マネーデス!!ゲーム

稲佐オサム

第1章 黒い封筒



1. 取り残された夜


 湿った夏の夜だった。窓を開けても風は入らず、古いアパートの一室にこもる熱気と、カビ臭さだけが肌にまとわりつく。

 **佐伯蓮(さえき れん)**は、薄い布団の上に仰向けになりながら、天井の染みをじっと見つめていた。


 派遣バイトのシフトを終えた帰り、財布の中を確認して愕然とした。千円札が一枚もない。小銭は缶コーヒーを一本買えば消える程度。電気代の督促状は机の上に積まれ、スマホには「残高不足」の通知が何度も光っていた。


 夢も希望も、もうとうの昔に手放していた。大学を中退してからの三年間、蓮は何も得られていない。ただ、時間だけが浪費されていく。


 「……こんな人生、どこで間違ったんだろうな」

 独り言は、埃っぽい空気に溶けていった。



2. 不気味な訪問者


 夜中の二時を過ぎたころ、ポストに「カサッ」と何かが落ちる音がした。

 深夜に郵便? そんな馬鹿な。訝しみながらも玄関を開けると、そこには一通の封筒があった。


 黒光りする厚紙。中央には血のように赤い蝋で封がされ、奇妙な紋章が刻まれている。

 ただのダイレクトメールではない。ぞくりと背筋が冷える。


 蓮は震える指で封を切った。中には一枚の招待状。

 そこには、こう書かれていた。


 > 「あなたの人生を変えるゲームへようこそ」

 > 開催日:○月○日

 > 場所:帝都ホテル 特別フロア

 > 賞金:10億円


 そして最後の一文。


 > 「参加資格:金に困っている者」


 思わず乾いた笑いが漏れる。

 「……俺宛てかよ」



3. 心の揺らぎ


 最初は悪質な詐欺か、あるいは冗談だろうと思った。だが、なぜか紙からは妙な迫力が伝わってきた。インクの匂い、ざらりとした質感、そして何より自分の状況にあまりに的確すぎる「条件」。


 蓮の頭の中で、ふたつの声がせめぎ合った。


 ――行け。どうせ失うものなんてない。

 ――やめろ。命まで取られたら終わりだ。


 しかし、命を惜しむほどの未来が自分に残っているのか? 働けど借金は減らず、家族とも縁を切られ、友人も去っていった。

 「人生を変える」という甘美な言葉は、彼の心に鋭く突き刺さる。


 その夜、彼は眠れなかった。



4. 出発の日


 開催当日。蓮は古びたスニーカーを履き、襟の擦れたシャツを着て駅へ向かった。

 電車の窓に映る自分の顔は、疲れ切った二十代の若者。だが、その目だけは、久しぶりに光を帯びていた。


 帝都ホテルの前に立ったとき、彼は思わず息を呑んだ。

 大理石の外壁、磨き上げられたシャンデリア、黒服のドアマン。普段なら自分には絶対に縁のない場所。


 だが、封筒の招待状を見せると、ドアマンは無言で頷き、特別エレベーターへ案内した。


 重厚な扉が閉まる音が、どこか棺桶の蓋を連想させた。



5. 不吉な予感


 エレベーターが静かに上昇する。

 蓮はポケットに手を突っ込み、招待状をぎゅっと握った。汗で紙が湿っている。


 「ゲーム……か」

 口に出すと、それは冗談ではなく現実の言葉に変わった。


 やがてエレベーターは最上階に到着する。扉が開いた瞬間、広がるのは煌びやかなホール。そこに十数人の男女が集まっていた。


 不安と緊張にざわめくその光景を見て、蓮はようやく理解する。

 自分だけではない。

 ――これは本当に始まってしまうのだ、と。

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