フィールド・オブ・ファンタズム 〜幻想博物誌〜

ぶん

ライブラリア編

第1話 恋する怪鳥ググルゲルゲ 〜求愛と突進の森〜

 森の奥で、ライエルは全力疾走していた。後ろから聞こえる、地鳴りのような足音と、「ギュボォオオォ!」という奇妙な鳴き声が追い風のように背中を押してくる。

「ライエル! あれホントに“飛べない鳥”なんだよね!?」

 メリッサは頭まですっぽりローブを被り、風で飛ばされないようにしっかり押さえながら振り返る。

 そこには、遅れ気味のライエル。

 そして、その後ろには—— 巨大な鳥類【ググルゲルゲ】が、地を蹴りながら猛然と迫っていた。

「飛べない! ただ走るのが速すぎるだけでな!」

 ライエルが振り返ると、極彩色の尾をぶんぶん振り回すググルゲルゲが、怒り狂って突進して来ていた。長い首をムチのようにしならせては、硬いくちばしで木々をなぎ倒し、大きな趾で地面を揺らし、森の生き物たちは一斉に高い木の枝へと避難していた。


 そして、そのときだ。ライエルの義手がガチンと音を立てて作動した。


「よし、作戦開始だ! アリの巣はあの木の根元だ、メリッサ、今だ!」

「おっけー!!」

 メリッサは木の幹を思いっきり蹴った。鱗の生えた右足で。

 ドン! という鈍い音と共にアリの巣が崩れ、無数の黒い点々が森に解き放たれる。

 その瞬間、ググルゲルゲがアリの巣の木に突進。アリの雨をまとい、怒りの声が悲鳴に変わった。

「ギィイィイイッ!」

 アリにたかられたググルゲルゲは、犬がじゃれ付くかのように地面に体を擦り付けて、体をまさぐるアリを取り払おうとした。

「効いてる効いてる! くすぐったいんだなあ、鳥でも!」

 ライエルの伸びる義手によって引っ張られたメリッサは、離れたところから、のたうち回るググルゲルゲを観察していた。

 一方のライエルと言えば、伸びっぱなしの義手を放置して、目的のものへと向かっていた。

 この義手は、圧縮された空気の反発力を利用して、ロープ付きの義手を発射する仕組みになっているので、戻す時は手巻きで戻さないといけないのだが、そんなことどうでも良くなるものが目の前に落ちていた。

