雑誌『インスマス・なう』より記事の抜粋

【クトゥルー、あるいはクスルゥ・その概論】

ある人間にとっては『しゅ』であり、ある人間にとっては邪悪そのものである大いなる神、クトゥルー。その名は様々な異名で世界各地で呼称されてきたが、共通するのは、会話する二者の母語がまったく違う語圏であるにもかかわらず、その名が詠唱されたときには必ずといっていいほど両者は手に手を取るように歓喜の、あるいは安堵の念に包まれるようである。とある学術会議の際、ラテン語圏出身のパブロ・インボッカ氏が、ゲール語圏のリャヮル・バズマン氏と会談した際、ともに「クトゥルー」という名前を偶然にも同時に出し、特にパブロ氏は感激のあまり号泣したといわれている。そして、ここ日本でも『クスルー』『クトゥルー』『くずりゅう』などと、微細な違いはあれど、同じような発音でその神格は呼ばれている。これは古代日本に海外から神話が輸入され、土着信仰と習合したのか、あるいはそもそも日本にも古来から同様の伝承――クスルゥ教団の存在を内包する――があったのか、そのいずれかについてはまだ議論は終わっていない。


【A市におけるクトゥルー信仰】

M県のそれと違う特筆すべき点は、本尊が極めて歪な生き物であるというところだ。M県の神社に祀られているのは、紛う事なき九つの首をそなえた龍なのだが、A市におけるクトゥルーは、アヴェリカはニューマサチューセッツで邪教集団から没収された像のように、つまり、タコの頭に竜の身体、猿の手足といった不気味な存在と瓜二つの様相である。目は左右に3つずつ、計6つを備えており、暗闇でその光るものに見入った者は魅きよせられてしまい、首から上を食われてしまうという伝承が残っている。


【旧き印】

ある日、A島近海の海底にあるクスルゥ神殿へと潜ったダイバーが、シャチの群れに襲われかけた。娘に持たされていたお守りを最後の頼みとして握りしめた瞬間、シャチは離れていったという。お守りには、五芒星の真中に目が描かれているような意匠が施されていた。A市の市民、特に年配の方々はこれを『旧き印』と呼んでおり、これが『深きものども』に敵対する勢力の霊験を持ち、あるいは邪神を遠ざける効果を持って居るとのことだ。古くは石器時代からこの紋様は世界各国に存在するらしい。特に興味深いのは、いまだに実態が解明されていないブラティル奥地の民族・セヤカラ族に、この紋様と、「ヨッグ・ソトス」という、『邪なるものの存在を確認したときに発する、旧き神による守護を願う神の名前』という言葉が伝わっているということだ。ちなみに、神智学が専門のイギリス紳士、ブラッドレイ・クラフト教授によると、ヨッグ・ソトスとは、正しくは「ヨグ=ソトース」といい、地球におけるあらゆる神々を統べる神格であるという。


【図書館で起こった火事】

1995年の7月末、A市S町に位置する木造建築の図書館が焼ける騒ぎがあった。出火元は館内一階の雑誌コーナーで、人為的なものではなかったという。司書総出で消火作業や文献の移動にあたったが、その9割程度の書籍が焼かれてしまった。不思議なことに、地下の書庫にも飛び火したものの、1802年にイギリスで出版された禁書・"On Avoiding Cthulhu" (『クトゥルーを避けるには』)という古書だけはほぼ完璧な状態で残っていたという。表紙裏には、これまた不可解なのだが、五芒星に目が描かれたような文様が印字されていたという。このサインが出版時に一緒に刷られたのか、あるいは後世に付け加えられたのかは、最新鋭の超精度年代測定器を用いても判別がつかなかったとのことである。

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