第5話 犬系男子に助けられて<後編>


 月明かりに照らされた大きな影には前髪と後ろ髪の区別もつかないくらいボサボサの長い黒髪。隙間から人の顔らしき造形が見えている。

 浅黒く、しなやかに筋肉が付いた体に粗末な布の服。腰にはナイフ。

 きっと、これで狼を撃退してくれたんだろう。


「ぁ……り、ざ、ます……」


 お礼を言おうとしたのに、声が上手く出てこなかった。

 まだ足が震えてる。腰も抜けて、直ぐには立ち上がれそうにない。

 訝しげな顔をした男の人は、じいっと私を見つめて首を傾げた。


「お前、貴族か。何でこんな所に?」

「い、いえ。貴族じゃないですっ。えっと、この服は貰っただけで。私はただの一般人というか」

「貰った?」

「事情がありまして」


 男の人の着てる服は殆どズタ袋みたいなボロ着。ドレスと間違うほど綺麗なワンピースを着てる私はもしかしたら、いや、確実に場違いだろう。


「……えっと、迷子に、なっちゃったんです。それで、町とか、人がいる場所を探してたら、狼に追いかけられて……」

「町を? ここは呪われた『黒の森』だ。魔物が多いから、人は近寄らない。近くの村まで数日はかかる」

「えっ」

「知らなかったのか?」

「……ぜんぜん。歩いていれば、どうにかなるかと」


 まさか、周辺に一切民家が無いなんて。


(考えが甘かった)


 ここは現代日本じゃない、それを実感する。

 森は危険で、道路も、街灯一つ無い。獣どころか魔物も出る異世界。もしかしたら、追いかけられたのが狼だったのは、まだマシだったのかもしれない。

 彼が周囲を警戒しながら私を促す。


「……とにかく、ここは危ない。すぐ離れるぞ」


 彼のボサボサの髪に紛れていた大きな耳がピクピクと動いた。


「え」

「どうした?」

「いえっ、なんでも。なんでもないです」


 あんまりジロジロ見たら失礼かもしれない。

 けど、どうしても気になってしまう。ぴくぴく動く大きな耳もだけど、腰の後ろ辺りから生えているのは紛れもなくイヌ科の尻尾!

 さっき狼に追いかけられたばかりだけど、それとこれとは別というか。いざ安全になったと思ったら好奇心が先に立つ。


(そういえば、犬耳と狼耳の違いってなんだろう?)


 犬と狼が違うのは知ってるけど、そこまではよく分からない。感覚的には、安全に触れるか、触れないかの違いだろうか。毛足が長くて太い尻尾は特大のぬいぐるみみたい。


(本物の獣人さんだっ!)


 漫画で見たような姿に、さっきまでの怖さも吹き飛んでテンションが上がってくる。

 異世界に置き去りにされて半日。二度も気絶するし、魔物にも狼にも襲われて、踏んだり蹴ったりの良い事ナシだったから、ついつい視界の端で揺れる尻尾の動きを追ってしまう。


「……おい」


 ビクッとその声に我に返った。

 失礼にならない程度に見ていたつもりだったんだけど、不審者に見えたかもしれない。

 申し訳なさにションボリしていると、犬耳男子は怒る代わりにしゃがみ込んで私の顔を覗き込んだ。


「もしかして、動けないのか?」

「へ?」


 まさか、こんな状況で耳と尻尾に見惚れていたなんて言えない。口ごもるのを見てそれを肯定と取ったのか、彼はひょいっと私を肩に担ぎあげた。


「ひゃあっ! 私、一人で歩けるよ!」

「いい。オレが運ぶ。お前はしがみついていろ」

「わ、分かったっ」


 命の恩人にあれこれ注文を付ける訳にもいかない。

 少し恥ずかしい格好だけど、こんな所に一人でいるよりはずっと良い。むしろ、さっきまで命の危険を感じていたせいか、ぴったりとくっついた逞しい体の温かさが凄く落ち着く。

