第30話 魔法少女ルーちゃんの日常。と、その崩壊。 ➉


 ――。


 真っ黒な世界が真っ赤になって、次には真っ青になった。

 その青は、空であり川であり田であった。


 目の前には、空や田園がめちゃくちゃに結合された世界が展開されている。

 ここは、天国? それとも地獄?


 いや。私はこの光景を知っている。ここは、ブリギオルが創造した世界。現実の世界だ。


 つまり、私……。


「生きてる?」

「ルー!」


 私が囁くのと、首からそんな大声が聞こえてくるのが同時だった。この、聞き覚えのある声は。


「え、ゲトガー!」

「ルー! 良かった。お前なら死なないと思ってた!」


 妙にハイテンションのゲトガーに、思わず私は引いてしまう。なんか、気持ち悪……。


 よくわからないがどうやら、ゲトガーが私の元に戻ってきて助けてくれたようだ。訊かなくても、嬉しそうなゲトガーと、怒り心頭といった様子のブリギオルを見れば、なんとなくわかる。


 そっか。ゲトガー、ブリギオルの元を離れてまで、私を助けようとしてくれたんだ。


 暖かいスープを飲み込んだみたいに、胸の奥に優しい光が灯る。

 喉に込み上がる痛みと、目に浮かぼうとする雫をなんとか我慢しながら、私は両手で自分の首に……ゲトガーに触れた。


「助けてくれてありがとね。ゲトガー」

「……おう」


 ゲトガーは、気恥ずかしいのか小声でそう言った。照れるなやい。

 私たちをよそに、最強のエイリアンは。


「ゲトガー。嘘だろ? そんな地球の小娘に、私のゲトガーが、あ、ああ。あああああ」


 ブリギオルは、世界の終わりのような雄たけびを上げ、滂沱の涙を流し、その場にくずおれてしまった。


 途端。ブリギオルの周辺の景色が、絵筆でかき混ぜられた絵具のように湾曲し始めた。それはまるで、彼を中心とした小規模のブラックホールのようだ。


 世界が、ブリギオルに向かって収束していく。奴が世界を縫合し、畳もうとしているのだ。継ぎ接ぎの空と大地が、ブリギオル目掛けて収縮する。


「お前がこないのなら、こちらから無理やり呼んでやる」

 ブリギオルは、世界を混ぜながらぶつぶつと呟いている。


「わかっている。お前はその女に洗脳されているんだな。でも、大丈夫だ。何度でも。何度でも。お前を引きはがしてやる。そして、私の体に縫合してやるからな。私の体に寄生し、生きていくいい」


「ゲェっ!? あいつ、そんなこともできんのかよ?」

(――俺らが俺らに寄生するとか、聞いたことないぞ。しかし、ブリギオルの縫合の力があれば、俺を無理やり寄生させることも可能なのかもしれない。俺があいつに寄生なんて、想像したくもねぇが)


 この継ぎ接ぎされた小さな世界は今、文字通り、ブリギオルを中心に回っている。世界の断片は惑星のようにブリギオルの周りを漂い、星の脈までも見えてしまいそうで。

 私はなんだか、銀河そのものを相手取っている気分にさせられてしまった。


 なんなのあれ? 一介いっかいの成りたて魔法少が戦っていい相手なの?


「ゲトガー。戻ってきてくれたのはいいんだけど、ブリギオルに勝つ算段はあるの?」

「ある」


 即答するゲトガー。そのあまりの速さに私は目を眇めてしまう。こいつ、なんか適当に喋ってるんじゃないか? と疑ってしまったのだ。


 ゲトガーは、冷静に言葉を並べていく。

「作戦はこうだ。とにかく、俺があいつのことを食いまくる」

「うんうん。それから?」

「以上だ」

「……私は、ジョークじゃなくて作戦を聞いたんだけど?」

「まあ、最後まで聞け」


 咳払いをするゲトガー。

「要は、やつを食いまくって力を付け、やつより強くなればいい。奴は、切り離された部位にまでは自分の力が及ばないらしい。だから、内側から体を破壊されるようなことは、ないはずだ。……。恐らく」

