第26話 変化

《side ザッコ》


 昼の石畳を抜け、冒険者ギルドの大扉を押した瞬間、空気が変わった。


 雑踏の声と酒の臭い、鉄の匂いが混ざった独特の空気。


 ラグとトモは獣人の耳をぴんと立て、怯えたように目を丸くしていた。



「こ、ここが……」

「すっげえ……」



 熊耳のラグはがっしりした体をしてるのに、目はまだ子供のそれだ。


 虎斑のトモは小柄なくせに筋肉が詰まっているが、今は肩を縮こまらせて人の波に飲まれそうになっていた。



 ギルドの空気は生半可じゃ飲まれる。



 俺だって最初は視線が刺さって仕方なかった。だが今は違う。



 リナとウルとミアが評判を作ってくれたおかげで、誰もあからさまに嘲笑を向けることはしなくなっている。



 受付に立つエマが目に入った。



 彼女は俺たちに視線を寄こし、ほんの少し目を細めて……すぐにいつもの笑顔に切り替えた。



「……また新しい子を二人ですか?」

「ああ。登録だ。こいつらに冒険者の名をくれてやる」



 エマの視線がラグとトモに移る。



 その眼差しは、前みたいに刺々しくはなかった。むしろ、少し安堵しているようにも見える。



「こちらに書いてください。名と年齢、種族……まだ文字は拙いでしょうけど、私が補いますから」

「は、はいっ!」

「お、おう……」


 二人は震える指で羊皮紙に名前を刻んだ。


 丸っこい字で、読み取れるかどうか怪しいが、それでも必死に書こうとする姿は悪くない。



 俺は腕を組んで見ていた。だが、二人の戸惑いは隠せない。



 リナたち三人のときは、最初に「これを覚えろ」と俺が段取りを提示した。


 仕事と訓練、勉強、休養。その全てを俺が敷いた道を歩かせた。



 だが、ラグとトモには、まだ何も提示していない。



 今の彼らは道を知らずに立たされた小鹿だ。


 ペンを握る手が震えるのも、視線を泳がせているのもそのせいだ。



「終わりました」

「……これで、冒険者になれるんですか?」



 ラグが不安げに俺を見上げた。

 俺は答えずに肩を竦める。


 その瞬間だった。



「ふん……また奴隷を連れ歩いているのか?」



 低い声が背中に突き刺さった。


 振り返ると、赤髪の女戦士カルナが立っていた。



 鎧に包まれた長身、炎のような赤い瞳。


 その視線は真っ直ぐにラグとトモを射抜いていた。



 周囲の冒険者たちがざわつく。


 カルナは若いがすでに名を馳せた戦士。Aランクの上位に手をかける存在。



 その舌鋒は剣より鋭い。



「奴隷を戦場にまで引きずるなんて、恥を知らない外道だ」



 ラグとトモはたちまち強張り、肩をすくめた。


 さっきまでの不安げな瞳が、今度は「怖い」という色に変わる。


 俺は肩を竦め、口の端を歪めた。



「外道で結構。だがあんたみたいに見下すために連れてるわけじゃない。こいつらは働き、食い、強くなる。……そのための場所がここだ」

「強くなる? 笑わせるな。鎖を付けられたまま、どうやって剣を振るう」



 カルナの手が剣の柄に伸びる。


 ギルド内の空気が一気に張り詰めた。



「カルナさん、ここはギルド内です」



 エマの声が割って入る。毅然とした視線でカルナを睨み返した。



「冒険者登録に奴隷かどうかは関係ありません。契約と責任は依頼主が負う。規定を忘れましたか? 彼は何も規定を破っていません」


 意外にもエマが俺を庇った。


 カルナもエマが庇うとは思っていなかったようで、舌打ちをして赤髪を翻した。



「ふん」



 その背を見送りながら、ラグとトモは小さく肩を震わせる。


 俺は彼らの肩を叩いた。



「怖かったか?」

「……はい」

「す、すごい人でした……」



 情けないほど小さな声。だが、それでいい。


 まだ俺は教えていない。


 働くことの意味も、戦うことの理由も。


 戸惑い、怯え、震えるのは当然だ。



「気にするな。吠える奴は放っておけ。お前たちは今日から冒険者だ。怖がるより、強くなれ」

「……強く……」

「でも、どうやって……?」



 トモの小さな問いに、俺は答えを返さなかった。


 あえてだ。


 道を敷かれる前に、自分で探らせる。


 何よりも、今回の課題は、三人からこいつらに指導をすることだ。



 この二人が震えながらでも、一歩踏み出せば、答えは必ず拾える。



 俺が提示するのは、その次だ。



「帰るぞ。まずは飯だ」



 ラグとトモは不安そうな顔を見合わせ、それでも俺の背に続いた。


 その瞳にまだ光はない。だが、戸惑いは悪くない。


 不安も、迷いも、全部力になる。


 育てるのは、これからだ。



 ギルドを出た瞬間、石畳の影が濃く伸びていた。


 街の喧騒の中、赤髪の戦士の声だけが耳に残っていた。


 

 奴隷を戦場にまで連れ歩く外道。



 いいだろう。外道の看板なんざ慣れっこだ。


 問題は、この二人がその声に呑まれず立ち上がるかどうか俺の段取りは、その先にある。

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