 ぼさぼさの髪がくすぐったくて、ホコリっぽいような日向に干した布団みたいな、近所のワンちゃんの匂い。

 あと……

 それから、少しの男の人の汗の匂い。

 意識したら急に照れくさくなって、ぎゅっと背中の服を握り直した。

 私が辛い姿勢だと思ったのか、彼が俵担ぎ状態だった手を緩めて片腕で抱いてくれる。それから、ぼそりと口を開いた。


「……昼頃、森に竜が出たんだ」

「こ、ここに?」


 とんでもない単語に引いていた筈の冷や汗が戻って来る。確かに上空から見えた気がするけど、ここにもいたのか。


「普段はいない。けど、足元。見ろ。向こうから、この先まで。真っ直ぐに木が吹き飛んでる。これだけのブレスを吐けるのは竜しかいない」


(ん?)


 足元?


 今は暗くてよく見えないけど、よく言えば歩きやすい、悪く言えば私が暴発させた魔法で吹き飛ばしたせいで、ぺんぺん草一本すら無くなった剥き出しの土だ。


「聞いたこともない大きな音がして、森の魔物が騒いでいた。落ち着くのを待って、様子を見に来た」

「そ、そうなんだ……」

「お前、見なかったか?」

「う、うん。ラッキーだったみたい。全然会わなかったし、全く心当たりが無いや。ホント、今初めて聞きました」

「?」


 かいた冷や汗が別の理由になってきた。


(……昼頃に、竜が、ブレスで)


 それはどう考えても!


 とてもじゃないけど。私の手から出た謎のビームが原因だなんて言えない。この人が無事で本当に良かった。


「いつ戻って来るか分からない。少し、急ぐぞ」

「わ、分かったっ」


 その竜、絶対に来ないと思います。

 そうも言えないので、私を強く抱き直す彼の首に大人しく腕を回した。

 彼がぐっと前傾ぎみの姿勢を取る。


「――《身体強化ブースト》」


 そう呟くと体がぼんやりと薄く光った。


「魔法っ!?」

「口、閉じてた方が良い」

「あっ……ん!」


 口をぎゅっと閉じて頷く。彼が一瞬目を丸くして、それから微笑んだ。


「それで、良い」


 風に長い髪が靡く。

 差し込んだ月明かりに緑色の瞳がキラキラと光った。


(まるで、露に濡れた若葉みたい)


 見上げた顔は垂れ目がちで、思ったより幼さが残る顔立ちをしていた。私と同い年か、もしかしたら年下なのかもしれない。

 けど、目が合っていたのはほんの一瞬。

 すぐ前に向き直った彼は真剣な表情で、私も慌てて腕に力を入れ直す。

 彼が、ぐっと土を蹴って走り出した。

 体が大きく揺れる。一足ごとにガタガタと衝撃が伝わってくる。彼は森の中を器用に木を避けながらつむじ風みたいに通り抜けていく。

 私は抱かれているだけなのに振り落とされないようにするだけで精一杯で、ぎゅっとその首にしがみついた。


(今が夜で良かった)


 昼だったらたぶんジェットコースターよりずっと怖かったに違いない。木の幹や枝が迫ってはギリギリの所を通り過ぎている感覚だけがある。弾かれた木の葉が時々顔に当たっては彼のスピードについてこれずに後ろに飛んでいった。

 土埃が舞って目も開けていられない。でも……

 薄目を開けた視界、走る彼の体から緑色の燐光が溢れては流れていく。


(キレイ……)


 イル様の光を思い出す。私もちゃんと使いこなせれば空だって飛べるのに。今はこうやって誰かに助けて貰う事しかできない。この世界に来てから頼ってばっかりだ。


(私もいつか、この力をちゃんと使えるようになるのかな)


 こんな風に、自分で走って、空を飛んで。

 日本に帰りたい。けど、その前に、もう一度あの空からの景色を見てみたい気がした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る