すずめの涙~笑顔を忘れた不遇令嬢は、妖狐遣いの軍医に盲愛される~
壱邑なお
第1話 スズメと涼音
時は
日の本中が二軍に分かれ争った、動乱の時と維新を経て。
近代国家として海外との外交にも、力を入れ始めた新たな時代。
最新流行の袴とブーツ姿で女学校に通い、
そんな新時代を明るく照らす、太陽にも似た令嬢たちがいる一方で。
暴君のような親族に支配されて、指一本すら自分の自由にならない――そんな不遇な令嬢も。
色
裸足には古びた下駄。
赤みを帯びた茶色の長い髪を、雑に首の後ろで
ほっそりというより、やせ細った両手には。
カボチャや大根、サツマイモなど――ずっしりと重さのある野菜を詰め込んだカゴを、やっと下げて。
とぼとぼと道の端を歩いていた、朝霧伯爵家の長女涼音は、その青白い顔をふと上げた。
八百屋からの帰り道沿いにある、裕福な商家の隠居所らしい、小綺麗な二階家。
そこの塀際に、すっくと伸びた
10月になったばかりの、ほっこりとぬくもりのある、日の光にさらされて。
小さな緑色の実が、かすかに赤みを帯びて来ている。
そこにばさりと枝に舞い降りた、スズメが一羽。
つんつんと小さなくちばしで、丸い実をつつき始めた。
「まだ青いから、美味しくないよ?」
思わず涼音が声をかけると、
「ちゅん?」
『ウソでしょ?』とでも言いたげに、くりんっと振り向いた小さな顔。
そのまん丸く見開かれた目が、可愛くておかしくて、つい笑いそうになる。
でも、笑えない。
口が強張って、変な形に
旅先の異国で父が亡くなり、婚約者が行方知れずになった――半年前を境に、涼音は笑えなくなった。
他の家族は、幼い頃に実母が亡くなってから、後妻として朝霧家に入った義理の母と連れ子の妹。
仲良くしようと努力はしてみたものの、あざける様な薄ら笑いや、冷ややかな反応しか返って来なくて。
どうしても親子や姉妹として、打ち解けることは出来なかった。
案の定、父と婚約者という
気力も体力もボロボロになるまで、働かされる毎日。
「ねぇ、いつまで……?」
こんな日が続くの?
この辛い日々に、終わりは来るの?
金色を帯びた茶色い
スズメは不思議そうな顔で、ちょんと首を傾げた。
「ごめん、ごめんね。そんなこと聴かれても、困るよね?」
愛らしい仕草に癒されながら、
少しだけ元気を取り戻した腕でカゴを持ち直し、家路をたどろうとした涼音の耳に。
『もうじきやで』
ぱっと振り向いても、周囲に人影はない。
「空耳、かな……?」
しょんぼりと歩き出した背中を、三角の耳を立てた小さな白いケモノが、スズメと一緒に南天の枝から見送っていた。
ちゅん。
◇◇◇
今の涼音の住まいは、以前仕立て屋だったという
それなりに部屋数はあるが、手入れは行き届かず。
父が亡くなり、手がけていた貿易会社が破産する以前。
かつての住まいだった、大勢の使用人を抱えた
こぼれ落ちそうになった涙を、ぐっとこらえる。
泣いているのを見つかったら、『そんな暇があるなら、働きな!』と怒鳴られるだけ。
粗末な裏口を、できるだけ静かに開けて、涼音はそっと中に入った。
「遅くなってすみません、ただ今戻りました……」
土間の壁際に並んだ、流し場や
一段上がった板の間で配膳や、奉公人たちと食事を取る台所。
そこを仕切る女中頭、松江の姿が見え無いことに、涼音はほっと安堵した。
背がぴんと高くがっしりした、四十絡みの松江は気分屋で、地獄の鬼のように底意地が悪い。
『たかが八百屋の使いに、いつまでかかってんだい! グズ! のろま!』
と怒鳴られるだけなら、マシな方。
少しでも機嫌が悪ければ、『働かないヤツは飯抜きだ!』と食事を抜かれたり、
せめて寝る時くらいはホッとできる時間が欲しかったのに、『一人部屋なんて贅沢だ!』と狭い小部屋で、すずと三人並んで寝ることに。
毎夜気持ち良さげに、松江が立てる寝息を聴きながら、壁際で布団をかぶり、声が漏れないようにして泣いている。
他の通いの女中や男衆たちも、『華族のお嬢様』が
以前の屋敷の使用人は、皆解雇され。
今いるのは半年前、この家に移ってから、新しく雇われた者ばかり。
誰も同情してかばったり、助けたりはしてくれない。
ただ一人、下働きの少女、すずを除いて。
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