第3話
鋼鉄の獣と勇者の噂
異世界の朝日は、まるで巨大なオレンジのように地平線から昇り、荒野を黄金色に染め上げていった。
「ん……」
純は、トラックの仮眠用ベッドの心地よい揺れで目を覚ました。窓から差し込む光に目を細め、身を起こす。外の世界は未知でも、この運転席と寝室だけは、彼にとっての日常であり、城だった。備え付けの浄水器で冷たい水を一杯飲み、顔を洗う。
「さて、今日も一日、安全運転だ」
誰に言うでもなく呟き、純は再び運転席についた。エンジンを始動させ、巨大な車体を滑らかに発進させる。目的地はない。ただ、人の文明の匂いがする方角へと、道なき道を進んでいくだけだ。
数時間、単調な荒野を走り続けた頃、前方にうっすらと道らしきものが見えてきた。轍(わだち)がある。この先に村か町があるのかもしれない。期待に胸を膨らませ、その道に乗った瞬間だった。
「――助けて!」
甲高い悲鳴が、風に乗って純の耳に届いた。
視線を向けると、道の先で荷馬車が横転し、数人の男女が十数匹のゴブリンに襲われているではないか。馬はすでに殺され、護衛らしき男も腕から血を流して倒れている。残った商人風の男が、妻と子供をかばいながら、必死に錆びた剣を振るっていた。だが、多勢に無勢。ゴブリンたちの下卑た笑い声が響く中、その命が尽きるのは時間の問題に見えた。
「危ねえなぁ!」
純の表情から、のんびりとした雰囲気は消え失せる。元自衛官の鋭い眼光が、獲物と脅威を正確に捉えていた。彼は迷わずアクセルを踏み込み、一直線にゴブリンの群れへと突っ込んでいく。
ヴゥゥゥオオオオオンンン!!!
突如として響き渡った、大地を揺るがすような轟音。ゴブリンも、襲われていた人々も、一斉に音の方向を振り返る。
彼らの目に映ったのは、巨大な鉄の塊が猛烈な砂煙を上げながら、自分たちに向かって突進してくる姿だった。
「「「ギッ!?」」」
ゴブリンたちが状況を理解するより早く、鉄の獣はその牙を剥く。
フロントバンパーが、逃げ遅れたゴブリンを紙くずのように弾き飛ばし、巨大なタイヤが次々と緑の体をアスファルトに塗りつぶしていく。悲鳴を上げる暇も、抵抗する術もなかった。純はハンドルを巧みに操作し、人々を避けながら、面白いようにゴブリンだけを的確に轢き潰していく。
ほんの十数秒。阿鼻叫喚の地獄絵図は、ピタリと鳴りやんだエンジン音と共に、静寂に包まれた。残されたのは、無残なゴブリンの死骸と、呆然と立ち尽くす生存者だけだった。
「ひぃぃ……こ、鋼鉄の獣!?」
商人風の男は、目の前で起きた惨劇と、静かに佇むトラックの威容に腰を抜かしていた。
プシュー、というエアブレーキの音と共に、その獣の側面が開き、中から一人の男が降りてくる。
「大丈夫でしたか?」
土煙の中から現れた純の声に、男はびくりと体を震わせた。
「あ、あ……は、はい!あ、ありがとうございます!貴方様は一体…?」
「いや、通りかかっただけですから」
純は手早く周囲を見渡し、他に敵がいないことを確認する。怪我人の応急処置も手伝おうかと思ったが、彼らが自分とトラックに恐怖を抱いているのを察し、余計な干渉は避けることにした。
「あ、あのお礼をさせてください!せめてお名前だけでも!」
男が慌てて金貨の入った袋を取り出そうとするのを、純は手で制した。
「いりませんよ。それより、早く手当てをして、安全な場所に移動した方がいい」
それだけを言い残すと、純はひらりと運転席に戻り、再びエンジンを始動させる。
あっけに取られている人々を置き去りに、トラックは再び轟音を響かせて走り去っていった。
遠ざかっていく鉄の巨人の後ろ姿を、商人はただ呆然と見送っていた。
やがて、我に返った彼が、震える声で呟く。
「……神よ。今の御方は、まさしく……鋼鉄の獣を操る、勇者様だ…!」
鏡山純が知らないところで、彼の最初の伝説が、今まさに産声を上げた瞬間だった。この商人が次の街で語るであろう武勇伝が、やがて大陸全土に広まる噂の第一滴となることを、彼はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます