第39話 静かな夜の記憶

 夜、カーテンを閉めた薄暗い部屋。


 机の上の灯りだけが、小さな温もりを灯していた。


 レナは誰もいないこの空間が心地よかった。

 誰にも知られたくないものを、静かに抱いていられる場所。


 クローゼットの奥に、鍵をかけた小箱がある。

 誰にも見せたことのないそれを、久しぶりに取り出す。


(……夢を見た。あの日のこと。お母さんの手が、あたたかかった)


 パチ、と蓋を開けると、中には深紅の宝石──赤魔石が一粒、眠るように収まっていた。これは、死によって作られたものではない。


「本当はね、生きてても作れるのよ」


 そう言って、お母さんは笑っていた。それがどれほど稀で、奇跡のようなことなのか、当時の私はまだ知らなかった。


 この石は──

 お母さんの血で作ったもの。まだ幼い私の手をとって、ゆっくりと術式を教えてくれた。母娘で紡いだ、最初の“赤魔石”。


(私は、知ってる。自分の血が、何を意味するのか)


 誰にも言えない。


 言ってしまったら、全て失う気がした。

 知っているからこそ、私は血の魔力を極力使わない。


 誰かを傷つけないように。

 誰かに目をつけられないように。


「アロイス家はね、調査機関が入り込む余地をなくすために、ファウレス家の人間を“魔石にして殺してきた”のよ」


 母がそう話していた夜のことを、私は覚えている。

 父が何故死んだのかは知らない。

 母は、この血が父を不幸にしたと言っていた。

 祖父母の死は、“調査不能”として処理された。


 赤魔石という最終形が、証拠を全てかき消してしまうから。


(……それでも、お母さんは私を守ってくれた)


 生きて、と言った。

 身を隠せと言った。

 普通の子のように、何者でもないふりをして生きていけと。


 レナはもう一つの赤魔石に手を伸ばす。


 母と一緒に自分の血で作った赤魔石のネックレス。鮮やかな、生きた色をしている。ネックレスを手にとり、そっと胸に当てた。石の中で何かが脈打っている気がした。


(私は、まだ生きてる。お母さんの血も、ちゃんとここにある)


 二つの赤魔石。


 それだけが、今の自分の支えだった。




 ***




 午後の廊下に、柔らかな光が差し込んでいた。

 扉の陰に寄りかかるようにして、レオンはただ静かに彼女を見ていた。


(過去に何かあったのか? それとも──)


 思考の輪郭が曖昧に滲む。だが、ある一点だけが冷たく、確かだった。


(……もし、万が一にも。あの村に、関係があるとしたら)


 意識の奥で、冷たいものが喉を這った。

 記憶の底に沈んでいるはずの、あの日の光景──赤く燃えさかる夜、灰と血の匂い、絶命する声。


 だが今、目の前で無防備に笑っている少女を見ていると、思考がどうしてもそこに触れてしまう。


「わあ、これレアなやつだ……!」


 レナが手に持っていたのは、お菓子の袋に入っていた小さなシールだった。何の魔力も感じさせない、ごくありふれたもの。


 彼女はそれを光にかざし、誰に見せるでもなく嬉しそうに微笑んだ。その笑顔は、あまりにも普通すぎて、あまりにも、何も知らない子どものようだった。


(……赤魔石を見たときの反応。あんな顔をして、“何も知らない”訳がない)


 心がざらつく。彼女は知らないふりをしているのか、それとも本当に……?


 レオンは浅く息を吐き、額に手をやった。嫌な予感が喉元に絡みつくようだった。何かが繋がってしまうのではないか──そんな、理屈では説明できない“恐れ”だった。


「エリックに知らせてこよー!」


 軽やかな声とともに、レナは背を向けて走り出す。無防備に揺れる赤い色の髪。その後ろ姿を見つめながら、レオンは胸の内で、鈍く何かが軋むのを感じていた。


 それは罪悪感でも、後悔でもない。

 もっと曖昧で、不確かなもの。

 だが、それだけははっきりしていた。


 彼女の正体が何であれ、あの村に“何か”が繋がっているのだとすれば──


 それは、レオンにとって決して知られたくない過去でしかない。



 ***



 その日の放課後、校舎裏。まだ日は高く、風が教室のカーテンをゆらゆらと揺らしていた。


「ねえ、レナさん」


 声をかけてきたのは、Eクラスの男子生徒だった。一人でいる時に、時々声をかけてきてくれてノートを貸してくれていた子だ。


「どうしたの?こんなところに呼び出して」


「急にごめんね。ちょっと、話せる?」


 どこかそわそわしていた彼の様子に、レナは小さく首をかしげながらも、うなずいた。


「実は、ずっと前から……気になってたんだ」


 目を伏せるようにしながら、彼は一言、一息で言った。


「好きなんです、付き合ってください」


 その言葉は、レナにとって人生で初めての“告白”だった。驚いた。どうして自分に?とすら思った。けれど、その気持ちを真っ直ぐに向けてくれる人がいることは、不思議と嬉しかった。


(……どうしよう)


 レナは笑って答えることができなかった。言葉を返すよりも早く、心の中に浮かんできたのは、レオンの顔だった。


(……レオンに、言うべきなのかな)


 気まずくなるかもしれない。でも、隠す方がきっともっと良くない。


(別に、やましいことじゃない。仲良くしてるし、知っておいてほしいだけ……伝えておこうかな)


 それが、この日の決意だった。まさか、あんなふうになるとは思いもしないまま。




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