第28話 魔法少女ルーちゃんの日常。と、その崩壊。 ⑧


 覚えているのは、ブリギオルがこう呟いたこと。


下郎げろう……」


 それからブリギオルは、変身した私の目でもとても追いきれないスピードでこちらにむかってきた。

 宇宙船なしで地球にやってくるようなやつだ。やつの本気の速さには、私程度では対応できるはずもないだろう。


 ブリギオルはまず、私の右腕を掴んだ。

 やつの手はちょうど、私の人間と魔法少女の境目の部分に触れていた。電柱を武器に変えた私の力を警戒しているのだろう。


 ブリギオルは、小枝でも折るかのように私の右腕の骨を粉砕。

 そのまま、ぐちゃぐちゃの私の右腕を後ろの木に無理やり接合した。私の腕が木に入り込み、木が私の腕に入り込む。ブリギオルの力であろう。


 私はすかさず、残った左腕の爪の先をブリギオルに突き立てる。しかし、単調な私の攻撃は、ブリギオルに簡単に見切られてしまう。

ブリギオルは、自身の右腕で私の肘の辺りを掴む。今度は私の左腕を、田園から生えていた雲と縫合した。


 それからやつは、私の右足を電柱と縫合し、私の左足を水道ポンプに結合した。これで私は、完全に身動きが取れなくなっていた。


 今の私ははたから見れば、買い手のつかない哀れなガラクタ人形にでも見えることだろう。


 狂った世界にそのまま磔にされてしまったが、ブリギオルの手は止まらなかった。やつは、私の腹に手を突っ込んだ。皮と肉と血と骨を掻き分け、私の腹部と臓物が露わとなる。


 ブリギオルは、私の腹の中をかきまぜながら、目に涙を浮かべて。


「すまない……すまない、ゲトガー……。痛いよな? もう少しの辛抱だからな」

 と、ひたすらにゲトガーへの謝罪の意を示していた。


 そんな、やつのわけのわからない挙動に背筋と肝が冷えるが、今はそれどころじゃない。


 経験したことのないような痛みが私の全身を慌ただしく駆け回る。

 あれ? 脳をかき混ぜたときの方がマシじゃなかった? あ? あの時は脳かき混ぜてハイになってたからか。あ、はは、は。


「あ、あはは」


 私は、あまりの痛みに思わず笑ってしまった。

 目から、口から、鼻から、様々な場所から。とめどなく、体液が流れ出ていく。私は、壊れて馬鹿になった蛇口のようになってしまっていた。


「すまない、すまないゲトガー。こいつをいたぶったら、すぐに切り離してやるから」


 そんな私の状況など、ブリギオルには関係がない。

 ブリギオルは、私の体から臓物をひっこ抜き、皮をはぎ、その辺にあったものと私を、むちゃくちゃに縫合していく。


 ゲトガーはずっと体の再生を試みてくれているようだが、こうなればもう、それも雀の涙。


 私の体は、ブリギオルの手によって様変わりしてしまった。


 カラスが腸の間に住み、夕焼けが体の中に咲き、カエルが皮膚の中に潜み、空が瞼の裏に隠れ、空気が爪の先に灯り、雲が腹の中に詰め込まれた。


 今の私はもう、人間でもエイリアンでも魔法少女でもない。体の至る場所から生物も無生物も関係なく生やされた、ただの化け物である。


 ここで私は、ブリギオルと戦うとどうなるのか訊いた際のゲトガーの返答を思い出した。


 ……死ぬだけじゃない。無残に死ぬからだ。


 あ。あー。あれって。こういうこと……?


 こんなん。

「魔法少女がしていい姿じゃねーだろ」


 掠れた声で、私はそう吐き捨てる。


 いやでも、ヒロピンって一定の需要あるしなー、とか。特にニチアサ枠は。と、ぼんやりする頭で考えていると。


「お前、悲鳴の一つでもあげたらどうだ」

 ブリギオルが、驚いた顔でそう言った。


「あげて……助かる状況じゃないでしょ。それとも、あげた方が盛り上がる感じ……?」


 これは勿論強がりだが、褒めるなら私じゃなくてゲトガーを褒めてあげてほしい。……あ、今思えばブリギオルこいつ、私の首は全く傷つけてない。それでも、ゲトガーは痛いはずなんだけどな。


 ゲトガーは痛みを、声を、我慢してくれている。それはなぜか。彼はまだ、こいつに勝つことを諦めていないからなのだろうか。


「だい……大丈夫? ゲトガー。痛いの嫌いでしょ?」

 血が混ざった涎を垂れ流しながら、私はなんとか言葉を紡ぐ。


「お……れの……心配してる場合か、アホ女」

 ゲトガーが、力ない声で呟いた。


 そんな私たちを、ブリギオルは不思議そうな目で見つめている。

 私は磔のまま、余裕そうなブリギオルを睨みつける。


「ブリギオル。これはなに? あなたの趣味? いい趣味してるね。普通に殺せばいいのに」


 言っているが、私はこんなやつに殺される気なんてさらさらない。しかし、こいつに勝てるビジョンは一切見えない。

 ブリギオルは、大儀そうに。


「これは、単なる遊びだ。殺す前の」

「遊び?」

 やっぱり趣味じゃん! 気持ち悪!


