アイラブ椎茸
ゴオルド
椎茸を求めて
椎茸が好きだ。
小学生だった私は、椎茸を好きな食べ物ランキング1位に据えていた。
といっても、切ってある椎茸のことではない。まん丸な椎茸、丸ごとの椎茸限定で好きだった。
丸ごとというのは、滅多に食べられるものではない。冬に鍋物をするときに、一人1個ぐらい食べられる程度の貴重な存在なのだ。
つまりレアである。
レアというだけで、なんかありがたい気がしてしまう。そういうわけで当時、椎茸(丸ごと)が好きなものランキング1位だったのだ。
一度でいいから丸ごと椎茸をたらふく食べてみたい、そう思っていた。なんだか芥川龍之介の『芋粥』みたいだ。あの主人公が芋粥を飽きるほど食べてみたいと夢見たように、私は丸ごと椎茸でおなかいっぱいになることを夢見ていた。
少し話は逸れるが、同じクラスにトミーというあだ名の男子がいた。彼は少女漫画家の浦川まさるのファンで、コミックスは全て買いそろえていた。
ある日トミーは、私に『九太郎がやってきた!』という浦川まさるの漫画を貸してくれた。椎茸好きの忍者の一族が出てくる漫画だった。雑誌「りぼん」で連載されていた作品で、「こういう変な話、好きそう」とのことであった。
案の定、ハマった。椎茸が好きな忍者という謎の設定にぐっときた。私も忍者になりたいと思った。
それで私は足音を消してトミーの背後に忍び寄る練習をやった。折り紙で手裏剣を折るのも得意になった。なわとびをムチのように扱って、妖魔をしばくみたいなイメージトレーニングもやった。
妖魔をしばくイメトレは、楠桂の『妖魔』の影響であろう。これも忍者が出てくる少女漫画だ。「りぼん」で連載されていた。後にコミックスとなったものを同じクラスの女子ミヤちゃんが貸してくれたのだった。岡田あーみんの『こいつら100%伝説』といい、「りぼん」は当時忍者推しだったのだろうか? どれも面白くて大好きだった。
ちなみにミヤちゃんからは『3×3 EYES』も貸してもらった影響で、一時期おでこに第三の目を書き込みたい気持ちだった。さすがに思いとどまったけれど。忍者は修行すればなれそうな気がするが、
そんなこんなで、私の中で「椎茸」と「忍者」のイメージが結びつき、相乗効果で椎茸がよりいっそう魅力的に感じられたのだった。
私の中で椎茸熱が高まっていたこの時期に、修学旅行があった。
旅行先は熊本県と大分県だった。
草千里を観光して、その後、地獄めぐりをするという旅行計画だった。
草千里はまるでモンゴルみたいだった。モンゴルに行ったことがないのであくまでもイメージでしかないが、馬が放たれた草原を風がわたっていく、その胸のすくような景色は、私の想像するモンゴルそのものだった。
私は草原に立ち、妄想にふけった。自分が武装した戦士になって騎乗し、草原を駆け抜ける妄想である。大変良かった。
その日は、熊本の旅館に泊まることになった。
楽しみなのは夕飯である。
どんな料理を食べさせてもらえるのだろう。
わくわくした気持ちで部屋に荷物を置いて、食堂に向かった。
そこで待っていたのは、すき焼きだった。
私は少しがっかりした。すき焼きは好きだけれど、もっと熊本っぽいごはんを期待していたのだ。せっかくならご当地料理が食べたかった。
ちなみに昼はカレーだった。まったくもって熊本感がゼロである。小学生に馬刺しとか辛子蓮根とかは渋すぎると学校は判断したのか、それとも予算の問題なのか。ともかく昼はカレー、夜はすき焼きというのが、その日のメニューだった。
私たち小学生は、すき焼きのために4人一組にされた。
食堂にやってきた順に、勝手に4人組にされたのである。
他のクラスの児童であっても関係なく、すき焼き班にまとめられてしまった。
旅館の仲居さんたちは、私たち小学生を席に案内しながら、「お肉をたくさん食べてね」と言った。
皆、親しい友人と同じ組になれなかったことを心の中では不満に思いつつ、でもお肉がいっぱい食べられるならいいか、という感じで、すぐに気持ちを切り替えた。
私も、顔を知っているような知らないような他クラスの子とすき焼き班になり、お肉を食べた。美味しかった。美味しかったが……。
鍋といえば椎茸である。
だが、どういうわけか鍋に入っている椎茸は1個だけだった。
なぜだ!