「恐らく!?」

「恐らく」


 頷き、ゲトガーが続ける。

「あいつの縫合の力は未知数だ。俺とお前の体でやつを消化しても、内側で縫合されて復活されたらたまったもんじゃない」

 確かに。ブリギオルなら、塵一つになっても復活してきそうで怖い。

「でもまあ、それくらいしか作戦はなさそうだね?」

「ああ。この世界ごと奴に取り込まれてしまう前に、奴を食らうぞ。だが、そのためには……」


 言いづらそうに、ゲトガーが口をつぐんだ。


 私は、磔にされている自分の体を見やる。右腕も左腕も右足も左足も。ブリギオルの手によって世界に結合され、私は今身動きをとることができない。


 そっか。ゲトガーは私の体を案じてくれているんだ。

「ええっと、ここから脱出すればいいんだよね?」

 言下、私は。


 ……この世界に繋げられていた自分の右腕と左腕を思い切り引っ張り、千切り取った。


「お前っ……」

 木に繋げられていた右腕は、肘から先を木に残し。田園から生えた雲に繋げられていた左腕は、肩から先を雲に残して。私の両腕の先は消え去ってしまう。


 血液の軌跡をくうに描きながら、私の両腕は自由となった。


 私は両腕がない状態で、今度は両足に力を入れた。

 骨が軋み、血が飛び、筋繊維が潰れ、千切れていく。


 電柱から私の右足が、水道ポンプから私の左足が。同時に千切り取れ、だるまとなった私は再び自由を取り戻し、宙を舞って泥濘の中へとダイブすることと相成った。不味まず、泥。


「ほい。脱出できたよ。ゲトガー、回復よろしく。ちょっとはパワーアップしたんでしょ?」

「お、お前な……。ちょっとは自分の体を大切に扱えよ……」

「あ、うん、ごめん」

 今更引くなよ。


「って。ごめん。ゲトガーにも痛み伝わるんだよね? もう私の体は私だけのものじゃないし、今度からは、やる前に一言断りいれるよ」

「気色の悪い言い方すんな」


 ゲトガーが吐き捨ててから。

「あと、俺の痛みは気にするな。恐らく、お前ほど痛くはない」

「あ、そー?」


 そんなことを話している間にも、ゲトガーは私の両腕両足を再生してくれている。以前より随分と早くはなった。しかし、牛歩である。


「ありがとね」

 礼を言い、私は、治りかけの両腕で泥の中をもがきながら進み、ブリギオルの元へ向かった。


 赤ちゃんみたいな手と足で這いずる私の歩みは遅々としたものだった。が、ブリギオルが世界を収束させていることもあり、私とブリギオルの距離は急速に縮まりつつある。


 ブリギオルとの距離が一メートルにまで迫ったとき、私が引き寄せられるスピードが更に速まっていく。


「まじでブラックホールみたいじゃん!」

 叫んだところで世界は止まらない。私の歩みも止まらない。


「臆すなルー! 飛べ!」


 ゲトガーの声とともに、私は、小世界ブラックホールを生み出すブリギオルの元へとジャンプする。


 ブリギオルとの距離が縮まるごとに、皮膚が、肉が、血が、神経が、骨が。世界の中に混ざっていく。


「大丈夫だ、ルー」

 ゲトガーの優しい声が、首から聞こえてくる。


「俺が全部食らってやるッ!」


 私は、継ぎ接ぎのこの世界ごと抱きしめるみたいに、ブリギオルを抱きしめた。はなさないように、はなされないように、力強く、ぎゅっと。


 ブラックホールを抱く私の体が無事であるはずはなく、体の端々からボロボロと崩れ落ちていく。


 しかし、ゲトガーも負けていない。


 牙の鳴る音。

 文字通りの、挟撃。


 私の首にいるゲトガーが、ブリギオルの首に噛みつき、肉をこそぎ取った。ブリギオルの血が、閉じられた世界を彩る。


 しばらくは、ゲトガーとブリギオルの攻防が続いた。


 ブリギオルが私を消そうとし、ゲトガーはひたすらにブリギオルを食らい、力を増やし、壊れた端から私の体を治していく。


 壊れる世界。回る世界。

 飛び交う肉と血。それらさえもこの世界の一部となって、やがては収束していく。

もう随分、この世界は小さくなってしまった。夕陽が、田園の中で踊っている。


「ゲトガー、ゲトガー、ゲトガー、ゲトガー」

 ブリギオルは、世界を混ぜながら、私を食らいながら、ゲトガーに食らわれながら。虚ろな目で、ただ、ゲトガーの名を囁いていた。


「むぐむぐ……。っクソ。らちが明かねぇ」


 ゲトガーは、必死にブリギオルを食らっている。だが、ブリギオルも私と同様、壊れた場所をすぐ、世界から補填する。


 ブリギオルの体を食う度にゲトガーの力は増し、再生力も上がっているようだが、それでも。


 ……世界が私を食らい尽くす方が、幾らか早そうだ。


 ん?

 ちょっと待って、ちょっと待って。


 というかさ。

 ゲトガーばっかりお腹いっぱいになってずるくない?


 ずるいよね?


 ……。

 

 私は、口を。

 大きく広げる。


「あーむ」

 言って。


 私は。

 ゲトガーの口ではなく。


 ……自分の口でブリギオルに歯を立てた。

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