第三章 隣国アールハイトス

第30話





 後頭部に柔らかい感触を感じながら、レオはゆっくりと意識を取り戻した。うっすらと目を開けると、そこにセレナの顔があった。


 長いまつ毛、煌めく蒼の双眼、きめ細かな白い肌、整った顔。


 テリア・ルーフェンが彼女を殺そうとしたのも、セレナ様の美貌に嫉妬したからなんじゃないかと思ってしまうくらいだ。


 ……綺麗だなぁ。やっぱり。


 彼女は心配そうな表情で、レオの顔を覗き込んでいる。その瞳には涙の跡があり、レオの顔を見て安堵の表情を浮かべた。


「レオ様! よかった……目を覚ましてくれたんですね……!」


 セレナの声は震えていた。


 レオは自分がセレナの膝の上で横になっていることに気づき、頬が熱くなるのを感じた。


「あ、あの……セレナ様、すみません……」

「いいんです! わたし、レオ様が死んじゃったのかと思って……ずっと、怖くて……」


 セレナはそう言って、レオの頭を優しく撫でた。頬に手を乗せ、髪を掻き分けて微笑む。


「でも良かった。ちゃんと生きててくれました! えへへ」


 うっ。かわいい……! というか、冷静になると恰好が危なすぎる。


 ボロボロでところどころ素肌が見える貫頭衣。こんな可愛い子がクソみたいな服を着させられているのは宝石を扱うものとして許せない。


 まぁ、僕の場合はもっと酷いけど。未開の地で過ごしている蛮族みたいな感じだし。あのリーダーの魔法剣がなければもう少しまともな恰好なのに。


 気恥ずかしさと彼女の優しさが胸に広がり、レオは居た堪れない気持ちになった。


「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫です」


 レオはゆっくりと身体を起こし、セレナと向かい合って座った。セレナは安堵したように微笑み、レオの手をそっと握った。


 ……さて、気も落ち着いたことだし、目を通しますか。


 その瞬間、レオの視界にあの時省略されたメッセージが再び現れた。


【初めて《箱庭》に《神座》が生まれました!】

【《神座・星の輪を追いかける獣》があなたの《箱庭》に帰属します!】


【《神座・星の輪を追いかける獣》の膨大な《神威》が《箱庭》と相互作用します!】

【新たな神性因子《夜》を獲得します!】

【新たな神性因子《月》を獲得します!】

【新たな神性因子《狼》を獲得します!】

【《神座・星の輪を追いかける獣》と環境因子《月の森林》が相互作用します!】

【環境因子《月の森林》が《月狼の領域》に変化しました!】

【環境因子の変化に伴い《箱庭》の一部の資源が変化します!】


【《箱庭》に新たな概念が加わります!】


【法則因子《時間軸》を獲得します!】

【《箱庭》は《時間軸》の法則を獲得しました!】

【《箱庭》全体に法則因子《時間軸》が適用されます!】


【准神格《神座・星の輪を追いかける獣》は真体を失っています!】

【《神座・星の輪を追いかける獣》は《月の神殿》に祀られます!】


 ずらりと並んだメッセージに、レオは目を見開いた。


「なんだこれ……」


 ぼそりと呟くと、セレナは首を傾げた。


「どうしたんですか、レオ様?」

「いや……《箱庭》が、少し変わったみたいで……」


 レオはそう言って、改めて周囲を見渡した。


 気絶する前に一瞬見えた光景とはまるで違い、《箱庭》の空は夜色に染まり、満月が空に浮かんでいた。そして、その月明かりの下、森は銀色に輝き、幻想的な光景を作り出している。


