第2話 人形たちよ、どうか幸せな夢を.2

 天城がお店に来てくれるようになってから、お店で過ごす私の時間は少し明るいものになった。


 相変わらず、私をからかう面倒な同世代はいるけれど…でも、天城が話してくれるニホンでの暮らしの日々や、こちらに来てから打ち倒した魔物たちや管理官の話を聞くと、暗い気持ちはあっという間に晴れた。


 暗雲を払う光。天城蓮は、私にとってそういう表現がぴったりな存在となった。


 天城がお店を尋ねることが当たり前になったある日、私にとって、また彼女の存在が大きく変化する出来事があった。


 陰気な私が人形屋を引き継いだことをからかう同年代の女と天城が、このお店でばったりと出くわす事態が起きたのだ。


 私と同い年で商人の娘であるカミラと、衛兵の娘であるアジール。この二人が人形を買うつもりもない癖にお店の扉を開いたのだ。


「こんにちは、グレイジャー。ご機嫌いかがぁ?」


 カミラは商人の娘らしい美しい布地のスカートの裾を両手でつまみ上げて挨拶すると、ニヤニヤとした顔を向けてきた。


「カミラ、アジール…。何しにきたの」


「何、その感じ。迷惑とでも言うつもり?」


 今度はアジールが私を睨む。シンプルなズボンとシャツが、父親同様武芸を磨くことを志しているアジールに嫌味なほどぴったりだ。


「別に、そういうわけじゃないけど…」


 男勝りなアジールを恐れる者は多い。腰にぶら下げた剣も怖いが、彼女の恋人と噂の相手も手厳しい衛兵だと聞いたことがあるから、そちらも不安を煽った。


 例に漏れず、私もアジールを恐れていた。カミラほどではないが彼女も嫌味な性格だったので、私は今日もどうせ気の済むまでいびられるのだろうと辟易としていた。


「ふんっ、別にいいじゃない。どうせ暇なんでしょ、今日も」


「いや、人形を編まなきゃいけないから、暇じゃ――」


「売れない人形を?」


 カミラのほうは商人の娘らしくよく舌の回る女だった。私の言葉尻を取ってよく皮肉ってきたし、惜しみない嘲笑をぶつけてくることも多々あった。


「っ…」


 事実が事実だけに、私は何も言えず唇を噛む。いや、仮に事実ではなくとも、私はきっと彼女たちに何一つ言い返すことはできないだろう。そういう情けのない人間だ、私は。


 黙り込んだ私をニヤニヤ見つめるカミラは、ご機嫌な足取りで私の座っているカウンターの前までやって来ると、無言で自分を睨みつけるクマのぬいぐるみ――オリバーを見下ろして、不愉快そうに眉をひそめた。


「生意気な人形ね。グレイジャーが作ったの」


「…違うよ。おばあちゃんが、作ってくれた人形」


「ふぅん、どおりで出来がいいと思ったわ。でも――」


 カミラは苛立たし気に唇を尖らせると、突如、オリバーを指先で掴み上げた。それこそ、ぼろ雑巾みたいに!