4人で鍋を囲むのに、なぜ椎茸が1個だけなのか!
私はすぐさますき焼きメンバーに相談した。
「椎茸1個しかないよ……これは大変だよ……どうする? ジャンケン? 花札?」
当時、我が校では花札が流行っていた。治安の悪い地域にある学校だからだろうか。あと、揉め事は何かしらの勝負で白黒つけることになっていた。ちなみに麻雀やチンチロリンもルールを理解している小学生多数の学校だった。私は転校生だったため、花札を覚えるので精いっぱいだった。
ともかく。
何らかの
そう思っていたのだが……。
「あ? 椎茸? 別にいらん」
児童たちはそんなことを平然と言ってのけた。
そういうわけで、私は戦わずして椎茸を手に入れた。
食べてみた。お味はまずまず! というか普通の椎茸! でも嬉しい!
椎茸を食べ終えると、隣のすき焼きチームの鍋も気になった。
やはり!
隣も椎茸が残っているではないか。
私は自分の箸を持って、隣のテーブルへとにじり寄った。そこにはたまたまトミーがいたので、トミーに忍者言葉で話しかけた。
「トミー、それに皆さんも、本日はお疲れさまでござったな。いやしかし阿蘇はたいへん景色がよい。草千里の見事なことといったらない。良き修学旅行となりましたなあ」
「ですなあ。あしたも楽しみでござるなあ」
トミーも忍者っぽい口調で返事をしてくれた。そこでおもむろに「ところで皆さん、椎茸は……?」と切り出す。
「え、椎茸?」
聞き返された。
「いかにも、椎茸でござる。この1個しかない椎茸、どなたが召し上がるのか、もうお決めになったか?」
彼らは顔を見合わせて、椎茸は要らない、と言う。
やはり!
そういうわけで、私はありがたく椎茸をいただいた。
私は席を立ち、期待に胸を膨らませて、食堂を見回した。
どこの鍋も、愛らしい黒丸が浮かんだまま放置されていた。
どうやら椎茸は不人気、あるいは1個しかないせいで遠慮してしまうのか。ともかく誰も箸をつけない。
椎茸チャーンス!
人生で一度あるかないかの椎茸食べ放題タイムが、唐突に始まった。
熊本に来て、夢が叶うことになったのだ。
『芋粥』の主人公なら逃げ出すところであろうが、私は逃げたりしない。全力で椎茸を受け止めてみせる。
こうして私は丸ごと椎茸を求めて鍋を渡り歩く、渡り鳥になった。
すき焼き4人チームにずずいと割り込み、ちょっとした雑談をして椎茸をいただき、新たな鍋へと旅立つ、そういう渡り鳥である。
行儀が悪いのは百も承知。わかっていても、私は自分をとめることができなかった。椎茸食べ放題に興奮して我を忘れていた。
5鍋ほど渡り歩き、さて次はどこの鍋に行こうかと思案していたときのことだった。仲居さんから、「お肉を食べてね」と声を掛けられた。
「きょうはお肉だけでおなかいっぱいになっていいんだからね。野菜やご飯は残してもいいから、お肉を食べなさいねえ」
そこで初めて異変に気付いた。よく見れば、どこのお鍋もお肉が飽和状態なのだ。とても食べきれない量のお肉が投入されていた。
食べ物を無駄にするようなことは今でこそ批判されるが、当時はそういう意識がまだ薄かった。旅館側の「せっかくの修学旅行だ、残すほどたくさんお肉を出してやろう」という、そういうハレの日に対する心遣いが感じられた。フードロスの問題があるとはいえ、そこには心温まる気遣いも確かにあったのだ。
仲居さんたちは、私たち子供が大量のお肉に喜ぶと信じて疑わないようだった。「お肉はまだまだいっぱいあるよ、良かったねえ」などとおっしゃる。もしかして貧しい地域の子供だと思われていたのだろうか。
実際そのとおりであった。
この学校は、治安も悪いが、経済的にもいまいちな地域にあった。
当時私たちは「貧乏」というものにもっとも怯えていた。
