想いのビー玉

平 遊

想いのビー玉

 とある町に、今ではすっかり珍しくなってしまった小さな駄菓子屋がある。子供も少なくなってしまったその町ではあったが、駄菓子屋はそこそこ繁盛している。

 平日の午後。

 今日もまたひとり、客がやって来た。


「ラムネひとつ。瓶の方」


 制服を身に着けた、浮かない顔の男子高校生だ。

 この駄菓子屋には、2種類のラムネがある。ひとつは、ペットボトル容器のラムネ。そして、もうひとつが、瓶のラムネ。


「はいよ」


 そう答えたのは、レトロな店構えには似つかわしくない若い男。背中まで伸びたくせ毛を後ろで緩く束ね、小さめの麦わら帽子を斜めに被り、ラムネの瓶と同じ色の色眼鏡をかけているこの男は、駄菓子屋の店主だ。


 店の奥から冷えたラムネの瓶を持ってくると、店主はプシュッと小気味の良い音を立てて瓶の栓を開け、流れるような動作でカウンター越しに男子高校生に手渡す。

 ラムネの瓶を受け取った男子高校生は、店先のベンチに腰掛け、瓶の半分ほどのラムネを一気に喉に流し込んだ。瓶の上から三分の一あたりにある窪みには、栓となっていた、瓶と同じ色の薄緑色のビー玉が乗っている。

 シュワシュワとした炭酸の刺激に顔をしかめつつも、男子高校生は小さく笑った。


「飲み干したあと、ビー玉に向かって息を吹き込む」


 覚えてきた事を復唱するように言いながら、男子高校生はクルクルとラムネの瓶を回す。中のビー玉が瓶に当たって、コロコロと澄んだ音を響かせた。


「兄ちゃん、本当にいいのかい?」


 カウンターの中から店主が声をかける。

 その声に頷いた男子高校生は、ラムネの瓶に口をつけると、残りのラムネを味わうようにしてゆっくりと飲み干した。そして、胸の奥から振り絞るように、瓶の中のビー玉に向かって息を吹き込むと――

 瓶の中のビー玉の色が、青みがかった濃い紫色に変わった。


「若いのに大変だねぇ。いや、若さゆえの苦しさ、かな?」

「いいんです、もう」


 晴れやかな笑顔でそう言うと、男子高校生は空になったラムネの瓶を店主へ渡す。


「そうかい」


 ラムネの瓶を受け取った店主は、軽く肩を竦めて、ペンと共に小さな紙をカウンターの上に置く。


「名前、書いて。本名ね」

「はい」


 言われるままに紙に名前を書くと、男子高校生はラムネの代金を払って店から出て行った。


 日が落ち、店を閉めると店主は売り上げの計算よりもまず先に、空のラムネ瓶から、慣れた手つきでビー玉を取り出す。


「相変わらず、美しいものだな」


 そう呟き、取り出したビー玉を名前が書かれた小さな紙とともに、金庫の中のガラスケースの中へとそっとしまった。


「しかし、こんなにも美しいものを、何故簡単に手放そうとするかねぇ」


 ため息をつくと、店主は金庫の中から帳簿を取り出し、売り上げの計算を始めた。


 いつの頃からか、この駄菓子屋の瓶のラムネを飲むと、瓶の中のビー玉に手放したい想いを吸い取ってもらえる、との噂がこの町の中で広がり始めた。SNS全盛の時代ではあるが、これはあくまで口伝くちづてによる噂だ。なぜなら、SNSに書き込んでも、不思議とすぐに消えてしまうからだった。



 翌日。

 日の影が長くなった夕方に、制服を身に着けたひとりの女子高生が駄菓子屋にやってきた。

 女子高生はカウンターの中にいる店主に、緊張した面持ちで声をかけた。


「あ、あのっ!」

「なににする?」


 店主は気さくな感じで女子高生に声をかけたのだが、女子高生は強張ったままの声で言った。


「あのっ! 昨日ここに来た男の子のビー玉を、私にくださいっ!」


 思いも寄らない女子高生の言葉に、店主は面食らったように、ラムネの瓶と同じ色の色眼鏡の奥の目をパチクリとさせた。だが、真剣そのものの女子高生の目に、ふぅっと大きなため息をついて、カウンターの中から店内へと移動する。


「何があったか聞かせてくれないか。ビー玉をあんたにやれるかどうかは、それからだ」


 店主は店先のベンチに腰をおろし、隣に座るようポンポンとベンチを軽くたたく。少しの間迷った後、女子高生は店主の隣に腰をかけると、俯いたままポツリポツリと話しだした。


「あの人が、私に好意を持っているらしいって、友達から聞いたんです。私もあの人のこと、いいな、って思っていたから、凄く嬉しかった。だけど」


 膝の上に乗せた手で、短めのスカートの裾をギュツと握りしめ、女子高生は続ける。


「私、小さい頃から天邪鬼で。嬉しかったけど、なんか照れちゃって、あの人の前でそっけない態度を取り続けてしまって。おまけに、男友達と必要以上にベタベタしたりして。誤解、されてしまったと思うんです。昨日、あの人がここの瓶のラムネを飲みに行ったって学校で聞いて、居ても立っても居られなくなって」

