ロンリーモーニンブロードキャスト

北上悠

ロンリーモーニングブロードキャスト

 パチッという軽い音とともに、暖色系の明かりを放つ電球がその部屋の全体を照らした。

 部屋の中には一人の少女がいて、部屋の中にはラジオ配信するための機材と防音設備だけが存在している。

 少女——仮に蝦夷えみしリーラという名前だとする。

 そのリーラが、ラジオ配信用の機材の前に座って電源を入れた。

 本格的で専門知識が必要な機材であるにも関わらず、リーラは慣れた手つきで配信の準備を進めていく。

 その手慣れた動作を見れば、彼女が何年もラジオ配信を続けているということは想像に難くなかった。

 マイクが入っていることを確認して、リーラは元気よく恒例の挨拶を口にする。

「はい、皆さんこんにちは! ロンリーモーニンブロードキャストのお時間です!」

 こうして毎日ラジオ配信をするのが、彼女の日課だ。

 いつからかしていたかはリーラ自身も既に覚えてはいないのだけれど、今となってはその挨拶もかなり板についたものだ。

 むしろ自分の本名よりも蝦夷リーラという名前を使う機会が多いせいで、今となっては自分の本名を忘れてしまいそうなほどであった。

「お相手は私! あなたのお耳の恋人、蝦夷リーラ! それでは、本日最初の曲はこちら!」

 今から5年ほど前に流行ったポップスが流れ始める。

 なんてことないありふれた恋愛ソングだが、その歌詞と覚えやすいメロディーラインが、リーラを筆頭に若者の心をガッチリと掴んだのだ。

 今となっては、少し懐かしいチョイスの曲だ。

 最近はCDが売れてないとか、著作権の問題だとかで、これくらいしかヒットチャートの曲を作れないというせいでもある。

 その曲を流している間に、リーラは少しだけ天井を見上げる。

 電球が古くなっているのか、放送室は少し薄暗い。

 どうして電球をLEDに変えてなかったのかと、前々からリーラも文句を言ってやりたいくらいだが、こうして部屋を借りてる以上は文句を言うわけにもいかない。

 この曲のサビは盛り上がりに欠け、無駄にしっとりとしたメロディーラインをしている。

 今になって思えば、自分でもどうしてこんな曲が好きだったのかよく分からない。

 だがまあ、ヒットチャートで上位の曲の一つではあるので、リーラの好みで外すわけにもいかない。

 曲がひと段落する頃になって、リーラは音楽の音量を下げて次のコーナーの準備を始める。

「は~い! それではお待ちかねのお便りコーナーの時間です! 最初の人は誰かな〜?」

 お便りの入った箱の中から一つのハガキを取って、リーラは読み上げる。

「それでは東京都のペンネーム、田中太郎さんからのお便り。『リーラちゃんこんにちは』はいこんにちは~♪『前から気になっていたのですが、どうして蝦夷リーラという名前なのですか? 気になり過ぎて、10時間しか眠れてません』いや、めちゃくちゃ寝てるじゃん⁉ ぐっすり快眠だよ!」

 やけに高いテンションでツッコミを入れてから、リーラはそのお便りの質問に答える。

「蝦夷っていうのはえぞって読む北海道の地名で、リーラっていうのはリラ……つまりはライラックの花のことなんですよ。因みに、ライラックの花言葉は『忘れないで』です。これで皆さん、また一つ賢くなりましたね!」

 話がひと段落したあたりで、リーラは次のお便りを取った。

「それでは次のお便りです。山梨県のペンネーム、寒ブリさんからのお便り。『リーラちゃんこんにちは、いつも楽しく配信聞かせてもらっています』ほんとですか!? ありがとうございます!『リーラちゃんはどうして女子高生なのにラジオ配信をしようと思ったのですか? その理由をぜひ聞かせてもらいたいです!』」

