第04話 建国と神社の体系化
#01 神社の体系化は、合祀に始まる
日本建国は、崇神帝より始まる、大道建設に始まり、大規模土木治水事業が、日本征覇の歴史となった。大道建設と日本征覇は、各地の
滋賀県竜王町の苗村神社は、祖霊として、那牟羅彦、那牟羅姫の男女神があり、国狭槌尊という、おそらくは皇族が合祀されています。縄文より人が住み、祖霊を祀っていた流れが、近江にはあって、土偶から木偶の流れや、卒塔婆への連なりは、継承の変化でもあります。
神社の体系化は、合祀の祭神を見ていくと、伺い知ることができます。苗村の由緒では、崇神帝の皇子垂仁帝が、国を拓いたとなっているので、日本征覇の中で、体系化に組み込まれていった神社となります。
崇神帝に始まる日本征覇は、大道建設と共に、神様の
崇神帝、垂仁帝、景行帝、成務帝、神功帝、仲哀帝、応神帝は、日本征覇の流れとなり、仁徳帝によって日ノ本統治の有り様が、纏められます。しかしながら、この時代は、記憶文明の時代であり、神話伝承という形で、記憶として受け継がれ来た形となります。
[newpage]#02 大道建設と大量動員・・・数は力
大道建設を可能するには、大規模に人を動員し、命令伝達や上位下達の流れを、明確化していく必要があります。こういった大規模動員体制を、整えることができるようになったのは、大量の亡命者受け入れにあります。春秋戦国期には、多くの国が生まれては、滅んでいく時代でもありました。最終的に秦帝国の侵攻によって、中国全土が、一国に纏め上げられます。
春秋戦国期は、諸子百家の生まれた時代であり、孫子や呉子が生まれた時代でもあります。大量に人を動員した戦が始まり、動員される人数が、指数関数的に増加していった時代でもあります。
滅び去った国々は、国を追われ、逃げていく中で、日ノ本に辿り着いた者たちも多くありました。
秦帝国から胡亥の子孫が、秦氏という形で、太秦を中心に帰化していった歴史が、記録となって残っています。記憶文化から記録文化への変遷は、帰化人による、記録が始まりとなります。
滅びていった国々から、逃れてきた人たちが帰化人となり、日ノ本で大量動員体制の基盤を作り上げていきます。
大量動員体制の確立と大道建設によって、日本に古墳時代が到来し、大規模土木治水工事が進められていきます。大道建設は、大規模な土木治水工事で、大道の周辺に田畑を造成し、食料生産体制を確立しながら、徐々に拡大していきます。
万の人員を動員すれば、数百人の集落は、吞み込まれるように、支配下へと組み込まれていきます。日本征覇の時期は、大道の拡大と戦争の連続であり、最初は、木の棒と石礫の兵は、剣と鎧に盾と装備を充実させていきます。
古墳の拡大は、征覇事業そのものの進展の記録であり、大道建設の拡大であり、大規模土木治水工事の進展となり、最大の戦略物資であった、水稲栽培の確立という形に進められていきます。
[newpage]#03 何故、田圃が、日本の原風景なのか?
日本全国、田園風景と呼ばれる、田舎の風景があり、日本人が持つ、田舎の風景が持つイメージは、水路が引かれて、田圃がある。雪が解けて、梅が咲いて、水が枯れた田圃で、野焼きが始まる。桜が咲いて水位が上昇していく中で、田圃が水田に変わって、田植えが始まる。雑草取りや水位の調整をしながら、稲を育てて稲穂が育ち、秋となり、稲穂が重く垂れさがっていけば、稲刈りが始まる。
雪が降れば、一年の終わりを迎える。
作業そのものだけを見れば、葦原の栽培と、大きく変わるわけではありません。つまりは、豊葦原中ツ国が、そのまま豊稲原中ツ国となり、日ノ本の原風景として定着したことになります。
米は、大量生産可能な戦略物資であり、籾であれば長期間保存可能で、アルファ化米に加工しても、十年以上の保管が可能な、コストパフォーマンスの高い戦略物資なのです。
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