ヒナの詩 

☃️三杉 令

Into the world 夢の大地

「ついに来たんだな」


 カイがつぶやいた。16歳の男子だ。


 夏の青空の元、原野はどこまでも続いていた。低く茂る草が風に揺れ、遠くには丘がいくつか浮かんでいる。薄い雲から太陽の光が斜めに差し込んでいた。風が草を撫でる音だけが耳に残る。その広さに吸い込まれていくようだった。


(この広い世界のどこかにヒナがいる)




 ――1年前



 二人は幼馴染だった。ヒナはカイより2、3歳下のかわいい女の子で、その透き通る声で素朴な歌を歌うのが得意だった。また、いつも地面に棒で何かを書いていた。二人はとても仲が良かった。


 ある暑い夏の日、農作業の合間に、カイは木陰でしゃがんでいるヒナに何気なく訊いてみた。


「何を書いてるの?」


 ヒナは「……おはなし」と言ってにっこりと笑った。


「はなし?? どんな?」


 カイは汗を拭き、ヒナの長くうねっている黒髪とくりっとした瞳を見て、少しドキリとしながら顔を近づけて訊いてみた。

 文字は村に入って来たばかりで、取引の記録ぐらいでしか使われてはいなかった。むろん書き物の物語はこの村に存在するはずもなかった。


「わたしが考えたの。二人の人がなかよく幸せに暮らすの」


 ヒナは屈託のない笑顔で言った。

 カイは驚いた。自分で考えた物語を文字で書くなんてことは聞いたことが無かったし、それをこんな子供が自ら考えだすなんて。そもそも文字を書けるのは大人でもごく一部なのに。


「ヒナはすごいなあ、そんな事ができるんだ」

「楽しいよ」


 カイとヒナが住む村は、近年、干ばつなどで農作物があまりとれなくなり、新しい土地を求めて北の未開地へ次々と旅立たねばならない状況だった。


 やがてヒナの家族はカイより一足先に北の未開地へと旅立つことになった。



 ――出発の前日



「カイ、ちょっと来て」


 ヒナはカイを引っ張って近くの丘の洞穴に連れて行った。洞穴の中の壁には何かの染料でびっしりと「おはなし」が書かれていた。カイには読めない。


「す、すごい。これ全部ヒナが書いたの?」

「うん、そうだよ。カイ、読める?」

「い、いや……」


 カイがそう言うとヒナは少し寂し気な顔を見せた。


「ごめんね、ヒナ」

「ううん、いいの。じゃあさようなら、カイのこと忘れないよ」


 カイは思い立ってヒナの両肩をつかんで真剣に見つめた。


「あのさ、オレ、これ読めるようになるよ。それから、いつか俺もヒナを追いかけて北に行くから待ってて、必ず行くから!」

「ありがとう。とても嬉しい」


 ヒナは満面の笑みを浮かべた。


 次の日の朝、ヒナは新天地へと旅立った。



 ✧ ✧ ✧



 カイは農作業の合間に必死に文字を覚えた。ヒナの洞穴の「おはなし」を解読するのに半年もかかった。全てが分かった時、カイの目から涙がこぼれた。



――1年後、ようやくカイも同じ道をたどることになった。


 強い日照りの下、慣れない旅で4週間もかかってカイは北の大地に到着した。過酷な旅だった。ヒナも1年前に同じ苦労をしたに違いない。


「ヒナは無事に着いたのだろうか?」


 ようやくたどり着いた場所は夢の大地だった。


 原野はどこまでも優しかった。きらりと光る草が風に揺れ、遠くには森が豊かな実りを貯えている。澄んだ青空、鳥たちの歌声が響き、ここは楽園だよと言っていた。


(この広い世界のどこかにヒナがいる)


 夏の爽やかな風が吹き抜けた。カイは広大な風景を眺めながら、何十回も読んで覚えたヒナの「おはなし」をそらんじた。



**********************************

私には好きな男の人がいます。

その人はいつも私にやさしくしてくれました。

よく働き、笑顔が似合う素敵な人でした。


私は遠くに行くことになりました。

その人と別れなければいけません。

でも遠い北の地で私は、

その人のことをずっと想い続けるでしょう。


いつか私達の楽園を一緒に作りませんか? 

カイ、待ってるよ。

**********************************




 カイは耳をすました。ヒナの歌声が聞こえてきたような気がした。

 そして大声で叫んだ。


「ヒナー、やってきたぞー! 一緒に暮らそうー!」


 鳥のさえずりが、一面の花が、

 二人の未来を祝福しているようだった。




――カイとヒナの新しい旅がこれから始まる





 ―― おわり ――






  詩さんに捧げます

  ('25.8.17)

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