 顔をしかめた私に、ブリギオルが問いかける。

「お前も、小さな虫を殺して、いたぶって、遊んだことくらいあるだろう? それと一緒だ」

「は? そんなの、あるわけ……」

 いや。すげー小さい頃にあったかも。やっべ。


「お前のせいで……ゲトガーもめっちゃ痛がってるよ? それはいいの?」

 思わず私は、話を逸らした。


 ブリギオルは、目をうるませながら。

「ゲトガーを切り離すには、お前の体を弱らせる必要がある。この痛みは、必要な痛みなのだ。ゲトガー許してくれ」


 呟きながら、ブリギオルは涙を流していた。


 しばらくしてブリギオルは、私の腹かれ手を引っこ抜いた。

 あとに残ったのは、腹に穴が空いた、なんの生き物なのかもわからない、私だったもの。


「ぐちゃぐちゃになったのは、貴様だったな。地球の娘」

 血と臓物に濡れた右腕を一振りするブリギオル。田園の上に、赤の弧が描かれる。


「さあ。今、その悪魔から切り離してやるぞ、ゲトガー」


 ブリギオルが囁くように言い、右腕を前に掲げながら、私に一歩近づく。

 ブリギオルの魔の手が、私の首に迫る。私は、その手から目を離さずに、言う。


「ゲトガーは、渡さない」


 一瞬、ブリギオルの動きが止まった。


「どうしてだ? お前も、ゲトガーがいない方が生きやすいだろう。……まあ、お前はこのあとすぐに死ぬことになるから関係はないが」


 ブリギオルが、右腕を下げる。少しだけ私に興味を持ってくれたのか、その表情は険しいながらも、少しだけ和らいだように見える。


 私は、自分の首に住むゲトガーに思いを馳せる。


 彼がいたから、私は魔法少女になることができた。生きる希望を繋ぐことができた。

 最初、ゲトガーは私を殺そうとしたし、私もゲトガーを殺そうとした。

 でも、今は。

 なぜだか。


「……私、ゲトガーと離れたくない」

(――こいつ……)


「だって、ゲトガーと離れたら、私……」

 ゲトガーがいなかったら、私は……。


 私は、心の丈を、閉じられた世界全体を震わせるほどの大声で叫ぶ。


「魔法少女になれないじゃんか!」


「……」

「……」

(――えぇ……?)


 三人の間に、重苦しい沈黙が舞い降りた。


「失望したぞ、娘」


 ブリギオルが、再び右腕を振りかぶる。


「地球の娘。お前にとって、ゲトガーはどういう存在だ? 自分の力を高めるための、ただの道具なのか?」


 なんだろう。考えたこともなかった。


「私にとってゲトガーは……」

 

 主従?

 仲間?

 ライバル?

 隷属関係?


 ううん、どれもなんだかしっくりこない。


 ゲトガーとはまだ出会って間もない。でも、彼と過ごした時間はとても楽しかった。誰といるよりも安心できたし、信頼できた。


 彼と話すのは楽しい。彼と一緒に食べるのは嬉しい。


 私の彼への気持ち。これを表す言葉はきっと存在する。


 でも、私はゲトガーのことをそう呼んでいいのかがわからない。


 だって。

 たぶん、それは。

 そんな存在は。


 今まで私に、一度もできたことがないから。

 ゲトガーを勝手にそう呼んでいいのかわからないんだ。


 でも、私は、今。

 彼とそうなりたいと、思っている。


「ゲトガーは、ただの」

 ぽつりと、なにも考えずに、口が、言葉を吐いた。

「ただの?」

 ブリギオルの問いに対して、思わず緩んだ口元から、なんの躊躇いもなく本心がこぼれおちる。


「――ただの、友達だよ」

(――ルー……)


 言葉にしたことで、なんだか胸のつっかえが取れたかのような感覚があった。

 なんだか体が軽い気がする。いや、私は今この世界の一部みたいなものだから、体が軽いなんてはずはないのだろうけれど。


「そうか」

 ブリギオルが、静かに言った。

 そうして。

「ゲトガーはそうは思っていないだろう」

 ……ブリギオルが、右腕を動かした。


 腕の残像を目で捉えようとした時には既に、その動きは止まっていた。ブリギオルの手中には、ゲトガーの牙が付いた、私の喉が存在していた。


 目の前で、赤が弾ける。

 血? 誰の?

 あ、私か……。


 ブリギオルは一瞬にして、私の首の前部の肉を千切り取ったのだ。


「ルー!」

 ブリギオルの手の中にいるゲトガーが叫ぶ。まだ、私の首の後ろ側にも牙が付いているはずだが、そちらには既にゲトガーの意識はないらしい。


 って、はは。こんなときになに考えてるんだか。


 あ、やばい。呼吸が、でき、な。

 意識、が、遠のいて、く。


 私は、血で滲む虚ろな視界にゲトガーを入れて、微笑んだ。


「初、めて……名前、呼んで、くれたね……」


 血がごぽごぽいってて、この言葉がゲトガーに伝わったのかはわからない。


 世界が。ゆっくりと閉じていく。


 夜を知らせる天使が、黒のカーテンを世界中にかけたみたいに。

 私の視界は、真っ黒に染まってしまった。


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