開演 5
指し示されたのは一人の女の子だった。俺からは離れた位置に座る、ベージュを基調としたワンピースを着た彼女。桃色の瞳を
「え……え、わたし」
胸元で両手を握る。すぐには理解が追いついていないようだったが、瞬きのたび、次第に瞼の輪郭が歪んでいく。
「そんな、つもりで言ったんじゃ」
元からか細いであろう声質が、より不安定に言葉を紡ぐ。絞り出された彼女の弁明に発言を重ねるものはいなかった。
白の男が言及したのは、他者の意見に同調した者への不審だ。
アシュクに対する反応から人狼を疑われ、ダリアは自身が霊媒師であると明かした。その告白に「そんな反応じゃなかった」と口にしたのは確かに三つ編みの彼女だった。
彼の思考はなんとなく理解できる。
先んじて誰かを指摘する者よりも目立ちにくい。第三者として疑いに賛同することで、注目の対象が変わってしまうのを防ぐことができる。彼女の行動は、まさしくその通りに映った。
民衆に処刑されることを避けたい人狼にとって潜伏は重要だ。
対する村人は、情報が限りなく少ない中で、あくまでも人狼である可能性の高い人物を処刑する。
それは確かに理論的な考えだった。ゲームとして正しい、人間の振る舞い方。
「ごめん、なさ……ちがう」
蒼白になった顔に、 彼女が震える手を当てる。
違うの。もう一度こぼされた否定の言葉は、湧いた猜疑心を晴らすほどの強さを持ち得るようには思えなかった。
「これはあくまでも、議論を前に進めるための一意見だよ。他の見解があるならば挙げてほしい。もちろん、君からもね」
自己紹介と変わらぬ抑揚で、白い男が彼女を促す。反論の余地を残す疑いの向け方は果たして優しさなのか。
どちらにせよ、理性的な講義をする余裕など彼女には残っていなかったのだろう。
椅子から崩れ落ちるのではないかと心配してしまうほど、彼女は顔色を失っていた。引き攣った頬が戦慄の形を作るのがいやに恐ろしく映る。荒く乱れた呼吸の音が、俺の元まで聞こえた気がした。
「他……って言っても」
机の端から誰かが呟く。
「もう、19時」
反射的に壁を見上げようとした瞬間、鼓膜を叩いたのは騒々しい鐘の音だった。直感で理解してしまう。
これは開演の合図。
一通目の手紙には幾つかのルールが記されていた。混乱に占領された頭で、聞き逃すべきではないと必死に飲み込んだ文字の数々。読み上げられた内容が脳にこだまする。
鐘が鳴り終わるまでに投票を終えてください。
固く握り込まれた右の指先を左手で覆う。途端、息の吸い方が分からなくなった。酸素が薄くなったかと錯覚する。今ここで、誰か1人を指さなくてはいけない。それが何を意味するのか分からないほど、狼狽はできていなかった。
十一回分の鐘が鳴る。おそらくは後一回、次で終わりだ。
人狼は誰か。
「いや」
腰掛けたままの彼女が椅子の脚を引く。地面を引っ掻く不協和音が耳に残る。悲鳴に似た呼吸音は絶望にかき消され、響くことはなかった。
忘れていた吐き気が喉元に張り付く。吹き出した汗がこめかみを伝い、己の首筋に落ちるのがわかった。
それでも頭は冷静に、彼女へ向けられた指先の本数を数えている。
七人。視覚的にも直感で悟ってしまう、最多票。
かしゃり、重みのある音がする。実際は大した音量ではなかったのだろうが、息を呑むのも躊躇われるこの場で、それは十分耳についた。まともに動かない首を回して右側を向く。
机を叩いたのは、先刻も届けられたばかりの手紙だった。今度の封筒は白に赤の蝋で封がされている。目を覚ました際、初めに机上へ置かれていたものと同じ色だ。
次はなにをさせたいのだろう。血の流れが狂っている感覚がして、頭がぐらつく。
前後不覚になりかけた視界の中で、封筒に向かって伸ばされた腕があった。骨ばった手が卓上に放られていたペーパーナイフに触れ、封を切る。中身を確かめるための仕草は至極自然で、日常とはかけ離れたこんな状況とは不釣り合いだった。
「お疲れ様でした。これにて初日の処刑は終了となります」
これは現実逃避なのかもしれない。文章を口にした男の青い瞳にかかる黒髪を見て、思う。
そういえば彼は議論に口を出していなかったな、と答え合わせのように頭が働く。与えられた文章をなぞる彼の声は、不思議と想像通りで、何故だか胸に焼きつく。
「過去公演の統計より、初日の処刑は非常にイレギュラーなものであることを確認しております。指示が適切に伝わらないことも多々ありましたので、本日は特別にこちらで手筈を整えました。
明日以降の公演からは皆様の手で進行していただくよう、お願い申し上げます」
説明の合間、引き攣った声が上がる。
「どうしたの、ねぇ」
震える声は、三つ編みの彼女がいた方向から聞こえた。
処刑の対象となった彼女は机に付していた。編まれた栗色の髪がテーブルに広がる。袖から覗く細い腕が力無く放られている。何も知らないで眠りに落ちていた、数刻前に戻ったかのように。けれども、そんなはずはないのだ。
微動だにしない彼女に呼びかける声がぼやけていく。まるで劇中かのごとく切り離された光景を見つめながら、俺の脳は続く叙述を捉えていた。
「同封された鍵を使用し、時計の下にあるデスクから小道具をお持ち出しください」
時計の真下には、木製の小さな引き出しがある。最も近い位置に座っていたのは自分自身だった。
鍵を手に取る。なかば無意識だった。見落としてしまいそうな大きさのそれは、黒髪の彼が手紙から取り出してテーブルに置いたものだ。指の腹にひやりとした金属の感触が伝わる。
立ち上がれば、靴とぶつかった椅子が不気味に鳴いた。机から離れ、重心を引かれるように歩く。壁際のデスクにあった鍵穴に、見つけてしまった鍵を差し込む。
軽い音を立てて引き出しが開く。カードと同様、随分な余白を持ってそれは仕舞われていた。柄の部分には家具と揃いの装飾が刻まれている。取り込んだ光を反射して、金色の表面が鋭く輝く。
それは人の命を奪うための、完璧な小道具。
誰かが彼女の状態を確認したのだろう。後方から
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