思惑 1

 掴んだドアノブを押し込む。黒く塗られた扉はさして抵抗もなく開いた。


「あぁ、戻ってきた」


 そう口にした男が顔を傾ける。彼の肩から、ひとつに結んだ薄い灰の髪が滑り落ちた。その音吐おんとは屋敷に来てから何度か聞いているものだ。前日の議論でも耳にした。焦りを含む気配のない、妙に穏やかな音色。


「君のことを待ってたんだよ」


 下瞼が弓なりに持ち上がり笑みを作る。こちらを向いた真赤の瞳が、丸い円の形を崩した。


 本日一度目の集いとは異なり、広間にいる九人は揃ってテーブルを囲んでいる。アシュクの部屋から一人遅れて戻ってきた俺に対して、色とりどりの目線が送られた。

 笑いかけてきた白の男に「遅れてごめん」とだけ返し、彼らの背を通って中央へと歩く。

 この場に並べられた十二の椅子のうち、前日は無かった二つ分の空席を横目に、用意された席へと腰を下ろす。白の男は俺の着席を確認した後、どこか満足げとも取れる様子で姿勢を正した。

 何とは無しに卓上へと目をやる。テーブルの上に載っている物はなく、本日分の新しい手紙は見当たらなかった。目前の光景は昨晩とまるきり同じだ。左右に座る人物も、皆の服装も変わらない。

 不思議と浅くなっていた呼吸に気づき、細く息を吐く。


 ふと、誰かの視線を感じた。瞳の持ち主を探すより前に、体感で自覚する。その視線は、最前、部屋へ戻ってきた時に向けられた複数の目とは違うものだ。送られる注目に込められた意図はなんなのか、俺にはまだわからない。

 顔を上げる。

 心のどこかで予想していた通り、視界に飛び込んだのは青色だった。正面に座る彼がこちらを見据えている。昨日と同じ、何故だか逸らされない双眸そうぼう。瞼の裏側がじり、と痛んだ気がした。単なる錯覚かもしれない。


「それで。議題は役職……占い師についてだったわね」


 役職。現状において聞き逃すべきではない言葉に身体が反応する。

 発言したのはダリアだった。胸を張って背筋を伸ばし、周囲を見回す。毅然とした態度と表現されそうな佇まいが、緊張と恐怖をかき消すための振る舞いに思えるのは、彼女の表情が変わらず曇り続けているからだろうか。

 彼女の問いかけを頭で整理しながら、考える。


 たった今。

 一瞬、身体の熱が上がったように思えた。火照った指先がじわじわと脈を主張する。血が回ったのだろうか。テーブルの下で手を握っては開き、体内に留まった違和感を逃がす。


「このお遊戯において重要になるのはそれぞれに振り当てられた役職。なぜならそれが人間と狼を見分ける判断材料となるから。霊媒師は私だから、次は占い師を確定させるべき。そうよね?」

「うん、間違ってないよ」


 レオが返答する。他の者からも反論が上がらないことを確認してから、ダリアは胸の前に片手を挙げた。


「じゃあ尋ねるわ。占い師の役職を得たのは誰?」

「私」

「は」


 間を置かず発された言葉に、さらに短い音が重なる。わたし。そう答えたのは俺の左隣に座っていた女の子だった。

 横顔を見る。葡萄を思わせる瞳に、チョコレート色の髪がかかった。耳の下で束ねられたお団子は、至極綺麗に保たれている。

 特徴的な切れ長の目で、彼女は向かいのダリアを見つめていた。


「違う、占い師は」


 彼女、ニナの言葉に意を唱えたのは俺から見て右側にいる男だ。


「俺だよ。彼女は嘘をついてる」


 唾液を飲み込んだのか喉仏を上下させる。顔から色を失いながらも、自身の主張を伝えるためか言葉を区切りながら、レオは話した。


 議論を進めようとしていたダリアが、ニナとレオを交互に見やる。

 占い師を主張する者が一人だけになるとは限らない。揃えられた配役上、この状況はある程度予想することができていただろう。それでも、彼女の表情から見て取れる絶望は俺だって理解できた。

 人狼に利をもたらすため、二人のうちどちらかが嘘をついた。彼らの中に、相手と自分の命を天秤にかける覚悟ができた者がいる。


「え、えっ。どういうこと!? だって私が占い師のカードを引いた!」


 ニナが困惑を口にする。首を左右に振り、自身の身に降りかかろうとしている不審への否定を露わにした。はっきりとした目尻を動かし、繰り返し瞬きをする。

 俺の席は二人の間に位置している。だからこそ、彼女へと突き刺さるレオの視線がありありと感じ取れた。一方のニナはレオと目を合わせることなく、私は、と呟きを続けている。その語りかけは周囲に対しての表明なのか、はたまた独り言か。

 どちらにせよ、占い師を騙る者がいるという現状を無視しているかのようなニナの態度に、レオが落ち着きなく立ち上がった。右手で髪を雑にかきあげ、台詞が出てこないのか唇を噛み締める。


 二人の矛盾する訴えに既視感を覚えたのは、役職に関する言い合いをしていたダリアとアシュクの姿を思い出したからだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る