国際ハイスクールパロディ

天上天下全我独尊

第1話

夕暮れの裏庭は、まるで決着前のリングみたいに沈んでいた。学校の本館からは薄いチャイムの残り香、体育館からはバスケのゴム音。だが裏庭は別世界だ。塗装の剥げたフェンス、落書きだらけのコンクリ、そして砂利の上に一本のタバコ。夕陽は低く、黄金の刃のように彼らの輪郭を切り取る。


ドイ(ドイツ)はフェンスにもたれ、黒いデニムに革の匂いを漂わせながら、腕組みして吸い殻を足の裏でグニュと踏んでいた。スニーカーのつま先にこびりついた灰が、音もなく崩れる。


「ちっ、最近アイツ、調子のりすぎじゃね?」低く冷たい声。舌先が古いアルミ缶を鳴らすみたいに鋭い。「ロシ(ロシア)の野郎、ウク(ウクライナ)のシマ荒らしといて、平気なツラしやがるぜ。」


ユウ(EU諸国)はドイのすぐ後ろ。メガネのフレームを指先でクイッと上げる仕草がクセだ。ちょっと猫背で、服に小さくいくつものワッペンがついている。ユウは集団だ。声が震えるたび、遠くからフラン(フランス)やイタ(イタリア)、スペ(スペイン)の影のような囁きが混じる。


「ド、ドイ先輩、落ち着いてくださいよ! ロシのヤツ、ガタイもデカいし、仲間もゴロツキ揃いっすよ…。下手にケンカ売ったら、俺らのシマまでヤバいっす!」


ニヤリとした笑い。ドイの唇の端に、夜の風がささやく。


「ハッ、ビビってんじゃねえよ、ユウ。お前んとこの連中(NATOメンバー)も、最近ちょっと鍛え直してんだろ? 俺もよ、筋トレサボってた時期あったけど、そろそろ本気出すぜ。戦車(レオパルト2)も戦闘車両(ボクサー)もバッチリ揃えて、GDP3.5%分のパンチ力でブチかます準備できてんだ!」


アメ(アメリカ)が遅れてやってきた。サングラスはサングラスでも、夕陽を反射して鋭い三日月を描くタイプ。片手に巨大なハンバーガー、もう片手にはスマホみたいな無造作さでレーザーサイトを覗くような態度。口からはパンのかけらと豪快な笑い声。


「おーおー、ドイの兄貴、気合い入ってんじゃん! ロシのヤツ、俺の舎弟ウクに手ぇ出したのがムカつくんだよな。俺もドローンやらミサイルやらで援護してっから、遠慮なくブン殴れよ! ただし、ケンカの後始末はちゃんとやれよな?」噛み締めるハンバーガーの音が、戦闘のBGMみたいにこだまする。


ユウの声が、もう少しだけ甲高くなる。フランの低い声、イタの手拍子、ポーの怯えたすすり泣きが遠くから重なる。


「ア、アメさん! あんたもその気ですか!? でも、ロシのヤツ、最近軍資金1.1兆ドルとかドヤ顔で言ってましたよ。2036年までになんかデカいこと企んでるっぽいっす…!」


ドイの拳が小さく震えた。夕陽が彼の影を長く引き延ばし、影が揺れていた。


「あー、そいつ調子のってるな? ちょっとシメとかねえと、俺らのシマ(欧州)がナメられちまうぜ。NATOの5%ルール(国防費目標)も視野に入れて、ガッチリ鍛え直すか! ロシの野郎、抑止力って言葉、叩き込んでやるよ!」


──そこへ、革ジャンの影が近づいてきた。ロシ(ロシア)は黒い革ジャンを羽織り、腕には刺繍のような古い地図の模様。声は深く、古いラジオの低音のようだ。足取りはゆっくり。裏庭の空気が一瞬ピリリと引き締まる。


「オイオイ、ドイにユウ、アメのダチども、なんだこの騒ぎは? 俺がウクのシマで遊んだくらいで、ガタガタ騒ぐなよ。NATOの再軍備? ハッ、脅威じゃねえよ。俺の拳(軍事力)はまだまだパワーアップ中だぜ!」


ドイは金属のような静けさで一歩前に出る。目と目が合う――まるでこれから流れる血の色のように夕陽が二人の顔を赤く染める。


「ロシ、テメェ、調子こいてっとマジでブッ飛ばすぞ。ウクのことは置いといても、俺らのシマにちょっかい出す気なら、昔の借り(冷戦時代の因縁)も含めてガッツリ清算させてもらうぜ!」


ユウは後ろで小さく震え、「外交でなんとか丸め込む方向で」と呟く。だがその声は風に飲まれる。アメはハンバーガーを平らげ、最後の一口の包み紙を片手でクシャっと丸める。


「ユウ、ビビんなって。ドイが本気なら、俺も後ろから援護射撃バッチリ入れるぜ。ロシ、テメェの次のケンカ、楽しみにしとくからな!」


ロシは不敵に笑い、去り際に肩越しに言い放つ。


「フン、やってみろよ、ドイ。だがな、俺のシマ(東側)も簡単には譲らねえ。次に会うときは、もっとデカいバトルになるぜ…!」


ロシの背中が遠ざかる。砂利が小石の拍手みたいに響く。ドイは拳をぎゅっと握り締めた。夕陽が、まるで拳そのものを燃やすように染める。


「…あー、アイツ、ほんっと調子のってるな。ちょっとシメとくかー!」


──夕日の光がフェードアウトしていく。



その夜、ドイはジムの明かりの下でシャドーボクシングをしていた。鉄の匂い、汗、そして筋肉の悲鳴。トレーナーの声は無慈悲で、タイマーがピーピーと審判の笛のように鳴る。彼の頭の中には、祖父の言葉と古い戦車のエンジン音が交互に鳴っている。「強さは備えだ。備えは意志だ。」