 ググルゲルゲが狂ったように尾を振り回し、バサッと地面に数本の尾羽根が散った。極彩色の、まるで宝石のような羽根。

 ライエルが一本を拾い上げ、太陽に透かして見た。

「これだ……! これが、俺の“世界の記録”を綴る羽だ!」

 大げさに興奮するライエルを、メリッサは冷ややかな瞳で見ていた。

「それ五本目でしょう。羽ペンが折れる度にググルゲルゲを狙うの止めようよ……。そのうち大変なことになるよ。ライエルは、私と違ってドラゴニュートじゃないんだからさ」

「もう大変なことは経験済みだ」

 ライエルは右腕の袖をまくって義手を見せた。

 そして、ググルゲルゲの怒号を背に、二人は森を後にした。



 森を後にした二人は、近くの街の宿に来ていた。

 ライエルが羽根を義手に挟み、ペン先として削ろうとしたその時だった。

「……ん?」

 軸の部分に、ちいさな穴がいくつも開いているのに気づいた。まるで槍先で穴を開けたような細い穴だ……。

「なんだこれ……あっ」

 試しにインク壺に浸してみたが、羽根はちっとも吸わなかった。

「……インクを……吸わない?」

 ライエルの顔がひきつった。

「うわあああ! アリだ! アリにかじられて、毛細管現象が死んでるんだ!!」

 彼は地面にひざをつき、空を仰いだ。

「……俺の“世界の記録”が書けない……っ! この入手方法は失敗だ……」

「さっきも言ったけどさ。そもそも羽根ペンって、そんなに毎回ググルゲルゲから取るもんじゃないと思うんだけど……?」

 メリッサはローブを脱ぎながら言った。

 ローブの影から出てきた端正な顔立ちは、女性というよりも男性的であるが、彼女はれっきとした女性だ。

 だが、ただの女性ではない。ドラゴニュートだ。

 真っ黒なローブで裏地は緑。汚れが目立たない表生地とは違い、裏地は森を駆け回った泥で汚れていた。

「ただの羽ペンで書けって言うのか? もしもファンがサインを求めてきたらがっかりするだろう」

「なんでもいいけど、あのアリ作戦は失敗よ」

「失敗なら何でもよくない。あんな攻撃的なアリ、ありだと思う?」

「ダジャレなら……なしね。アリは攻撃的なものよ」

 メリッサは右足にだけ生えている鱗の手入れを始めた。

 もうすでに死んでいるが、蟻の巣を踏み壊した時についたアリが、鱗の隙間に挟まっていた。

「仕方ない。もう一度取りに行こう」

「また?」

「体が二色カラーだっただろう? ならそんなに強くはない。先駆者が書いた古臭い本に書いてある」

 ライエルが見せた本の内容には、ググルゲルゲは強さに応じて体の色が派手になっていくと書かれていた。

 天敵が少ないほど、派手な色へと変貌するということだ。

 最も強い個体では、尾羽根と同じ極彩色をしているという。

 幸い近くの森にいるググルゲルゲは弱い。

 それでも、人間が戦うのは不可能なほどの強さがある。

 ライエルもメリッサというドラゴニュートのパートナーがいるから、危険なことが出来るのだ。

「まっ! 明日もう一度だな」

 ライエルは悩んで考えてもしょうがないと、ベッドへ横になった

「本当に思い立ったら考えないで行動するんだから……」

 メリッサはすぐに寝息を立てる布団の塊となったものを横目で見ると、土まみれになった黒髪を洗おうと、水浴びしてから眠ることにした。



 翌日。

 再び森の中で待機する二人。

「見ろ、あの個体……! あいつ、求愛中だ」

 遠くの草原で、ググルゲルゲがくるくると回り、尾羽を扇のように広げて踊っていた。

「求愛ダンスか……二色なのに派手ね……」

「しかも、踊り終わった後に2、3本尾羽根が落ちてる! つまり、このタイミングがベストなんだ! 問題は求愛ダンスの前後は見境なくなってることだけど」

 ライエルが双眼鏡で覗く中、なぜか遠くのググルゲルゲがこちらを見て、首を傾げていた。

「ん? なんか……こっち来てない?」

 メリッサが心配に感じた数秒後、事態は明らかになった。

「……おい、メリッサ。お前の、そのローブの裏地の色……それ、ググルゲルゲのメスの繁殖期カラーなんじゃね? だから求愛ダンスを踊ってるんだ」

「えっ!?」

 次の瞬間、猛烈な突進と共に、メリッサに向かって一直線に走ってくるググルゲルゲ!

