摂理

帰宅後、PCを起動した。


検索窓に『METAMORPHOSE』と打ち込む。


サイトには、成功者たちの声が動画付きで掲載されていた。年収が10倍になったコンサルタント。無名の画家から、個展で全ての絵を完売させたアーティスト。彼らは皆、一様に輝かしい目で、自らのパラダイムシフトを語っていた。


セミナーの参加費用は、俺の月収の三ヶ月分に相当した。


ネットバンクに表示された数字の羅列。俺がこれまで費やしてきた時間の対価。


この数字と引き換えに、人生が変わる。


費用対効果を算出する。現状維持のリスクと、投資のリターン。


思考は、いつもの業務と同じプロセスを辿っていた。


決定は、合理的になされた。


会場は、都心の高層ホテルのボールルームだった。


三百人以上はいるであろう参加者たちは、皆、一様に上気していた。その瞳だけが、異様な熱を帯びている。


定刻通り、照明が落ちる。ステージにスポットライトが当たり、一人の男が現れた。


佐藤ケンジ。


彼の声は、熱狂を煽る演説ではなく、事実を淡々と告げる報告書のような、静かで、しかし絶対的な説得力を持っていた。


講義の最中、佐藤がふと、聴衆の中の虚空を射抜くように見て、言った。


「――まるで、魂の一部を誰かに盗まれたかのように、空っぽの目で生きていませんか?」


会場全体に向けられた言葉のはずだった。


だが、俺の心臓だけが、鷲掴みにされたように跳ねた。


プログラムの最後に、儀式が行われた。


黒い上質なカードと、金のインクが入ったペンが配られる。


「あなたの、最も大切な夢を、そこに一つだけ書いてください」


ペン先が、カードの上を彷徨う。


夢。俺の夢とは、何だ。


脳裏に、鈴木の顔が浮かんだ。ペン先が『復讐』という二文字をなぞりそうになり、俺は慌ててそれを振り払った。違う。俺が欲しいのは、そんな矮小なものではないはずだ。


――自分の力で、世界に価値を証明すること。


無意識のうちに、ペンが動いていた。


「書けた方から、ステージへ。私に、そのカードを預けてください」


参加者たちが、列をなす。


間近で見る佐藤ケンジの目は、感情というものが一切存在しない、黒曜石のようだった。


カードを手渡す。


彼の指先が、俺の指に触れることはなかった。


ただ、カードが彼の手へと移った瞬間、胸の中心に、ぽっかりとコイン大の空洞ができたような、冷たい感覚があった。


席に戻る。手の中は空っぽだった。


預けた夢は、もう俺だけのものではない。


不思議と、後悔はなかった。むしろ、肩の荷が下りたような解放感があった。


全ての責任を、委ねてしまったような。


これで、俺も変われる。

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