「あんたも知ってたのか? 瓶のラムネを飲む、って事の意味」

「はい。瓶の中のビー玉が、手放したい想いを吸い取ってくれるんですよね」


 チラリと店主に顔を向けて、女子高生は弱々しい笑みを見せ、再び俯く。


「あの人が手放したかった想いって、きっと私への想いだと思うんです。今さら遅すぎるしどうにもできないことは分かってます。だけど、せめてあの人の想いを吸い取ったビー玉だけでも、欲しいなって思って……だって、無かった事にしたくないから、あの人の想い」


 唇を噛み締め、泣き出しそうになるのを必死に堪えている女子高生に、店主はふぅっと大きなため息を吐く。


「自業自得だね」

「わかってます」

「よし、じゃあこうしようか」


 俯く女子高生に、店主は言った。


「明日、その彼をここへ連れておいで」

「そうしたら、あの人のビー玉、くれますか?」

「いいよ」


 迷うように膝上のスカートを両手でぎゅっと握りしめていた女子高生は、やがて、コクリと頷くと立ち上がった。


「わかりました」

「うん。じゃあ、また明日ね」


 帰途につく女子高生を見送る店主の顔には、苦笑いが広がっている。


「ここはいつから、想いの案内所になったのかねぇ」


 女子高生の姿が見えなくなるまで見送ると、店主は店の中へと戻って行った。



 その翌日。

 瓶のラムネを飲んだ男子高校生と、彼のビー玉が欲しいという女子高生が、連れ立って駄菓子屋へやってきた。

 休日のためか、時刻はまだ正午前。ふたりとも私服姿だ。


「おっ。来たね」

「はい」


 男子高校生は店内の駄菓子が気になったのか、女子高生を残して店の奥へと入ってしまう。その隙にと、女子高生が店主にだけ聞こえるような小さな声で言った。


「約束です。彼のビー玉を」

「まぁまぁ、そう急ぎなさんな」


 店主はカウンターの奥から冷えた瓶のラムネと2つのガラスのコップを用意し、トレイに乗せて店先のベンチへと運ぶ。瓶の栓をあけてコップに注ぎながら、店内で駄菓子を見て回っている男子高校生を呼んだ。


「おーい、ラムネでも飲んでいかないか。俺のおごりだ」

「えっ? いいんですか!?」


 嬉しそうに駆け寄ってきた男子高校生に、店主はラムネの入ったコップを手渡す。揺れた拍子にビー玉がラムネの中で転がり、コップがカラリと澄んだ音を立てる。


「あれっ? これってラムネの瓶に入ってるビー玉じゃ?」


 男子高校生の手にしたコップには、青みがかった濃い紫色のビー玉が入っていた。不思議そうにビー玉を見ながらカラカラと音を立てる男子高校生に、店主は言った。


「きれいだろ? ほんと、特別サービスだからな? さ、気が抜ける前に飲んで。シュワシュワで美味しいよ」


 店の入口に立ったままの女子高生は、男子高校生のコップの中にあるビー玉を目にした途端、その場から動けなくなった。直感的に、そのビー玉が男子高校生の想いを吸い取ったビー玉である事に気付いたからだ。店主が何の目的でそんなことをしているのかは分からなかったが、ただ、固唾をのんで男子高校生を見つめている。


「じゃ、遠慮なく。いただきます!」


 男子高校生が、コップに入ったラムネを一口、ゴクリと飲み込む。

 とたん。

 炭酸が喉を爽やかに刺激した。と同時に、何故か胸の奥深くを刺激されたような気がした。


「キンキンに冷えたラムネ、美味いだろ」

「あ、はい!」


 そう答えたものの、男子高校生は胸の奥のもやもやが気になった。コップに残っているラムネは、あと半分ほど。気のせいか、ビー玉の色が、先ほどよりも薄い気がする。


「じゃ、残りもグッと一気に飲んじまいな」


 店主に言われるままに、男子高校生はコップに残ったラムネを一気に飲み干した。とたんに、胸の苦しさが増し、すべてを思い出した。

 彼女への、募るばかりの叶わぬ想いを。


「ほら、あんたもそこに突っ立ってないで、飲みな」


 そう言って店主は、女子高生をベンチへと手招き、ラムネの入ったコップを手渡す。


「あんたの想い、ちゃんと伝えてやりな。ビー玉はあとでやるから」

「はい。でも……」

「ん?」

「ビー玉はもう、いらないです」

「そっか」


 男子高校生のコップの中のビー玉は、封じた想いを元の持ち主へと返し、ラムネ瓶の色と同じ薄緑色へと戻っていた。



「我ながら、おせっかいだよなぁ」


 2人仲良く店を出ていく初々しいカップルを見送りながら、駄菓子屋の店主は苦笑を浮かべる。だが、言うほど悪い気はしていない。


「どんな『想い』だって、その人間を形作っている大事なパーツだからな。そう簡単に手放しちゃいけねぇよなぁ」


 様々な事情で託された想いを封じているビー玉。駄菓子屋の金庫の中には、これらのビー玉がいくつも眠っている。いつか、持ち主が迎えに来るのを待っているかのように。

 様々な色のビー玉をやるせなさそうに見つめると、店主はガラスケースを金庫の奥へとしまい、そっと鍵をかけた。


【終】

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