第二章:都会に棲む狸
【一】都市における狸伝承
私たちが「狸」という存在を思い浮かべるとき、多くの人がまず頭に描くのは、鬱蒼とした山中や農村のはずれに潜むその姿であろう。田畑を荒らし、夜道で人を化かし、時に里人と滑稽なやり取りを繰り広げる――そうした「山野の住人」としての狸像は、近代以前から現在に至るまで根強く保持されてきた。しかし一歩、史料や伝承を掘り下げてみれば、狸は決して「山の動物」に閉じ込められた存在ではなかったことが見えてくる。むしろ人間の営みが集積する都市のただ中にこそ、その影を落としてきたのである。
『麻布
江戸の地誌『江戸砂子』には、麻布から赤坂にかけての一帯に「狸穴」と呼ばれる窪地があったと記されている。
次のような記録も残っている。
――「赤坂の道を行きし折、宵の口にて藪中より獣の声を聞く。供の者、忽ち道を失ひ、灯を掲げて進めば、見知らぬ溝のごときに迷い入る。しばし右往左往するうち、突如としてもとの道に戻りたり。此れ狸の仕業ならむと人々申す。」
『町人某日記』(寛文十二年〔1672〕九月条)
現在も「麻布狸穴町」という地名にその名残をとどめるこの場所は、文字通り「狸が穴を穿って住んでいた」ことに由来するとされる。だがそこに込められたニュアンスは単なる生態記録にとどまらない。江戸の人々は、この窪地を「狸が多く棲み、人を惑わせた場所」と語り継いできた。すなわち江戸という巨大都市のただ中に、異界へと通じる裂け目が口を開けていたのである。
この「狸穴」という呼称は、江戸の町人たちにとって二重の意味を帯びていた。一つは地理的な窪地そのものを指し示す地名として。そしてもう一つは、都市生活の表層の下に潜む「得体の知れぬ領域」の象徴としてである。大名屋敷や町屋が立ち並ぶ空間のすぐ隣に、闇と湿気に満ちた窪地が口を開け、そこに狸という人外の存在が息づいている。日常と非日常の境目が、都市のきらびやかな表舞台のわずかな陰影に重なり合っていたのだ。
こうした事例は江戸だけに限られない。たとえば京の町でも、寺社の境内や町外れの空き地などに「狸が出る」と噂された場所が少なからずあった。京都は盆地ゆえに山との距離が近く、都の中心と山裾がほとんど地続きのように存在する。その狭間こそが狸譚の温床となった。夜更けに祇園から帰る芸妓が、四条大橋の袂で正体不明の影に出会う。洛中洛外を隔てる小径で行灯の明かりを見失い、気づけば同じところをぐるぐると歩かされる――それらはすべて「狸の仕業」として囁かれてきた。
武蔵野台地の広大な雑木林もまた、都市と狸とを結びつける舞台となった。
『狂歌雑纂』に曰く
「月の夜や 人をばかすか 武蔵野の 狸の腹に 風の鳴る音」
江戸からわずか半日の距離に広がる原野は、江戸市民にとって「日常の外側に控える異界」だった。
明治期の随筆や紀行文をひもとくと、武蔵野の林中で狸に惑わされたという逸話が数多く残されている。
――「武蔵野原にて怪しの出来事あり。夜毎、薪取の者ども狸火に惑ひ、夜明けに至るも家路つかず。或いは馬手綱を失ひ馬は暴れ、或いは人影を追へば忽ち藪の奥へ消ゆ。里人、口々に『狸の仕業』と騒ぎ立つ。」
(瓦版『武蔵野奇談』、安政年間刊行)
不可解な体験を狸譚の形式で説明しようとしたものであろう。つまり都市の周縁に広がる森や原野こそが、狸の棲処として市民の想像力を刺激し続けたのである。
ここで注目すべきは、狸が現れる場所が「都市と山野の中間」だけに限らなかった点である。狸穴のように都市の内部そのものに異界が穿たれていると考えられていたことは、きわめて重要である。江戸という計画都市の整然とした街路の只中に、秩序の及ばぬ空隙が存在する。そこは単なる地形的窪地ではなく、都市の精神的景観における「亀裂」として感得されていた。そこに狸の影を重ねることによって、江戸の人々は自らの都市生活の不安や揺らぎを物語化したのではないだろうか。
また、近世から近代へと移り変わる過程で、都市の空間は急速に拡大し、その縁辺もまた飲み込まれていった。鉄道の開通や宅地開発により、かつての雑木林や湿地は住宅地や商業地へと姿を変えていく。しかしそうした変化の中にあっても、「狸がいた」という記憶は地名や言い伝えとして根を張り続けた。
たとえば『明治雑記抄』(明治二十年頃)の一節に、こう記されている。
――「夜半、玉川上水を渡るとき、藪より太鼓の音を聞きぬ。人声とおぼしきもの交じるも、近づけば忽ち消ゆ。供の者、狸の腹鼓ならんと笑ひしが、後に近隣の者に質せば、かかる怪異しばしばあると聞けり。」
ある地域では小学校の怪談として、またある地域では郷土誌の片隅に、狸の影はしぶとく生き延びる。都市がいかに拡張しようと、その下層には常に「境界の動物」としての狸が沈殿しているのである。
『東京日日新聞』(明治二十八年八月二日付)には、上野公園にて「夜ごと狸の影を見た」とする投書記事が載せられている。
――「噴水の傍らに黒き影あり、子供の笑ふがごとき声を発し、忽ち消ゆ。巡査来たりし時は既に影なし。人々口々に狸と申す。」
興味深いのは、こうした都市狸の伝承が単に「古き良き怪談」として懐古的に語られるにとどまらなかった点である。むしろ近代都市においては、狸の語りは人間の社会変化や不安を映し出す鏡として作用し続けてきた。夜道を歩く女性が感じた不気味な気配、鉄道沿線の造成地で囁かれる怪異の噂、繁華街の片隅で繰り返し目撃される奇妙な姿――そうした逸話群は、人間の秩序と無秩序の境界を体現するものとして狸のイメージに吸収されていったのである。
狸は、より人間に近く、生活圏の隙間に入り込む存在として現れる。狸穴や武蔵野の雑木林での逸話が物語るのは、まさに「都市生活のすぐ隣にある異界」の感覚であった。狸は山奥に閉じ込められることなく、人の暮らしの中心にまで忍び寄り、そこで化かし、笑わせ、あるいは恐れさせる。都市という舞台が成立したその瞬間から、狸はすでにそこに棲み込んでいたのだ。
この章の先では、都市狸の具体的な姿――明治から昭和にかけての新聞記事や随筆に現れた事例、戦後都市の拡張に伴う新たな怪談、さらには現代メディアにおける狸像の変容――をたどっていくことになる。ここではその詳細に立ち入らないが、先取りして言えば、狸は「都会に不意に現れる異界」を象徴する存在として、今なお息づいているのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます