第40話 戦いは応じる

《side ザッコ》



 鐘が三つ。合図だ。


 地龍が現れた。



 相手は身を潜めようにも、あの地龍がいる限りそれは無理だ。



 さぁ、段取り通りに進めよう。




 地龍戦:東門外、槍列が二段に膨らみ、第三列の大盾が影を落とす。


 騎士団長が槍を三本掲げた瞬間、工兵が「鉄華丸」を詰めた肉塊を投げ込んだ。血と鉄の匂いが風に乗り、地面の下で何かが笑う。


 地がめくれ、地龍が這い出す。岩で組んだ胴、鉱滓を噛んだ顎。騎士たちの槍先がビクリと鳴った。



「攻めるな、押さえろ!」



 騎士団長の号令。前列は突かない、ただ距離を刻む。


 二段目の工兵が鉄鎖網を投げ、脚へ絡める。第三列の大盾が半歩出て、踏ん張る。


 蒼い壁が、すっと地表に生えた。セフィーナが張った静音の楔だ。無告の囁きを殺し、隊列の耳を守る。土魔が足もとを盛り、氷の帯が脚の節を縫い止めた。


 地龍が暴れ、槍列が波打つ。だが押し返さない。押さえるだけ。鉄の匂いの「餌」に執着する獣は、必ず首を下げる。


 その瞬間、投索。工兵十、鎖十。喉元に楔。重心が前に寄ったところで、槍列が半歩だけ寄る。刈るのは脚の関節。刃は要らない。二呼吸、三呼吸。重さが地に落ちた。



「いまだ、崩せ!」



 土が口を開き、氷が砕け、重みが穴に落ちた。大盾がふたをし、塩水の嚥下が獣の喉を焼く。騎士団長の槍が一度だけ落ち、静かに上がった。


 討伐、判定。騎士は吠えない。吠えるのは獣の仕事だ。





 街中戦:残党の抑えと毒の手


 街側では、冒険者が「門・灯・井戸」の三点で固まっていた。ギルドの白腕章が夜目に浮き、エマの声が軽やかに流れる。



「井戸班、交代。毒撒きの目を離さないで!」



 黒槍の残党が、暗い路地から糸のような毒壺を転がそうとした瞬間、縄がピンと張った。弩の逆打ち。標的は壺、割らせない。灰袋を投げ込め、塩で窒息させろ。青火粉に火をやるな――事前に叩き込んだ禁則が、すらりと実行に変わる。