ユウは古い図書室で書類の山と格闘していた。地図、条約、数字。彼は自分が「連結された存在」であることを忘れないように、細かくルールを確認する。席の隅にはフランからのメモ、イタからの派手な絵、ポーからの不安なメッセージ。ユウは全部まとめて、弱いところを補強しようとするのだが、その目はいつも少し怯えている。


アメは深夜のダイナーでひとり、巨大な地球儀をナイフで叩きながら冗談を飛ばしていた。隣の席のティーンに軍事テクの自慢話をする。彼の笑いはでかいが、時折画面に映る「コスト」の数字を見て顔をしかめる。だが彼の信条は単純だ。力を見せつければ、友達は離れない。


ロシは──夜の工場地帯に座って、古いラジオをいじっていた。遠くに燃える火花、溶接の匂い。彼は地図を破って燃やすわけでもなく、ただじっとその形を見つめている。顔には過去の影と未来の計算が混ざっている。彼にとって、力は証明であり交渉だ。拳で語り、鉄で説得する。



翌日の昼、図書室での「会議」が行われた。ユウが中心に立ち、メガネの奥で汗を拭う。フランが煙草をくゆらし、イタが鼻歌をうたい、スペが足を組んでいる。会議はいつもぎこちない。各々のエゴとプライドが渦巻く中で、ユウは丁寧に言葉を選ぶ。


「我々は、対話のテーブルを維持しなければなりません。盲目的な挑発は誰も得しない。」だがその声は、どこか乾いていた。


フランは冷ややかにワインを一口。 「口で言うのは簡単だ。相手が銃口を向けてるとき、どうやってテーブルにつかせる?」その一言で場の空気は一度揺れる。


「でも、やらなきゃ死ぬこともある。抑止ってのは見せるものだろ?」ドイの言葉は短い。ただし、それが彼の本心だということは誰もが知っている。


アメは画面を見せる。「俺が揺さぶれば、相手も考える。経済的圧力、技術的優位、情報戦——全部使い分ける。とはいえ、最後は腕力だろ?」豪快な笑いが辺りを支配する。


ロシは呼ばれもしないのに会議のドアを開けて覗いたわけではない。彼は別の場所で自分の「反応」を計算し、既に動き始めていた。だが、彼の影は図書館の窓に映り、みんなの背筋をぴんとさせる。



数週間の間に、街は小さな揺れを経験する。掲示板に貼られたチラシには、ちょっとした摩擦、漁船のトラブル、サイバーイタズラ、経済のにぶい揺らぎが報じられる。ユウはそれらを繋ぎ合わせて、悪化の連鎖を断とうとする。だが世界は簡単には鎮まらない。ロシの仕草ひとつ、アメのツイートひとつ、ドイの軍事演習の写真が、瞬時にして火花を散らす。


ある晩、街灯の下でドイとロシが鉢合わせになる。互いに一歩も引かない。言葉は交わされず、風が代わりに会話する。石畳に落ちる靴音が、二人の過去の軋みを鳴らす。


「お前、ウクに手ェ出したのはわかってる。だが、俺らのシマに手を伸ばすな。」ドイの声は冷たい。


ロシは薄笑いをひとつ。「お前の“シマ”とやら、魅力的だからな。だが覚えとけ、奴ら(ウク)は俺の遊び相手だ。お前らに命令される筋合いはねえ。」


拳と拳はぶつからないまま、時間だけが擦れる。そこへユウが走ってきて、二人の間に立ちはだかる。鼻息は荒い。汗が光る。


「やめてください! ここで殴り合いになったら、もう誰も止められません! 交渉を…交渉をやらせてください!」


二人はユウを一瞥し、そして同時に笑った。笑いの種類は違うが、どちらも少し悲しい。


「交渉か…いいだろう。だが条件が必要だ。」ロシは冷たい提案をする。「見せしめも必要だ。」


ドイはその提案に対して拳を軽く振る。「見せしめは嫌いだ。だが、見せることは必要だ。抑止ってのは、結果で語るんだ。」


ユウは喉を鳴らすようにして、両者の間で言葉を探す。だが夜は答えをくれない。暗闇の中、三人の影が一本の線のように伸びる。



夕日が再び落ちるとき、ドイはフェンス際に戻っていた。足元には、夜の戦訓が散らばる。拳の中には不安と決意が混ざる。ユウは背後で古い地図を抱え、アメは遠くの光に向かって手を振っている。ロシの影はまだ街の向こうに消えず、彼の笑いは遠くからこだまする。


ドイの心の中で言葉が繰り返される。「抑止力ってやつを、叩き込んでやるよ。」その言葉は、決してただの詰め込みのスローガンではない。彼にとっては血のように濃い決意だ。拳を握り直して、ドイは夕日に向かって一言だけ呟いた。


「次は、いくぜ。」


――夕陽が彼らの背を押すように低く沈む。短い幕切れだが、リングはまだ終わっていない。血のような夕焼けは、また次の挑発を映し出す鏡になるだろう。

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