「お金持ちになりたい」のではなく「貧乏になりたくない」という願いが強かった。
私たちが通っていた小学校の校庭には、白い花が生えていた。それは触ると貧乏になると言われており、皆恐怖していた。運動会前に草むしりをやらされたときも、その草だけは誰も抜けなかった。小6にして既にヤンキー化が始まっている男子ですら、さわれなかった。不可侵の貧乏の花。誰も抜けないから、ますます貧乏の花は繁茂するという悪循環を生んでいた。
貧乏の花があまりにも茂っちゃって、もうワッサワサで、体育の授業のときなどにボールがこの茂みに入ってしまうと、みんなテンションが一気に下がった。バットやトンボをつかってボールを取るなどして対処していた。
見かねた私は、ある日、この貧乏の花畑を一掃しようと決意した。
当時私は「野草部」という草の部活の副部長をやっていた。草の部に所属するものの責務として、どいつもこいつも引っこ抜いてやろうと思ったのだ。部長は不登校になっていたから、私ひとりで頑張ることにした。きっと軍手をすれば問題ないだろう。貧乏を根絶やしにしてやる。草ァ!
だが、幾らか貧乏の花を抜いたところで、女友達に見つかってしまった。「あんた何やってんのぉぉ!」と絶叫され、羽交い締めにされ、「貧乏になるよっ! やめな!」と厳しく叱られた。そして、アスファルトの上にある黄色いボタンみたいなものを100回踏むことを命じられた。草ぁ……。
道路にある丸いボタンみたいなの、あれが何なのかいまだにわからないが、あれの黄色いやつを100回踏むと、貧乏になる呪いが解除できるともっぱらの評判であった。
そういうわけで、クラスの女子が言うには軍手越しに貧乏になる呪いがかかってしまったという私は(貧乏は布では防げないのだ)、黄色いやつを踏みまくった。多分それで呪いは解除された。
特に呪われていない生徒も、登下校中は黄色いボタンを必ず踏むよう心がけて、両親の収入がアップすることを天に祈っていた。要するに呪われてようが呪われてなかろうが関係なく、みんな黄色いやつを踏みまくっていた。
ともかく貧乏が怖い私たち。
そんな私たちにとって、もし悪霊への恐怖を45コワイとするならば、貧乏になる呪いの恐怖は1000コワイぐらいであった。貞子より親の失業のほうがぞっとする。
熊本の仲居さんは、そういう事情を知っているとは思えないが、やたらと「お肉を食べなさい」と私たちに言った。子供たちが喜ぶと信じて疑わない目で。お肉なんて滅多に食べられないでしょ? という空気で。
どこの鍋にも大量のお肉が溢れている。どう考えても食べきれない量だ。
それでも仲居さんたちは良かれと思って、次から次へとお肉を追加してくださる。困る。貧乏を恐れ、貧乏を憎んでいる児童である私たちは、食べ物を残すことに対して抵抗感が強かった。ほんとうに困る。でもこれが「おもてなし」なのだ。
ならば、この歓待、全力で受けるべきであろう。それが人の心というものである。
私はもう椎茸の旅を続ける気持ちにはなれなかった。これからは自分たちに与えられた鍋の中身を減らすのに専念しようと思った。できるだけ食べ残しが出ないように頑張ろう。渡り鳥は卒業だ。
元の鍋へと戻った。
私の不在により3人になってしまったすき焼きチームは、少しでもお肉を減らそうと頑張っていたが、やはり苦戦しているようだった。
私は自分の席に座り、お肉を食べ始めた。
メンバーたちは何か言いたげに私を見たが、何も言わなかった。4人で黙々とお肉を食べた。
ああ、一度でいいから、丸ごと椎茸をたらふく食べてみたいものである。
<了>
アイラブ椎茸 ゴオルド @hasupalen
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