「くそっ!」


 袖口から飛び出した刃は、カルナの剣で平に弾かれ、壁へ刺さって泣いた。赤髪の剣士は追わない。押さえる、折る、止める。双子姫の前では、残党は刃こぼれした玩具だ。


 灯の油に混ぜた青火が、意地の悪い色で燃え続ける。水をかけても消えない火に、冒険者は慌てない。灰と塩――ミアが用意した袋が、壁際で淡々と火の息を奪っていく。


 井戸口で一人が腕を上げた。毒壺を抱えた影が、白筋から外れている。三人が同時に走り、二人が縛り、一人が壺を抱えて灰の上に伏せる。無音。うまい。訓練は嘘をつかない。




 遊宴館戦:灰刃の襲撃と罠の運用


 大屋根の下、遊宴館の床は蜂の巣。その上で踊るのは灰刃たちだ。軽槍、軽足、軽口。だが、軽さは罠に重たくなる。


 梁を跨いだ足が「鈴を鳴らさず」に、青紙を落とした。無音の鈴。ウルの弓が、その青だけを正確に射抜く。



「一本!」



 青紙の落ちた場所には、逆さ吊りの見せ罠(囮)。本命は脇の無音落ち。梁から飛び降りた灰刃が、何もない空中で足首を取られて逆さに揺れた。



「リナ、二!」

「了解ですワン!」



 赤紐が二回引かれ、客導線が静かに閉鎖される。白の筋が避難路へ変わり、人は流れ、敵だけが溜まる。


 ミアが非常灯の萩油を回し、白煤の筋がくっきり浮く。視界は味方のもの。敵の影だけが濃くなる。



「ラグ、トモ、目!」

「はいっ」「うす!」



 二人は入口で目を利かせる。匂い、汗、靴底。焦りの匂いは甘い。


 ラグの腕が太い首を挟み、トモの槍尻が膝に音を入れる。倒さない、座らせる。座った奴の背中は、縄のためにある。


「三、は引かない。まだ焦るな」


 声は梁から落ちる。リナは吠えずに頷く。吠えるのは、追い払う時だ。


 灰刃たちは刃を見せたが、その刃は客導線を切れない。切れるのは自分の逃げ道だけ。罠は倒すためじゃない。止めるためと知らせるため。灰刃の全身がそれを理解した時、灰刃は灰になる。





 囮と背:オルクスへの一突き


 森と街の縁、崩れ祠の影。そこに出る、と踏んでいた。


 烏の薄紙が、肩に冷たく触れる。〈団長東縁〉。よし。遊宴館の牙は予定通りに噛んだ。残党は減り、地龍は穴に落ちた。最後の歯車を噛ませる。



 双子姫に言葉を要らない。カルナの赤が、路地の奥で灯を弾き、セフィーナの蒼が空気の角を丸くする。



 静音の膜が薄く張られ、無告の囁きが足もとで空回りした。


 影が裂けた。黒い布を巻いた穂先。



「よく嗅ぎつけたな」

「魔族を斬る」


 カルナが一足で詰め、セフィーナの静音が耳を守る。



 無告が床をコツンと叩く。



 音が、来ない。結界が食った。


 槍は速い。が、重すぎる。重いものは、段取りの餌になる。



 俺は気配を断ち、抜き足を三拍子。膝、踵、つま先。呼吸は薄く、舌は上顎。



 影から影へ、路地の縁へ。肩甲骨の下、肋の狭間。そこが心臓に一番近い裏口だ。



 シスターから聖なる加護を受けた短剣が、衣の下で小さく温い。




 ひと突き。骨と骨の間に刃を滑らせ、心臓の前で軽く捻る。血は飛ばない。祈りが飲み込む。オルクスの背が、半歩だけ泳いだ。



「が……! 貴様!」



 無告が喉を鳴らす。音を喰う槍が、音を吐いた。いい兆候だ。腹を冷やせば、手は鈍る。


 俺は身を引く。主役を譲るのは、段取りだ。



 カルナの刃が正面から落ちる。怒りで燃える剣が、首の骨を一息で断った。軽い音。重い首。


 セフィーナはその瞬間、無告に蒼い輪を重ねた。



 静音と封呪の合わせ技。槍の囁きが、輪の内側で溺れる。痙攣した穂先から、黒い煙が一筋、空へ逃げた。逃がさない。蒼がそれを凍らせ、祠の石に縫い止める。



「証一、首。証二、魔槍。証言二、用意済み」



 路地の口で、騎士二名が頷く。エマが記録札を掲げていた。いつの間にか、そこにいる。仕事の顔で、汗の匂いはない。よく走ったな。



 オルクスの体が膝から折れ、路地が静かになる。無告の布が、だらりと垂れた。


 カルナが刃を払う。俺を一瞬だけ見る。勝ち誇らない。勝ち癖がある。だから強い。


「借り物の短剣、いい仕事」

「教会の加護は、利息が高い。あとで返しに行くさ」



 セフィーナが無告の封を確認し、冷ややかに言う。



「あなたの一突きがなければ、今の一太刀はなかった。……でも、討伐判定は私たちのもの」

「それでいい。賭けは賭けだ。あいつら五人は奴隷から解放しよう。仕事も、世話をする」

「約束よ!」



 遠くで地龍の断末魔の方向が聞こえる。



 段取りは終わった。最後に残るのは、片付けと計算だ。


 カルナが剣帯を締め直し、こちらを見ずに言う。


「賭けの履行、抜かりなく」

「当然」


 エマが静かに近づいて、小さく囁く。


「あなたの段取り、今回は……好きです」

「礼は、終わってからでいい」



 俺は首級と槍を一度だけ見やり、歩き出した。


 

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