「こんなぼろ人形、店先に置いているから誰もお客が来ないのよ!私がもっと品質の良い物を仕入れてあげるから、こんなもの捨てて、そっちにしなさいよ!」


「お、オリバー!」


 摘まみ上げられたオリバーは、顔を苦しそうに歪めこそすれど、何も言わない。違う、言えないのだ。


 私が何も言えないから。


 人形師が作るぬいぐるみや人形は、持ち主の分身みたいなものだ。


 その人の心を映すから、持ち主にできないことはできない。無言で睨むことは私同様できても、明確な抵抗なんてできないのである。


 それでも、一番大事な人形を、祖母の優しさと慈しみの塊が詰め込まれた宝物であるオリバーを酷く扱われた私は、さすがに腰を浮かせて立ち上がるくらいはした。


「や、やめてよ、カミラ」


 反抗的な態度が気に障ったのか、カミラはいつも以上の勢いでヒステリックな様子を見せる。


「はぁ?私はグレイジャーのためを想って言ってあげているのよ。あんた、商才なんてないんだから、店主なんて辞めなさいよ!」


「うっ、うぅ…」


 それは事実だ。


 私に、才能なんてない。


 だが、それでも。


「で、でも、おばあちゃんのお店…」


「どうせこのままじゃ潰れるんだから、意味無いでしょう!」


 このままじゃ、潰れる。


 刹那、私の脳を駆け巡るのは、祖母とこの店で過ごした思い出の数々。


 オリバーに命が吹き込まれたときのこと、人形を愛する者で賑わう店内、閉店後に教わった人形師としてのぬいぐるみの編み方。


 どれも温かく、美しい思い出だった。でも、それを揺さぶる嫌な記憶が次々と網膜に浮かび上がる。


 去っていく祖母、次第に客足が遠のき寂しい沈黙が漂う店内、古ぼけていくオリバー、埃だけが積もる人形たち…。


 じわり、とこらえきれない涙が瞳にたまる。それを見ても、カミラはヒステリックに私を罵る。


「あのねぇ、こっちは昔馴染みだから親切心で言ってやってんのよ!あんたのとこ、ただでさえ貧乏なんだから、さっさとちゃんと経験のある人間にお店を譲って、あんたは普通の仕事に就きなさいってね!」


 さすがに言い過ぎだと思ったのか、アジールが苦い顔で、「カミラ、そのへんに…」と言いかけた。


 だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


「おい、邪魔するぜ、グレイジャー…」


 ドアベルが鳴ると同時に店内に入ってきたのは、天城蓮だった。




「珍しい、先客かよ」


 皮肉な笑みでそう呟いた天城だったが、私が泣いていたこと、いつも私の肩に乗っているオリバーがゴミみたいにつまみ上げられていることから、ただならぬ状況であることを察したらしく、すうっと目を細め、カウンター前のカミラと、入口から数歩離れた場所に立つアジールを睨んだ。


「…どうやら客じゃあねぇなぁ。なにやってんだ、お前ら」


「部外者は引っ込んでろ、異世界人」即座に噛みついたのはアジールだ。「私たちの問題だ」


 その言葉を受けて、天城は明らかにイラっとした様子で肩眉をひそめるも、ぐっとこらえた様子で無言を保つと、視線を私とカミラのほうに向けてきた。


 カミラはそのうち、私が何かを口にする前にぺらぺらと状況を説明してみせた。もちろん、だいぶカミラ側の言い分に偏った内容だったが、嘘だけは的確に吐いていなかった。


「店主を退く、ねぇ…」


 今度は明確に、天城は私だけを凝視した。


「おい、グレイジャー」


「え、な、なに…?」


 急に名前を呼ばれて、思わずどもる。そんな私に、天城はどこまでも淡々と告げる。


「お前はどうしたいんだよ」


 その問いは、不思議と私の胸を澱みなく響いた。


「わ、私が…?」


「あぁ、そうだ。お前がどうしたいか。私にはそれしか興味がねぇ」


 私がどうしたいか。そんなものは決まっている。


「私は、おばあちゃんから受け継いだこの人形屋の店主を続けたい、です」


 ついさっきまで震えていた声は、もうどこにも聞こえなかった。


「おう。じゃあ、そうすりゃいい」


 ニヒルに笑う天城蓮。あぁ、やっぱり彼女は光だ。私の中の迷いを容易く払う。


 もちろん、カミラもアジールもそれをよしとしなかった。


「ちょっと、話を聞いてたの、異世界人!こいつに任せていたって、こんな店、潰れちゃうのよ!?」


「んなもん、分からねぇだろ。まぁ、確かに人形は一昨日と変わらずどれも売れてねぇみてぇだがな」


 肩を竦めて天城が告げる、ぐうの音も出ない真実に息が詰まるが、激昂したのは私ではなくカミラだった。


「あ、あんたみたいなよそ者の素人は黙ってなさいよ!」


「はぁ」


 天城が苛立たし気にため息を漏らす。


「部外者、異世界人、よそ者――……だったらお前は何者だよ。どういう立場でグレイジャーの生き方に指図してんだ?」


 その瞬間、天城の瞳に冷たい光が宿った。何度か町の周辺で見かけたことがある、獰猛な狼型の魔物の眼光に似ていた。


 背筋をつたう寒気に、殺気だ、と私が理解したのも束の間、天城のそばに立っていたアジールが腰に帯びた剣の柄に手を伸ばした。


「抜くなよ、現地人」


 分かりづらい意趣返しと共に、天城が横目で鋭く牽制する。


「私もグレイジャーの大事な商品を壊したくはねぇが、抜かれちまうと、そうも言ってられなくなる。だから、決して抜くんじゃねぇぞ」


 ごくり、とアジールが息を飲んだのが分かった。私には武芸の何たるかなど小指の先ほども分からないが、きっとアジールには理解できていたのだと思う。自分と天城との間に歴然の差があることを。


