小憩 1
扉の先にある部屋はアイボリーの壁紙に囲まれていた。広間とは一転して、壁にかけられた小ぶりのランプが部屋を照らしている。赤の壁紙に煌々と光るシャンデリアは見当たらない。広間にあるものよりは一回り小さいテーブルに、木目調のチェアが十二人分並べられている。
キッチンは想定外な温かみのある空間だった。
「本当だ。ちゃんと準備されてる」
天板には料理が置かれていた。白銀のプレートを占めているのはサンドイッチだ。ご丁寧に一切れずつペーパーで包まれている。朝食と聞いて想像するごく普通のものではなく、ホテルで運ばれてくるような洒落た食事だ。扉付近から近くに寄ってみれば、皿の上はより豪華に映る。
白くふわふわとしたパンは、洗濯したばかりのタオル生地を思わせた。側面にほどよい焼き色がついており、肉厚な四角形の断面からは緑や黄色の野菜が覗いている。挟まっているのは卵やローストビーフ、レタスやサーモンといった具材たちだ。
申し分なく準備された朝食は食欲をそそるようでいて、どこか不揃いさが残る。自分達が置かれている状況と、目の前に広がる穏やかな風景との食い違いは消えなかった。
「せっかくなら飲み物も欲しいね」
「あ、もしかしたらそっちの棚にあるかも。シャルくんの後ろ」
ポーラの目線を追って視線を動かす。彼女の説明通り、この部屋には簡単な調理が行えるスペースがあった。シンクの周辺には調理器具が備えられ、隣には木製の棚が取り付けてある。上部には複数の食器が収納されていた。大小のプレートやグラス、カトラリーの類を確認し、ひとつ下の引き出しを開く。
お目当ての物はそこにしまわれていた。取手を引いた瞬間、ほろ苦さを含んだ空気が舞う。午前中の意識を刺激する独特の匂いに、やや遅れて驚きがやってくる。香りの正体は、戸を開けてすぐの位置に置かれたコーヒー豆だった。
さらに奥を覗くと、茶葉で満たされたガラス瓶が見つかった。全部で5個ある瓶にはそれぞれラベルがつけられており、耳にしたことのある銘柄が記されている。
「ポーラ、コーヒーと紅茶どっちがいい?」
「んー、紅茶がいいな」
品種を訊ねると曖昧に首を傾げられたので、ひとまず目についた瓶の蓋を開ける。中に埋もれていた金色のティースプーンを取り出し、手元に二つ分のカップを用意する。
「座ってていいよ、俺淹れるから」
感謝の言葉とともにポーラが椅子を引いたのを見届けてから、身体の向きを戻す。足元のキャビネットを開けてみれば、予想通りの器具が見つかった。引っ張り出したケトルをコンロの上に置く。
かち、こと。こと。火にかけられる水の音は、なんの変哲もない毎朝のルーティンを彷彿とさせた。目が覚めて、硬くなった身体を解すために伸びをして、お気に入りの飲み物を淹れる。至極平和な1日の始まりが、上手く働かない脳を照らしては消える。沸騰するまでの数分、温度の上がっていくケトルをただ見つめていた。
棚と反対の壁際にはフリッジがあった。中は水らしきものが入ったボトルで敷き詰められており、食材の類は見当たらない。かと思えば、列の奥に透明ではない色が見えた。照明の下に持ってくると、そのボトルに白い液体が入っていることが分かる。側面に貼られたメモにはMilkの表記がされていた。
「ミルクは入れる?」
「うん、甘くしてほしいなー……」
真白いポットに湯を注ぐ。続けて、カップの内側を透明な湯で満たす。徐々に熱を持っていく陶器に手をかざせば、当然のように指先へ熱が伝わった。
食器が十分に温まったことを確認してから、ポットとカップを空にして茶葉を取り出す。取り出した瓶に付いていたラベルはダージリンだった。ポットの底に落とされた濃い色が、水分を吸って滲む。
待っていたのは時間にしてみればわずか数分だ。持ち手に触れ、丸みのある陶器を傾ける。蒸らされた空気が押し出され、螺旋を描きながら琥珀色が溢れていく。
最後の一滴を注ぎ終えたポーラ分のカップに、冷たいミルクを混ぜる。透き通った液体は一気にまろやかな色味へと変わった。
トレーに二つ分のカップとプレートを置き、先ほど見つけたシュガーポットを添える。
「お待たせ」
「ううん」
湯気の揺らぐカップをテーブルに置き、ポーラの正面に腰掛けた。持ってきた食器を彼女へと手渡し、中央に置いてあったサンドイッチを取る。適当に選んだものだったが、俺のサンドイッチにはペースト状の卵とチキンが挟まっていた。
「食べよっか」
「うん……ありがとう、シャルくん」
「いいえ」
俯きがちだったポーラがゆるやかに顔を上げた。もう一度呟いて、そのままプレートへと手が伸ばされる。彼女がサンドイッチを口元に持っていく動作を眺めてから、俺も倣って包み紙を掴む。
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