人類終焉計画

花隈回

-01- ENDING ACT

Plan.01 月の墜落

「明日地球が終わるなら、なにする?」


 よくある他愛のない会話に、少女はいつまでも答えを出すことができなかった。はっとするほど明るくなった夕刻、眼前にひかる火球を見つめても、尚。


「わたしは……」


 自転車を降り、あの日の会話に続きをつけ足す。ディープグリーンのスカートが夏に似つかわしくないほど冷たい北風に揺れる。少女――大朔澄香おおさく すみかは虚空に告げる。


「なにもしなかった。世界が終わろうとも、家に帰るだけ」




 それは八月の暑くるしい放課後のことだった。アメリカ合衆国の新都市レゼンストンに留学中の澄香は、高校からの帰宅途中に墜落していく火球を遠くに見た。愛用しているマウンテンバイク風の自転車をとめ、先ほどの言葉に至る。

 何事もあきらめていた。数学の試験で一点足りなかったときも、幼い頃の徒競走で二位になったときでさえも――大朔澄香という人間にとって、終末思想はなんとなく身近だった。親も知らぬ彼女がそうだったのは本当になんとなくで、いつしか世界は終わるから、成長しそのような考えに至るほど思考は彼女をあきらめさせていた。

 その〝あきらめ〟は、本物の終末の前では通用しなかったのが現実である。澄香の脚はいま、確実に震えている。黄金の瞳は墜落していく光の尾を追いかけ、有り得ないと言いたげに揺れている。


「逃げろ、潮流がおかしい! ……おい、嬢ちゃん! そんなところにいたらだめだ、少しでも高台に!」


 川釣りが好きな初老の男は人々を連れ、澄香の帰路とは反対に坂を登っていった。立ち尽くす澄香を目覚めさせるかのように彼は叫び、返事をする間もなく逃げていった。

 目撃したものに驚きはしたが、逃げたいとは思わなかった澄香は軽くいなしたあとにその場で小型ラジオをつけた。休み時間や列車に乗るときなどに聞いているものだ。この時間は家庭菜園チャンネルが流れているが、どういうわけかそこでは、聞き馴染みのない古ぼけたジャズ・スウィングが流れている。チャンネルを間違えたかとつまみを幾度回しても、同じものが耳に入る。

 心がざわめいた。明るい旋律でありながら枯れたような音色が脳まで染みつく。次の瞬間、「ははっ」と男の笑い声が聞こえた。だれかを小馬鹿にしているような、そういった声。


「チャオ!」


 次に聞こえたのは、親しみを込めた気兼ねのないイタリアのあいさつだった。澄香は思わずラジオを握りしめる。その感情が恐怖か何なのかは、まだ誰も教えてはくれなかった。


「人類諸君。俺のこと知ってる? 教科書で見たことある? そう、俺は君たちが恐るべき〝魔王〟――ナザリオ・テラノーヴァさ」


 広範囲な電波ジャックが起こっていると推測するまでもなかった。人類を名指しするのならばレゼンストンだけではない。アメリカ全土、いや――おそらく世界じゅうを巻き込んで、ナザリオという男は放映している。

 澄香は彼を知っていた。地球市民である以上、彼を知らないのはほど幼い子どもか宇宙人だけだ。二百年前のとある事件からヒトという科を憎み、科学で命を繋ぎ復讐を計画してきた、まさに人類の敵、魔王。


「わからない人類に言ってあげるけど、空にひかる火球、あれは彗星でも隕石でもない。月の破片だよ。ただしい軌道を描いて、南極に墜ちる設計だ。今後、満月は観測できないだろうね」


 「月!」澄香は抑えきれず小さく叫んだ。

 月が墜落ともなれば、破片だけでも地球には相当な影響を及ぼす。市民が騒ぎ立てていた潮位変化は本当だったようだ。


「さて、この計画――〝人類終焉計画〟は始まりに過ぎない」


 彼の口ぶりから察するに、月の破片は彼自身が墜としたのだろう。そんなことができるのかという問いはさておき、そうなのだ。今は現状を飲み込むしかないと、澄香はラジオに集中して聴き入る。


「滅びか進化か。愛しい君たちに選択を委ねよう。早く選んでね、さもないと――」


 ラジオの奥の魔王は、にやりと笑う。それが容易に読み取れるほど、彼の声色は不気味なほどに跳ねる。


「宇宙ごと爆破しちゃうからさ」


 先ほどとは打って変わって、彼のなかのどす黒い復讐心が声色として現れた。この衝撃を与えるひとことで、ナザリオ・テラノーヴァの犯行声明は幕を閉じた。そのあと無事にすべてのチャンネルは返還されたが、各局で速報が喧しく響き渡った。

 いよいよ世界終末は避けようのない現実として人類の前に立ちはだかった。それでも、澄香にとって今やることはただひとつ。震える手で自転車をゆっくり押しながら、早鐘を打つ心拍を無視して家に帰ることだけだ。

 その日は夕飯もシャワーもほどほどに、ベッドに身を倒すとすぐに眠りに落ちた。高校の試験も、飛び級のための大学院入試すらとうに終えたというのにひどい有り様だ。しかし眠れないよりはましだと、澄香なら考えるだろう。




「……うるさ」


 翌日、澄香がひとりで暮らすおんぼろアパートに朝をもたらしたのは太陽の光、次にまったく非常識な先輩学者からの一本の電話だった。着信音に設定しておいた、アジアで流行りのJポップは太陽が昇っていることに安堵する暇も与えてくれなかった。


「はい」

「もしもし、閖江ゆりえです。突然だけど、すぐ来てくれない?」

「どうしてですか。お手伝いの時間はまだ先でしょう? 昨日の件ですか」

「ええと……関連があるのかないのか、わからんけど、とにかく――あんたの研究室が、なんか光ってんの」


 閖江ほどの天才ともなれば、たまにはわけのわからないことも言うのだなと澄香は感心した。早めに顔を出すことに決め、通話を切ったあとはさっさと身支度に移った。

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