「待て待て、なんで私が!?」

「モテてる! 今モテてるよメリッサ! 最高に輝いてる。人生のハイライトだ! だから踊れ! 受け入れろ! 求愛に応じるんだ! セクシーに踊り返せ!!」

「意味わかんない!!」

 ググルゲルゲが猛烈な勢いで突進してきた。メリッサはその巨体に驚き、叫びながら走る。

「うわっ、マジかよ! こっちに来るなよ!」

 だが、ググルゲルゲはまるでライエルを無視して、メリッサに向かって一直線に走ってきていた。

「おい! 走るなって! お前、モテすぎだろ!」

「はぁ? なんで私が!?」

 ライエルは少し離れた場所で手を叩きながら叫んだ。

「今だ! そのまま! 求愛ダンスに応じろ! 尾羽が落ちるぞ!」

「いやよ! そんな無茶な!」

 ググルゲルゲはメリッサの前で一度大きく回転し、その後、目の前にある草を激しく踏みしめて尾羽を大きく広げた。

 まるで舞台の上で踊っているかのような光景に見えた。

 一瞬見とれていたメリッサだったが、唾を飛ばして鳴き叫ぶググルゲルゲの声で我に返った。

「いや、やっぱりモテたくないんだけど!」

 メリッサは必死に後退しながら叫んだが、どうにも逃げられない。

「おい、早く! 羽が落ちるぞ!」

 ライエルが焦りながら叫ぶが、タイミングよくググルゲルゲが一旦踊りを終えて尾羽根をゆっくりと地面に落とす。

 ライエルがすかさずその羽根を拾い上げると、一人一目散に逃げ出した。

「卑怯者!! 私はどうなる!!」

「こうするんだ!」

 ライエルは義手を使ってメリッサの体を掴んだのだが、ローブだけが剥ぎ取られてしまった。

「本体忘れてるわよ!! 死んだら殺してやる……」

「これが原因だろう?」

 ライエルがロープを必死で巻き取ると、ググルゲルゲはメリッサではなく空気抵抗でひっくり返ったローブの裏地を追いかけていた。

 巻き終えると、すぐさま義手をセットして自分達が逃げる方向とは逆方向へ打ち出した。

 ローブは風に乗って少し遠くへ飛ばされただけだが、それだけで十分だった。

 二人はググルゲルゲが背中を見せると、一度も振り返ることなく森を後にした。



 宿へと戻ると、早速ライエルはググルゲルゲの尾羽根を加工して羽ペンにした。

 問題はなさそうなので、ペン先をインク壺に浸してみた。

 表面の真っ黒なインクの膜をペン先が破ると、小さな波紋が広がった。

 驚くことに、波紋の揺れは黒ではなく、この世の世界を圧縮したような様々な濃い色となって広がっていった。

「これだよ。オレがググルゲルゲの羽ペンを使う理由は……。な? たまらないだろう」

 興奮しっぱなしのライエルと違い、メリッサは「今まで何度見たよ。インクにつける度に言わないで」と全く興味を示さなかった。

「これからが本番なのに、このペンで書いたものは一生色褪せることがない。常にその時代の色を発色するからだ」

 ライエルはググルゲルゲのことを思い出すと、体験を忘れないうちに書き始めた。

 これは彼がこの世で最初に残した、この時代の嘘偽りのない記録の始まりだった。





図鑑風設定集

◯ 種名

ググルゲルゲ(Gugulgerge)


分類: 巨鳥類

体長: 成体で3.5〜4メートル(首を含む)

体重: 約100〜180kg

生息地: 森やジャングルなど鬱蒼とした場所を好む

飛行能力: 無し(翼は退化し、飾り羽化している)


◯ 概略

ググルゲルゲは、頭部が小さめでありながら全長4メートルに達する飛べない巨大な鳥である。太くたくましい脚と極端に長い首を持ち、その首を鞭のようにしならせて威嚇や攻撃に使う。翼はもはや空を飛ぶためのものではなく、求愛や威嚇に使用される華やかな装飾羽となっている。


その巨体からは想像できないほどの速度で森の中を突進し、突進先の木に登っていた動物たちを叩き落とし、捕まえるという独自の狩猟法を持つ。基本的に雑食性で、木の実や昆虫、小動物を好むが、縄張り意識が非常に強いため、繁殖期などは森全体が緊張に包まれる。


◯ 特徴

首は異常に長く、鞭のようにしなる柔軟性を持ち、その首を「管」として利用し、笛のように音を鳴らす。発する鳴き声は多彩で、「歌うような呼び声」「強風のような警戒音」「金属音のような威嚇鳴き」など7種類以上が確認されている。


尾羽根の脱落は「繁殖の証」

繁殖期の求愛ダンスの終盤、オスは数本の尾羽根を自ら落とす。この行為は「己の命の一部を捧げる」意味を持ち、最も色鮮やかな尾羽根が高く評価される。

落ちた尾羽根を採取するのは極めて難しく、落ちた瞬間から虫類に狙われて繊維ごと貪られるため、偶然落ちている羽根を見かけても利用することはできない。

羽根をペンに加工すると、これで書かれた文字は、どんな魔力でも消せず、一生その色を保つとされている。


色で力を示す

強い個体ほど羽根の色が鮮やかで、虹のような極彩色に変化する。反対に、若く弱い個体や群れからはぐれたものは真っ白な羽根を持つ。

羽根の色は単なる飾りではなく、争いを避けるための「視覚的戦力表示」でもあり、森の中での地位や力関係を象徴する重要な特徴となっている。


◯ 習性と生態

突進がすべて

単純明快な性格で「嫌いなものには突進」「好きなものにも突進(ダンス付き)」という猪突猛進型の行動様式を持つ。この突進は木々を揺るがすほどの威力で、森の動物たちは彼らの気配を察すると本能的に木の上に逃れる。だが、それすらもググルゲルゲの狩りの一部に組み込まれている。


縄張り意識が異常に強い

自分の巣の周囲に入ってきたものには容赦しない。仲間のググルゲルゲにさえ突進するため、繁殖期は森の至るところで「ガシャーン」という音が響き渡る。

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