 ……夜だ。夜が来た。


 殺風景で時間の経過もなく、空を見上げてもひたすら虚空があるだけの世界に、夜が訪れた。


 静かにレオは感動し、目を輝かせた。しかし、浮足立っている時間も今は惜しい。自分の気持ちに蓋をして、新たに解放された機能を使用する。


【《箱庭》へのアクセス】

【退室】

【操作】

【転送】

【窓】


 【窓】を選択すると、レオが気絶する前に居た場所がウィンドウに表示される。動かそうと指でスワイプすると視点が反対方向に動くらしい。


「これ、私とユユがレオ様を見ていたときと同じやつです!」

「一緒に見ましょうか」

「はい!」


 ウキウキでセレナはレオの隣に密着し、二人仲良く《窓》を見る。


 そこは変わらず夜の森の中で、差し込む月の光が僅かに森の中を照らしている。


【《窓》にスキル《暗視Lv.1》を適用します!】


 そんなこともできるのか。便利だな。


「急に見えやすくなりましたね! これもレオ様の力ですか?」

「まぁ、そうですね」

「凄いです……あっ、もしかして馬車のときも見えてました……か?」


 恥ずかしそうに頬を染めてレオを見るセレナ。


 ……藪蛇を踏んだか。実際色々見えてしまうのは貫頭衣だし、仕方がないんだが、貴族にそんな言い訳は通用しない。セレナ様は優しいから何とかなると思うけど、今後は気を付けないといつ首が飛ぶのかわからない。


 反省だ。


「ごめんなさい。実はちょっとだけ」

「ぅ、恥ずかしいです……でも、あの人たちに見られるくらいなら、レオ様に見てもらいたい……というかっ! えっと、いや、別にそういう意味で言ったわけではなく! えと、えあ、うぅ……すみません……!」


 真っ赤だ。白い肌だとなおさらわかりやすい。


「大丈夫ですわかってます。変な勘違いはしませんから、安心してください!」


 セレナ様は半ば強姦される一歩手前だったのだ。大柄な男たちに囲まれ、視界を制限され、食事を制限され、殴られ、排泄を見世物にされることを強要されていた。


 一応なりとも男である僕にトラウマを覚えてもおかしくない。


「……それは、それで、その……なんでもないです」

「? とりあえず見た感じ、敵となる人間やモンスターは居ない……全くと言っていいほど」


 何もない。死体も、馬車も、何もかも。


 へし折れた木々と血痕だけが残っており、いくら視点を変えても僕が殺した彼らの死体が見つからない。


 アレらを回収するにしても、相当な人数を割かない限り一夜では無理だと思うんだが……。


 気絶する前は夜だった。目が覚めたのも夜。


 だからすぐ起きたんだと思ってたけど。


「……もしかして、僕たちすごーく寝てたんじゃ」

「……お昼まで寝ていたときの何倍もすっきりした気分でしたが、もしかして……?」


 お互い顔を見合わせる。


「……不味いな。完全に脱走がバレた。どうあがいても警戒網を敷かれているはず。王都に向かう道は全部見張られてると考えていい」


 レオは舌打ちをする。


 どうするべきだ? 完全に警戒されている中で迂闊に街の中に入ったら即発見コース間違いなし。


 アールハイトスのこの地の領主も相当気が立っているはずだ。なんせ隣国の五大貴族の公爵令嬢を誘拐し辱めていたんだから。


 発覚すれば即国際問題に発展する。死にものぐるいで僕らを探しているはずだ。


 ……だが、仮想敵たちはセレナ様の容姿は知っていても僕のことは知らないはず。


 何故なら僕は突然生えてきたぽっと出の協力者だから。例え知られていても僕のことを探し出すのは容易じゃない。


 だって僕、地味だから!


 栗色でボサボサの髪と瞳に特別優れているわけでもない容姿! ザ・普通にして一般人だ。


 いや、ご先祖が貴族だったから多少はマシかもしれないが、それでもマシ程度。バレる要素にはならないはずだ。


 外に出るのはやっぱり合理的に考えて僕しか居ない。


 何より《箱庭》にはご飯がないのだ。


 正直お腹が空いている。






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