁の様に見せているが内部は鉄筋コンクリートであった。高い天井で開放感出しつつ、木の梁がコントラストを与えていた。天井はガラス張りになっており動く雲が見える。

 空音の部屋は前述の通り屋敷の最も奥にある。食堂から空音の部屋までの部屋は全て倉庫として使われており、ルゥもこの部屋達の何処かから引っ張り出された。更に手前に食堂があり兄姉達はこの食堂で並び食事をしていた。そして食堂の手前に兄姉達の部屋が並んでいた。

 食堂近くの扉から外へ出ると木が屋敷伝に街路樹の様に並んでいた。木の奥にはうっすらと温室の様な建物が見えた。空音は登下校でも脇目を振る事が無かった為、屋敷についてそれ以上の知識は無かった。


  空音は学校へと歩みを進め、ふと空を見上げた。

「少し光っている所がアクリル板だとわかります。アクリル板みたいな樹脂は光を浴びてると黄色くなるんでしたっけ。確か劣化するまでに50年くらいかかるんですよね。2020年台は20-30年……あんまり進化して無いですね。」

 意味もなく習った知識を反芻しながら歩き始めた。

「あ、いけない。」

 メガネのAR機能をOnにし、Bluetoothと地図アプリをオンにすれば視界に道案内が表示される。後は矢印に従って歩けば何の問題も無かった。古くからある技術ではあったが必要充分の役割を果たした。

 2階の1-A教室に入る。女生徒が話しかけてきた。

「ごめん、宿題見せてくれない?」

「良いですよ。」

 見せる理由は無かったが、見せない理由も無かった。入学当初は話しかけて来る人間が何人か居たが、話している内に段々と減っていきこの女生徒のみになった。彼女も宿題を見せてと頼む以外は話しかけて来なくなった。ヒソヒソと声が聞こえる。先ほどの女子生徒の声だ。

「また宿題写しに行ったの?」

「だってあの子何時も全部合ってるのよ?」

「でもちょっとキモくない?話しかけられても最低限の答えしか返って来ないじゃん。人間と喋ってる気がしないのよ。」

「後さ何か変な目なんだけど。猫みたいな」

「え、ほんと?」

「そう!何で眼鏡してんだろーってよく見たらさ、キモいわー」

 彼女らの話の内容はよく分からなかった。最低限の答えしか返って来ない事がキモいのか。目が猫の様だとキモいのか。

 

 帰宅後食堂の前を通ると虐めてきた兄姉の姿があった。普段と違い、酷く苦々しい、泣きそうな顔をしていた。

 管理AIが何か話している。

「一週間後、貴方は須山家に養子として移されます。以前から通達していた通り、成績が上位40%を下回れば見込み無しとして養子に出されます。」


「俺は…まだ…そうだ!空音がいただろ?アイツなら」

「空音様の目は余りにも特殊過ぎます。光の強い場所では活動が制限されるハンデもあります。引き取り手が居ないのです。」


「ふざけんなよ、ふざけんなよ!」

 奇妙な光景だった。普段自分をあれ程せせら笑っていた少年が管理AIに説き伏せられ、なす術もなく騒ぐ事しか出来ない。なるほど、成績が基準に満たないと型守家からは追い出されるらしい。しかしこれ以上聞き耳を立てても兄が騒ぎ立てるだけで意義は無さそうだ。空音はベットに潜り意識を手放した。

 また朝が来て学校に行く。しかし雰囲気が普段と少しだけ異様だった。いつもの女生徒が近づいて来る。話しかけて来なかったが目が合った。しかし直ぐに顔を顰めて離れていった。例の女性はがこちらを見てヒソヒソと話す。耳を澄ませて聞くと少しだけ鮮明に聞こえて来た。

「本当じゃん。何アレこの学校の子だったら、じゃああいうのは直ぐに調整される筈でしょ?」

「アンタが鈍すぎるんでしょ。どう見ても訳アリだよ」

「何かやっぱキモいよ。人間味が無いし。」

 なるほど。この目はよほど訳アリに見えるらしい。確かに不都合では有る。外では眼鏡をかけていなければ眩しくて物もよく見えない。これは是正されるべき特徴なのだろう。


 3時間目の授業で奇妙な物を見せられた。ニュートンのゆりかごと言うらしい。枠に8つの鉄球が一列にぶら下がっていた。端の鉄球を持ち上げるとカッという音と共に隣の鉄球にぶつかり同時に反対側の鉄球が跳ね上がった。真ん中の球が動かない様子は直感に反して面白かった。

 

 兄姉たちの不満は、日々積もっていく。一人が養子に出される事も相まって、緊張感が増していった。教育プランの課題が厳しすぎる日。模試の順位が思うように上がらなかった日。そんな時、彼らは空音の部屋の前で足を止め、ドアを開け放つ。

「なんだその顔」

 言葉と同時に髪を引かれる。背中を押され、机に額を打ちつける。彼らの表情には怒りというより、恐怖を紛らわせるような薄笑いが浮かんでいた。その振り上げられた拳が摘み上げられた鉄球と重なった。痛みを感じ体が悲鳴をあげていた。


 ベットの中でルゥに話しかけた。

「ルゥ、屋敷の人たちが私の体を傷つけるんです。」

「お嬢様のお立場を考えれば仕方のないことかと。お気持ちはわかりますが、」

 管理AIによりアップデートされた感情抑制プログラムに従いルゥが初めて空音に寄り添うような言葉を口にした。しかし空音は遮るように口をはさんだ。

「気持ち?」

「はい。お嬢様はご兄弟に傷つけられる事を嫌がっておられるのでは?」

 空音は記憶を探った。国語辞典に乗っていた一文を思い出す。

 嫌がる:何かに不快感や嫌悪感を抱いており、それを外面に表している様子を指。やりたくない、不満に思っているといった気持ちが言動や表情に表れている状態。つまり、不快に属する感情。

 「そうなんですか。わかりました。もういいです。」

 自らの内に貯まる何かの正体を確認し満足した。

 


 

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