第18話 買い物

 首をかしげるサヤに、ブレイドが冷静な一言を放つ。


「……俺の霊子量が低いからじゃないか?」

「――――! そうだった!」


 サヤの顔が驚きに歪む。

 ブレイドにバトルテクターを着せたいがあまり、彼の「致命的な欠点」をすっかり忘れてしまっていたことに、彼女はようやく気づいた。


「……ブレイドの霊子は、限りなく0に近い1。そんなクソ霊子で、バトルテクターが起動するわけなかったんだ……」

「……クソ霊子は言い過ぎじゃないか?」


 ブレイドが苦笑混じりに抗議するも、サヤは顔を伏せたまま、小さく首を振った。


「……ごめん。今ちょっとショックで、何も考えられないの。……そっとしておいて。それと、そのバトルテクター、ちゃんと脱いで店員さんに返しておいてね」


 どれほど打ちひしがれても、バトルテクターの扱いだけは律儀に忘れないあたりはオタクの鑑だと言えた。とはいえ、彼女の落胆ぶりは相当なものだった。


「……わかった」


 本当はもう少し文句を言うつもりだったブレイドも、そんな彼女を見て、それ以上何か言うのを躊躇い、素直にうなずくと試着室へ戻っていった。

 残されたサヤは、どこか空虚な目をして、ふらふらと歩き出す。

 その背中には、悲哀の影が濃く差していた。


(……私としたことが、ブレイドの霊子のことを忘れていたなんて……)


 気がつけば、彼女は別のガラスケースの前で立ち止まっていた。

 手を伸ばし、支えるように透明なガラスに触れる。

 そのとき、ふと視界の隅で、ある物が目に留まった。


「……ん?」


 ガラスケースの奥に、あまり目立たない小さな銀色の筒。貼られた特価セールの札が目を引いた。

 それは、片手に収まるサイズの円柱形のアイテム――脱出用転送装置だった。

 ブレイドが使った魔法とは違い、魔石の力を利用して空間そのものをねじ曲げ、ダンジョン内部と外部を強制的に繋ぐ、科学の力によるダンジョン脱出用アイテム。ソロ活動をするサヤにとっては、安全のため命綱として一つは持っておきたい代物だ。

 だが、通常価格は五百万円以上。使い切りのくせに高すぎる。だからこそ、これまでは欲しくても手を出せずにいた。

 しかし、それが今、特価の二百万円で売られている。


「安い……! こんな値段で売られてるの、初めて見たよ」


 先ほどまでの絶望が嘘のように、ぱっと表情が明るくなる。声まで弾んでいた。


「ブレイドのバトルテクターに、お金を使うつもりだったんだから……その分が浮いたと思えば、ここで使ってもいい、よね?」


 サヤは購入のために店員に声をかけようとした――が、一旦思いとどまる。


(……待って。今の私は一人じゃない。ブレイドが一緒にいる。彼にはあの脱出魔法があるんだから、わざわざこの脱出用転送装置を買う必要ってある?)


 冷静さを取り戻した思考が、彼女の決断を引き止めた。

 確かに、考えようによっては無駄な出費かもしれない。落ち着いて考えれば、スルーするのが正解に思えてくる。


(そうだよ。私にはブレイドがいる。いざという時は、彼が――)


 しかし、その安心感が胸に広がりかけた瞬間、サヤの中に、不意に冷たいざわめきが走った。


(でも……もし、私だけ動けなくなったら? トラップで分断されたら?)


 想像は、次第に現実味を帯びて広がっていく。


(もし、私が一人取り残され、傷ついて動けなくなったら――ブレイドは、無理をしてでも助けに来ようとするかもしれない。たとえそれがどれだけ危険でも……)


 ぞくりと背筋を冷たいものが撫でた。

 彼とは、まだ出会って日が浅い。それでも、勇者である彼が自分を見捨てる姿など、どうしても思い浮かべられなかった。


(私は……ブレイドの足を引っ張りたくない。彼に迷惑をかけるなんて、そんなこと、絶対にできない!)


 これは自分のためのアイテムじゃない。彼を危険から遠ざけるための保険だ。――そんな思いが、サヤに決断させた。


「すみません! この脱出用転送装置をください!」


 躊躇いも、迷いもなかった。

 それは誰かと共に戦う覚悟を得た者の、静かだが揺るぎのない意志だった。


 会計を済ませ、憧れていたアイテムをポーチに収めたサヤは、一つ深く息をつく。

 ちょうどそのとき、試着室からブレイドが戻ってきた。


「……サヤ、バトルテクターの件は残念だったと思うが、そもそも俺は――ん?」


 立ち止まったブレイドが、サヤの顔を見て、ほんのわずかに目を細めた。


「落ち込んでいたと思っていたが……俺の思い過ごしだったか?」

「ふふっ、もしかして私のこと、心配してくれてたの?」


 冗談めかしたサヤの問いに、ブレイドは肩をすくめるように小さく息を漏らした。


「いや、そういうわけではない――こともないが、元気そうならそれでいい」

「うん、ありがと。じゃあさ、何か美味しいものでも食べに行こうよ。私が奢るから!」

「……随分と気持ちが切り替わったものだな。逆に心配になるが……。まあいい。この世界の料理は味が重厚で深みがある。ぜひ頼む」

「任せてよ! いいお店に連れていってあげるから!」


 サヤは勢いよく店の扉を押し開ける。ブレイドもその背を追い、外に出ると二人は自然と並んで歩き出した。軽やかに交わされる会話と、並ぶ足音。騒がしい街のざわめきすら、今の二人にはどこか心地よく感じられた。

 束の間の穏やかな時間。

 だが、それは長くは続かない。


 ――三日後。

 サヤのもとに、一通のメッセージが届いた。

 送り主はゴンドウ。

 そこにはただ簡潔に「勝負の日時と場所」が記されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る