 リーラは困ったように唸る。

「難しい質問ですね……強いて理由をあげるのなら、この配信が誰かの明日を生きる力になればいいなっていうのと、こうして配信すればどこかの誰かが私って人間がいたことを覚えていてくれるかなって思ったんです……な~んて、ちょっとロマンチストすぎますかね?」

 口ではそう誤魔化したものの、リーラがこうしてラジオ配信をしてい理由はそれだけが全てだった。

 リーラはそれから幾つもの手紙を読み続け、老若男女から贈られたお便りを読み続けた。

 中にはセクハラ紛いなお便りや、アンチのようなお便りまで千差万別だったが、リーラはついにそのお便りを引き当てた。

 ——引き当ててしまった。

「次で本日最後のお便りですね。北海道のペンネーム、影さんからのお便り『……この配信を何時まで続ける気だ?』うぇ~辛辣なお便りを引いちゃいましたね……」

 先ほどから流れているポップスが、不協和音のように聞こえるほど、リーラは自分の視界がぐらっと揺らぐのを感じた。

 影というペンネームで書かれたそのお便りは、文字の一つ一つの筆跡が一致しない。

 まるで呪いの手紙のような不穏さを醸し出している。

 忌々しそうな顔でそのお便りを睨みつけながらも、リーラは声のトーンだけは一切変えずにこう答えた。

「このラジオ局が使える間は続けるつもりです。もっといろんな人に希望を届けることが、私の生きがいですから!」

 元気よくそう言った後で、リーラは配信を終えるべく最後の挨拶を行う。

「早いですね。もうお別れのお時間がやってきてしまいました……でも大丈夫! 私は明日も配信していますから、また明日。この時間にお会いしましょう! お相手は私、蝦夷リーラがお送りいたしました!」

 配信を終えたリーラは、深く息を吐きながら背もたれに体を預けた。

「また明日……か、馬鹿みたいだよね。このラジオを聞いてる人がいるのか、そもそも明日があるかどうか自分でも分からないのに」

 自嘲の笑みを浮かべながら、リーラは気だるげな動作でお便り箱を手繰り寄せ、その中を覗きながら先ほどまでのハキハキと聞き取りやすい声とは対照的に、まるで何年も一人暮らしを続けて、独り言が癖になってしまっているかののような聞き取りにくい声でボソボソと呟いた。

「……またお便り増やさなくちゃ、でも後でいっか。缶詰……まだ残ってたかな」

 リーラの言葉には取り留めがなく、まるで思ったことをそのまま口にしているようだ。

 そして何より気掛かりなのは、リーラの言葉はお便りを『仕入れる』のではなく、お便りを『増やす』と言ったことだ。

 それは――今までのお便りは全てリーラが一人で書いていたということに他ならない。

 それは誰が見ても、精神が限界を迎えた人間に他ならなかった。

 椅子から立ち上がったリーラは、元はCDなどを入れていた戸棚を開く。

 だがそこには缶詰はおろか、水の入ったペットボトルが一つ残っているだけだった。

「……流石にそろそろ外に行かないとダメか」

 リーラは放送室の入り口に立てかけてあるたった一つの命綱——リーラを守ってくれる唯一の武器である、散弾銃を手に取った。

 とはいえ、これがあれば絶対に生き残れるというものでもない。

 弾薬だって限られてるし、唯一の救いは機構がシンプルであるため、弾が尽きても格闘用の武装として使えることだろう。

「いってきます」

 誰もいない放送室に向けて挨拶しながら、リーラは生存者の存在も絶望的な、動く死体と無人の街が広がる外へと続く金属製の重い扉の外に出た。

 つまりリーラは、今まで生存者がいるかどうかも分からない、虚空へと電波を垂れ流していたのだ。

 蝦夷リーラがどんな心境で自らのラジオネームを『忘れないで』という花言葉を持つ植物の名前にしたのかは、想像に難くない。

 それはリーラにとって、死ぬこと以上に死んだことすら忘れられることが恐ろしかったからだ。

 ただ単に……こんな世界にも明日があると、まだ信じていたかったのだ。

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