A Short Vacation

天野橋立

#1「地上」への扉を開いて

 ピカピカに磨きあげられた金属板に囲まれた艦内エレベーターの中は、艦底居住区の雑然とした雰囲気とも違った独特の無機質さがあって、息苦しかった。

 でも、壁の数字はどんどんと増えて、わたしは確実に「地上」へと近づいている。あと、ほんのちょっとの間の辛抱だ。この宇宙の真っただ中では極めて貴重な、青い空と水面が広がる明るい風景を、今日も目にすることができる。この仕事をしていて、それがもっとも幸せなひと時なのだった。


 階数の表示が「B1」になったところで、ようやく扉が開いた。このエレベーターでは、「地上」まで直接上がることはできないのだった。

 扉の向こうに続く狭い通路の左右には、地上軍の制服を着た兵隊さんが一人ずつ立っていて、行く手を遮っていた。ここが「地上」への通行者をチェックするゲートで、ちゃんと許可をもらわなければ、通路の途中に設置されている電磁バリアを通過することはできないようになっている。


 エレベーターを降りたのは、わたし一人だった。歩きはじめるとすぐに、兵隊さんの一人が声を掛けてくれた。

「こんにちは、お嬢さん。『上部保養地』へ御用ですか?」

 それが「地上」の正式な名前だった。

「はい。お届け物の配達です」

 クリーニング済みの服が入ったかごを、わたしは兵隊さんたちに見せた。小柄なわたしに比べると、二人とも見上げるほどに大きい。

「右舷クリーニング室のところの子だよ。俺らの制服も、そこがきれいにしてくれてる」

 もう一人の兵隊さんがそう言ってくれた。こちらの人は、顔に見覚えがある。


「ああ、なるほど。では一応、所属証明書アイディーと通行許可証をお願いできますか? 決まりですので」

 そう言われて、わたしは作業長から渡された書類を手渡した。

「マヤ・トアロードさんですね。では、お通りください。配達、ご苦労様です」

「ありがとうございます。兵隊さんたちも、お勤めお疲れ様です」

 わたしがそう言うと、二人はにこっと笑って敬礼してくれた。地上軍の兵隊さんの中には、すごく乱暴な態度の人もいるけれど、この人たちはとても感じが良かった。今日は当たりの日だ。

 軽くなった足取りで、電磁バリアの解除された通路を真っすぐに進んだ。そして、突き当りの階段を昇る。顔を上げると、扉の窓が明るく光っているのが見える。あれはもう、「地上」の光だ。


 両親の仕事の関係で、わたしは月面最大の都市、宙京市で生まれ育った。

 巨大なドームに覆われた人工都市の集合体である宙京市は、基本的には業務ビルや集合住宅が高密度に集まる、灰色で無機質な場所だ。ただ、中には海や森の作られた保養地ドームもあって、たまにそこへ連れて行ってもらうのが、わたしはとても好きだった。

 両親は、その後の大きな事故で命を落としてしまった。私は施設に収容されたが、そこには同じような境遇の子供たちがたくさん暮らしていた。宇宙での仕事はやはり過酷で、事故で亡くなる人も珍しくなかったのだ。はじめはもちろん辛く悲しかったけれど、みんな同じだったからすぐに慣れてしまった。

 わたしたち「宇宙孤児」は宇宙開発機構の運営する職能校への進学が保証されていた。ただ、卒業後の就職先はやはり宇宙の職場ということになっている。十六歳になったわたしは、木星軌道付近を周回する補給艦での仕事をあっせんされることになった。


 嬉しかったのは、なんとその艦内にビーチがあったことだ。全長何キロもあるというこの巨大な補給艦は、宇宙軍の軍人さんのためのリゾート艦という役目を持っていたのだった。

 わたしにとっては、今でもあの月面のドームの海こそが、憧れの青い海だ。本物の地球の海も見てみたい気はするけれど、暗い宇宙で青く光る、人工の海の美しさには敵わない気がする。

 だから、リゾート艦への就職は本当に嬉しかった。たとえ、狭苦しい艦底居住区での生活の、ほんの合間にその風景を眺めることができるだけだとしても。


 階段を昇り切って、体重を預けるようにして重い扉を開いた。その向こうはまだ外じゃなくて、エアロックの小部屋だけど、室内は外からの光に満たされている。部屋を横切って、さらにもう一つの重い扉を開く。そして。

 目の前が一気に開けた。宇宙空間を航行する艦の中とは信じられないような、青い空と緑の草原、そしてその間を続く小道の彼方できらめく水面。ここがこの巨大補給艦「ペパーミント・ブルー」の中心区画となる「上部保養地」、通称「リゾート都市」だった。

 小道を下って、疑似海岸沿いを走る「ルート55」という幹線道路に向かう。今日のお届け先であるダイナーは、あの道を走る艦内バスに乗ってすぐのところにあった。右手に提げたかごの中には、そのお店の制服が何着か入っている。

 赤白のストライプ模様のダイナーの制服はとてもかわいくて、うらやましいのだけれど、こんなミニスカートなんてわたしはとてもはけない。足のすらりと長い、ウェイトレスのお姉さんだから似合うのだと思う。


(#2「『KEI'S DINER』のドロシーさんと『あずにゃん』」に続く)

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