第32話 開業準備

 開業申請の写しに伯爵印が押された翌日、商人ギルド広場で利権者が集まった。


 物見高さと嗅覚の鋭さが同居する、実にいい顔ぶれだ。



 悪党たちはこうでなければならない。



「取分のルールを言語化しておく」



 俺は掲示板に貼る紙を手に言った。



「領へ二割、ギルド手数料一厘、警邏協力金と灯火協賛金は月定額で固定。その他の申し出はすべて個別協議。口約束では動かない」



 ざわつき。紙は言葉の刀。抜けば光るが、血も呼ぶ。



 片隅で、角笛亭の旧主の縁者が歯噛みしていた。



「うちらの場を奪って、きれいごとかよ」

「場は力のあるほうが持つ。文句があるなら、合法で奪い返しに来い」



 もう一人、見慣れない商人が笑って名刺を差し出す。



「都から来た娯楽仕掛けです。舞台と見世物の取り合わせ、うちが乗ると綺麗に回りますよ」

「見せ物は好きだ。だが、先に懐具合を見せてくれ。舞台は派手でも、舞台裏が合わなければ意味がない」

「それはもちろんでございます」



 敵か味方か。札は表だけじゃ読めない。


 何よりも、金が動く場所には人が集まる。


 ハイエナや詐欺師はいくらでも湧いてくる。


 全てを相手にするつもりはない。



 そのための罠も仕掛けさせてもらう。



 旧裏賭博場の中心に大屋根を張り、輪の外に食い物屋台と音楽台。



 中央に二重扉のフロア、その奥に卓。大卓、さらに目玉となる負債帳消し卓は一。



 最後にVIPルームを作り上げる。



 観覧路を上に回し、誰でも見えて、誰も触れない。



 床下は蜂の巣のように通路をめぐらせ、緊急時の消える道を三本。


 

 大梁にはリナの軽業の書き込み、壁の陰にはウルの射線、天井裏にはミアの配線図。図面は生き物だ。全て俺が書き換える。



 金は出ていく。息が速くなる。だが、薄荷の匂いで脳は冷える。



 多少の金は失ってもいい。最後に何もしないで金が湧くシステムを俺は作り出すのだから。



 カジノをバカにする者もいるが、それによってもたらされる経済効果は計り知れない。


 最初は、破滅思考の輩や、詐欺師、カジノを狙う盗賊。余計な虫がわんさか湧くだろう。



 だからこそ、俺は俺だけの組織を作り上げる。


 そのために、獣人の孤児たちはうってつけた。



 従順で、強く、たくましい。



 建設途中で、イレーネが視察に来た。



 靴の踵で床を軽く鳴らし、満足げに頷く。


「ねえ、取り分の話、父上は最後にもう一つ言い忘れていたわ」

「まだあるのか?」

「勝者税。大口の払い戻しに、一律で小さな印紙税を貼る。庶民には軽い。貴族の遊びには、ちょっと重い。政治はそういうものよ」

「なるほど、上品な取り分だ」



 結局は、儲ける者は税を司る。



 カジノは大金を取られ、税を払い。

 大金を儲けた、プレイヤーは儲けた分だけ税金を取られる。



 何もリスクを背負わない税支配者だけが得をする。



 彼女はくすりと笑い、私室用の個室の位置に目を止めた。


「ここ、私の推し席にするわね」

「特等席だ。よく見ていろ」



 イレーネにはいくらでも使い道はある。


 貴族社会は、さらに上の貴族が出てこない限り、階級という血筋で守られている。



 開業告知の札を出した夜、角笛亭の通りに新しい噂が走った。


 ・月影遊宴館、三十日後、開場。

 ・領公認、負債帳消し卓、再起の運。

 ・監査人常駐、深夜二刻で閉場。

 ・子どもは入れない、代わりに外の屋台は誰でも。



 いつかはカジノだけじゃない。ホテルにテーマパークと広げていけば、人の目が集まることで、家族で楽しめる施設へと発展する。


 まぁ、それまでは悪党どもの排除に追われるだろうがな。



 いい噂も悪い噂も、すぐに足が生える。噂は客であり、敵でもある。



 ベンチで薄荷を噛んでいると、エマが通りの端で手を上げた。


「……ちゃんと救う卓、作るんですね」

「救うかどうかは本人次第だ。俺は噛み切るだけだ、首輪をな」

「それでも、ありがたい人はいます。あなたが奴隷を連れてきた時、失礼なことを言ってごめんなさい」

「あぁ?」

「あなたの考えを理解できずに口だけ出しました。あなたの行いは行動で示しているのに」



 彼女はそれだけ言って帰っていった。

 背中に残る気配が薄れると、夜が深くなった。



 風が運んでくるのは、木の匂い、石の粉、そして遠い槍の金属臭。



 黒槍は終わっていない。



 消えたと思った影は、別の場所で濃くなる。


 黒槍の残り火、都の娯楽仕掛け、商店組合の古狸、教会の道徳、騎士団の監視、ギルドの帳簿。



 全部が取り分を求めて手を伸ばす。



 序章は派手でいい。本章は、もっと静かに燃やす。



 俺は図面をたたみ、最後のメモを加えた。



 取り分は金だけじゃない。信頼、時間、静けさ、逃げ道。全部に値札を付ける。



 月は薄い。星は多い。開業まで三十日。釘はまだ増える。ハンマーは俺が持つ。崩れる音がするたび、組み直せばいい。



 遊宴館は、すでに動き出している。問題は山ほど。ちょうどいい。山が高いほど、景色はいい。

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