 天城はアジールが“抜けない”ことを確認すると、彼女の横を通り過ぎながら私とカミラに歩み寄る。


「おい、さっさとオリバーを離せ。そいつも私のダチだからな」


「だ、ダチ?」


 カミラが怪訝な態度を取る。人形相手に、とでも言いたげだったが、自分の目の前で足を止めた天城が、「なんだ。何かおかしいか?」と冷えた瞳で一瞥してきたことで大人しくオリバーをカウンターの上に戻した。


「ふぅ…捨てられちゃうかと思ったぁ…。ありがとう!天城!」


「おう。多少糸がくすんではいやがるが、まだまだいけるだろ、オリバー」


「おうとも!」


 小躍りしてはしゃぐことで、解放の喜びをカウンターの上で天城に示すオリバー。私は安堵のため息と共に二人を眺めていたのだが、カミラが去り際に負け惜しみのようにして言い残して言った言葉でまた表情を暗くする。


「ぐ、グレイジャー、あんた、甘やかされてどうすんのよ…!このまんまだと、お店が潰れるのは間違いないんだからね!このぐず!私、知らないから!」




「ごめんなさい、天城さん。こちらのゴタゴタに巻き込んでしまって」


 私は天城をお店の二階にある自分の部屋に上げていた。彼女は、「店番は大丈夫なのかよ」と尋ねてきたが、私が自虐的な笑みと共に、「いいんです。どうせ誰も来ないから」と告げたことで適当な相槌を返してきた。


「謝らなくていいんだよ。私が勝手に首を突っ込んだんだからな」


「あぁ、いえ…助かりました。今日はカミラ…あぁ、あの、髪を内側に巻いた女の子です。カミラの虫の居所が悪かったみたいで…」


「いつもああやって絡まれてんのか」


「はい」


「店のことでか?」


「はい…でも、カミラは商人一家の人間なので、売り上げの話とか、扱う商品のこととか、本当…正論なんですよ…あはは…」


「正論ねぇ」


 天城が用意された椅子の背もたれになだれかかりながら、天井を仰いだ。


「嫌いだぜ、私は。正論は道理こそ正しいかもしんねぇが、人から逃げ場を奪う。苦しいときに正論が一番聞きたくねぇのは、そういうカラクリだ」


「全くです」と曖昧に笑う。誤魔化しを感じ取られてしまったのか、天城は真面目な表情のまま私を見つめた。


「私がたまたま居合わせたときは守ってやれる。なぁに気にすんな。暇潰しに付き合ってもらってる礼だ」


 天城は私がお礼を言う間もなく、だが、と言葉を続ける。


「だがな、グレイジャー。いざ戦わなきゃならねぇときは、人間、往々にして一人でやらなきゃいけねぇもんだ。そういうときに、お前が後悔しないで済むようにしとけよ」


「後悔…」


 私の最近の日々はそれにずっと苛まれてばかりだ。


 祖母のお店を無責任に受け継いだこと。


 日頃から人と話す練習を避けてしまっていたこと。


 宝物を傷つけられたって、カミラやアジールに何一つ言い返せないこと。


 あぁ、嫌だ。現実はいつも、私の弱いところばかり明るく照らす。夜闇が道の先を暗黒に包むみたいに隠してはくれないのだ。


 私は深々とため息を吐き、椅子の上に両膝を立てた。行儀が悪い、と指摘してくれる祖母はここにはいない。


「どうしたら、後悔せずにいられるんですかね…」


 虚空に投げるような問いだったが、私の心のどこかに、自分を持って生きている天城ならその答えを示してくれるのではという期待があった。


 しかし、現実はやはり非情だった。


「それを考えんのもお前だ、グレイシャー」


 ぽん、と私のくせ毛頭の上に天城の手のひらが落ちる。


「誰かに与えてもらったもんじゃ、大事なときに言い訳にしちまうからな」


 じゃあ、言い訳も作れない私はよほど未熟者だ。


 私は慰めてもらっている身分のくせに、ほんの少しだけ、どれだけ自分が手を伸ばしても得られない天城の心の強さを恨めしく思うのだった。

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