第40話 王都蹂躙



 ――大通りは、地獄絵図だった。


「……うっ」

 私は外に出た瞬間、鼻をつく臭いに口元を押さえる。


 血臭だ。


 夥しい血の臭い。鉄錆びた生臭い臭気が道全体に漂っている。

 あちこちから響く悲鳴。破壊音。町中の獣人達が黒い泥を滴らせ、牙を剥き出し、爪を振るう。

 道には逃げまどう人、怪我人。混乱で何もかもがめちゃくちゃだ。

 覚悟して飛び出した筈なのに、初めて見る光景に足が竦む。

 その間にも、身体強化を発動させたユイトは暴れる獣人に向かい、アディが倒れている人を引きずり起こした。


「お前、隷属の魔法石は持っているか!?」

「も、持ってるっ。けど、何回命令しても奴隷が止まらないんだッ!」

「それを貸せ。――ハルカッ!」

 彼が投げた黒い魔法石が空中に舞う。私は慌ててそれを受け止めた。


(そうだ。この契約を解除できるのは私だけだ。こんな所でボケっと立ってる訳にはいかない!)

 聖女なんて荷が重すぎる。神様を封印なんて無理だ。

 だけど、助けられる人を助けずに見ていられるほど、私は強くない。

 弱いから、きっとここで頑張らなかったら一生後悔する!

 私は覚悟を決めて石を握り絞める。


 ――そうだ。私はやるべき事をやらなきゃ。


 心を静めて、感情を静かに、これは仕事だと言い聞かせる。

 徐々に頭の中が無音になって、喧騒も、血の臭いも全てが遠くなる。

 私がやるべきことは、怪我人の治癒と魔法石の破壊。

 全てを最短の時間で、効率的に。

 何があろうと動揺せず、仕事を順に片付ける。

 それは、私が元の世界で毎日やってた事と何も変わらない!

 必要な魔力を設定、短縮キーワード発動ッ。


「――《契約破棄ディストラクション》!」


 白と金の魔力が迸る。灰になった魔法石を捨て、私は手近な怪我人の側に座る。意識はあるけど背中の傷が深い。ゆっくりやってる暇は無いけど、止血だけではもたないかもしれない。

 商品を扱う様に、冷静に魔力でスキャンを開始。


 レディルボードで大勢を治癒する時、あのレジスターキーのイメージを使う。傷の状態に合わせ、キーに割り当てた通りに、間違いなく、魔力を高速で打ち込んでいく。一分とかからずに背の傷が癒えて、私は次の怪我人にを探して顔を上げた。

 手を引かれる感触に一度、下に視線を戻す。息も絶え絶えだった人が顔を上げた。女性だ。彼女が涙を溢しながら声を漏らす。


「……ぁ、ありがとうございます」

「お気遣いなく。貴女は早くどこか隠れられる場所に」

 私はそれだけを言って、次の人の場所に向かった。途中、アディから魔法石を受け取って走りながら石を砕く。

 魔族化した獣人はユイトが鎮圧し、アディが人間から魔法石を回収する。そして私が受け取って契約を解除。

 怪我人の側にまた膝をついて同じようにスキャン。キーのイメージを展開。一人一分の速度で治癒を発動していく。けど――


(足りない! まだ怪我をしてる人は沢山いる。今も増え続けてる。私がここにいる間も、他の人がッ)


 今目の前の人の傷は癒せる。でも悲鳴と混乱はこの場所だけじゃない。視界に映る範囲全て、向かい側にも、道の前にも、後ろにも。街中が悲鳴を上げている。私は手早く作業をこなしながら奥歯を噛んだ。

 ユイトが私の近くまで来た獣人を倒しながら叫ぶ。


「強くは無いが人数が多すぎる! キリが無いぞッ」

「こちらもだ。襲われた人間を優先しているが、契約者が誰か判断が付かない!」

 アディから渡された魔法石に纏めて《契約破棄》をかける。それでもユイトに気絶させられたまま、魔族化が解けない獣人が何人もいるのが見えた。ここに魔法石の持ち主が居ないのか、それとも別の場所にあるのか。石が無ければ解除の手段も無い。

それに、一気に壊したと言ってもたった五、六個。とてもじゃないけど間に合わないッ。


(王都には何人の獣人がいるの? 全てが魔族化をしてるとしたら――)


 イベドニ村位の人数ならなんとかなる。けど。王都はイベドニ村より、レディルボードの町より何倍も広い。

 それでも、目の前で倒れている人を見捨てていくなんてできない。


(とにかく、一人でも多く助けないとっ)

 私は背中に伝う汗を無視して次の人の元に走る。


 その時。


 街がざわりと揺れた。漏れた声が、鳴らした喉が、人々の恐怖が波となって空気が張り詰める。さっきまで逃げ惑っていた人々が、恐怖に凍り付いて一点を見つめている。

 私も吸い込まれるように視線が空へと向いた。そこには輝くイルシェイム様の結界が――


 ――無かった。


 脆い紙屑のように細かい亀裂が入り、中央は既に大穴が空いている。

「け、結界がっ。結界が壊れたぞ!!!!」

 そう、叫んだのは誰だろう。遠くにも近くにも聞こえた。

 けど、ただ一つ分かったのは、張り詰めた緊張感がその叫びによって切り裂かれたことだ。

 屋根が落ちるように、輝く薄いダイヤモンドの欠片が空から煌めきながら落ちて来る。剥き出しになった青い空が、残酷に私たちを見下ろしていた。


「光の神の結界がっ!」

「イルシェイム様の加護が消えた!」

 恐慌状態になった人々がバラバラに駆け出す。何が起こっているのか、どこに逃げれば助かるのかも分からない。私は怪我人が暴徒に踏み潰されないように、道の端に必死で引っ張った。ユイトは人波に邪魔されて動けない。アディが器用に避けながら隣に来て、私の腕を掴んだ。

「最悪の展開だ! 門の警備は獣人たちだった。奴らを狂わせて城壁の結界装置を壊したんだ。目的はコレだッ。今すぐ逃げるぞッ!」


(――目的?)

 アディの言葉が頭を揺らす。同時、


 ドゴォォォォオオアオアオオオオオッッ


 そう、耳を劈くような破壊音が響いて、王都の城壁が破裂した。

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