第06話 穢れの祓いは、罪の清め

[newpage]#01 穢れは罪の蓄積、清めるために、穢れを祓う

 人が生きていれば、穢れが生じる、肉や魚を食うには、殺さねばならない。米を食うことで、籾が減って、来年の収穫に影響する。食料を保存加工して蓄えることは、冬を生き残るためだが、食料を食えば、蓄えが減って危険が増す。人と争うのも穢れであり、穢れを祓い、争いごとを清算するのも、年末大掃除の務めである。


 年末に、穢れを知らしめて、穢れを祓う。


 穢れが多ければ、年末だけでなく、月末に穢れを知らしめ祓う儀となる。


 穢れは、人の闇、負の感情そのものが溢れ出たモノであり、蓄積すれば人が滅びてしまうので、なんらかの形で人の闇を祓い、穢れを清める必要が生じる。


#02 かばねは、生業なりわいを示す

 穢れを祓うのが、神官や巫女の務めである。務めを生業なりわいとすることで、役儀が定まって、役儀がかばねとなる。冠婚葬祭が、神祓官かんなぎの役儀であり、かばねとして確立していった。


 百姓とは、百のかばねであり、役儀全般を担当することを示す。


 藁を編んで藁草履を造る、渋柿を干して干し柿を造り、米を干して干飯を造る。

 村人全員で、様々な仕事を、分担して対応していた時代は、すべての役儀を、交代なり当番で、役儀を務めていた。しかしながら、役儀に適するモノも居れば、適し難いモノも居て、役儀は徐々に専業特化していく。


 役儀が専業特化する中で、祭祀が最初に独立してかばねとして、確立していくことになる。ムラを守るために、闘い護衛することも、徐々に専業化していく。国人や侍の始まりは、ムラを守るために、戦い守ることに徐々に特化していった結果であった。


 人の葬儀は、神社で扱われたが、獣や家畜の葬儀は、死骸の穢れを村人全てで、扱っていた。しかしながら、皮革産業が徐々に専業化するにつれて、専業特化するかばねが生まれてくる。


[newpage]#03 死の穢れが、徐々に仏僧の役儀となる。


 死は穢れとなり、穢れは、祓わなければならない。


 動物の死骸は、加工することで、食料となり、皮革製品ともなる。かばねは、職業を示し、死骸の取り扱いは、徐々に専業化していく。動物には人間も含まれて、徐々に穢れを扱う仕事そのものとなって、専業化していく。


 氏子の死は、神社にて祀られ、祖霊となるが、死骸そのもの取り扱いは、役儀によって進めなければならない。この屍の取り扱いが、結構厄介であり、当たり前だが、率先してやりたがる者が居ない、役儀である。


 大陸より、仏教が、浸透していく中で、葬儀における躯の扱いが、仏教徒に課せられる役儀となり、葬儀全般が、仏僧の仕事になっていった。日本における私度僧の始まりは、葬儀で躯を扱う役儀であり、貴族や富裕者の私度僧とは異なる。


 ムラに住まう、私度僧が、葬儀で躯を扱わなければ、ムラの不満が高まっていく。


 結果的に日ノ本に戒壇が設立され、五戒の浸透と共に、僧としての役儀が確立してかばねが確立していく。

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