13

イベントホールの内部は、巨大な聖堂だった。


天井には、宇宙を模したプロジェクションマッピングが映し出され、無数の星々がゆっくりと流れている。


ステージは、白い大理石で作られた祭壇のようだった。


千の魂が、一つの目的のために集う、異様な空間。


俺は、群衆の中に紛れ込み、息を殺した。


周囲の人間は、皆、恍惚とした表情でステージを見つめている。


何人かは、無意識のうちに「アセンション……」と、聖句のように呟いていた。


これから自分たちの魂が喰われることなど知らずに。


やがて、会場の照明が落ち、ステージに一本のスポットライトが当たる。


静寂の中、佐藤ケンジが現れた。


今日の彼は、純白の、まるで司祭が着るような、シンプルな衣装を身にまとっていた。


その姿は、もはやビジネスの成功者ではない。信徒たちを導く、救世主そのものだった。


「ようこそ、同志たちよ」


彼の声は、直接、脳に語りかけてくるような、精神的な波動だった。


「今日、君たちは、個という名の殻を破り、一つの偉大な意識体へと昇華する。アセンション――次元上昇の時が来たのだ」


彼の言葉に、群衆が、まるで一つの生き物のように、どよめいた。


「さあ、目を閉じなさい。そして、意識を、私に預けなさい」


千人の参加者たちが、一斉に、その指示に従う。


俺も、目を閉じた。だが、意識だけは、決して手放さない。


佐藤の誘導瞑想が始まる。


強大な精神的な奔流が、会場全体を飲み込んでいく。


俺は、流れに逆らわず、自らもその奔流に身を任せ、摂理(システム)の中心核、あの漆黒の闇へと潜っていく。


精神世界が、目の前に展開される。


そこは、光の銀河だった。千の輝く星々(参加者たち)が、巨大な渦を巻きながら、中心にある一点へと吸い込まれていく。


中心にいるのは、星々を飲み込む、巨大なブラックホール。


今だ。


全ての意識が、完全に同期し、無防備になった、この瞬間。


俺は、俺の意識の中に、弟の形見のキーホルダーを握りしめた。高橋の、虚ろな目を思い浮かべた。リナの、弟のノートをなぞる指先を思い出した。


怒りを、憎しみを、悲しみを、そして、失われた者たちへの愛を、一つのコマンドに変換する。


俺は、叫んだ。精神の、全ての力を使って。


『思い出せ!』


異分子(ウイルス)は、放たれた。


『お前たちが、本当に欲しかったものは何だ!』


その瞬間、光の銀河に、異変が生じた。


銀河のあちこちから、不協和音が鳴り響く。赤ん坊の泣き声、打ち立ての蕎麦の香り、初めて契約を取った時のガッツポーズ。


忘れ去られたはずの、人間臭い記憶の断片が、完璧な摂理(システム)の中に雑音(ノイズ)として溢れ出し、美しい星々のハーモニーを掻き乱していく。


突如、銀河の全てが、完全に静止した。


星々の回転も、エネルギーの流れも、全てがフリーズする。


絶対的な支配者が、初めて摂理(システム)内の異常を検知し、時間を止めたのだ。


その完全な静寂の中で、たった一つだけ、不規則に、しかし決して消えない光を放ち続ける存在があった。


俺だ。


中心にいた、漆黒の闇が、ゆっくりと、こちらを向いた。


現実世界のステージの上で、穏やかな笑みを浮かべていた佐藤ケンジの表情が、初めて変わった。


その目は、もはや救世主ではない。


自らの聖域を荒らされた、神の怒り。あるいは、食事を邪魔された、飢えた獣の、獰猛な殺意。


彼の視線が、現実世界の俺の身体を、正確に射抜いた。


次の瞬間、俺の頭の中にだけ、雷鳴のような声が轟いた。


『貴様、何をした』

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