見えていたソレ
この世界には見える人が1割、見えない人が9割いる。視覚の異常ではなく第六感的なものらしい。
今、隣の席にいる暗い女は……見えないらしい。私は世界的にも珍しい見える人間だという事が今日分かった。ソレは私に対して危害を加える訳でもなく、空いた机の上にノートを開いてガリガリと書き続けていた。今は数学の授業、数式でも書いているのだろうか。
しかしソレは授業が終わっても、何か書いていた。
「ねぇねぇ、ネットニュース見た?」
「見てないけど、何かあったの?」
「とうとう問題になるイジメが根絶したらしいよ。てか、イジメとか合ったんだ話だよね。歴史の授業でしか聞いたことないよ」
「へぇ、長く流行ってた伝染病だった。みたいな説ならみたことあるなぁ。合ってるのか知んないけど」
そんな友人達の声が聞こえてきた。イジメ、かぁ。昔の人は大変だったんだなぁ。ちらりと横を見やると、ソレと目が合ってしまった。隈だらけの黒い瞳は充血し、カサついた唇は小さく動いており、まるで呪文でも唱えているように見えた。気持ちが悪いとかそういう次元じゃない。この世のものでは無い生き物だ。
あまりの形相に驚いて椅子から勢い良く立ち上がってしまった。クラスの視線が体を突き刺すかのような痛みが走る。
「ど、どうしたの?」
「あ、あぁ、ごめん。消しゴムのカスが虫に見えてさ。恥ずかしいなぁ」
「なーんだそういうことだったのかぁ」
どっとクラス中が笑い声で溢れた。何とかやり過ごせた。ソレは笑いもせず、じっとこちらを睨むように見ていた。周りもそんな空気を感じたのか知らないが、誰もその席に近寄ろうともしなかった。
次の日、ソレはまだいた。泥の底から来たんじゃないかと疑うほど、汚らしいものに私は見える。見た目がではない、濁った目と殺気によく似たソレのオーラは人ではない。そして、時折こちらを見やるのだ。監視でもしているのか、それとも、見える側である私に気づいたのか。
どちらにせよ生きた心地がせず、心臓は早く鼓動するのに回る血液は妙に冷たく感じた。
「なんで、無視するの? 私もこのクラスの一人だよ」
そんな這い寄るような声が背筋から伝い、首を柔く締め付けていく感覚が走る。締め付けるような視線は放課後まで続き、私の精神は限界を迎えていた。どこにいても見られているような気がして、気が休まる時間なんてなかった。
こんな日に限って友人達は、部活があるといって早々と教室を去る。結果、夕日が注ぐ教室に残ったのは私とソレだけになった。嫌な汗が溢れてシャツに張り付く感覚が気持ち悪い。
「ねぇ、私の事───────」
「うるさい、うるさいんだよ! 私にこれ以上構うな! 人でもないお前が私に話しかける権利はないんだよ!!」
聞きたくもない台詞を遮り、怒号を飛ばす。ソレはビクリと肩を震わせたかと思えば、大粒の涙が床に落ちていった。
「良かった、良かった……見える人がいた」
「は?」
「うわぁぁぁん!!」
子供のように泣き叫ぶソレはまるで人間だった。同じ制服、同じ歳、同じ人間……でも、みんな彼女のことを見てなかった。なんで?
「みんな、見えてるのに私の事を見えない者として扱うの。なんで? 私は別に見えない訳じゃない、中学の時はみんなと喋れてたのに……この高校に入ってから、おかしくなった。地元の高校に入れば良かった」
彼女は聞いてもない過去の話を語り始め、嗚咽混じりに私の肩を掴んでは訴える。この話が本当なら、もし、本当なら……
「みんな、
彼女にそう尋ねると、静かに頷いた。あぁ、今私の顔は青く染まっているだろう。こんなの、
「ねぇ、みんなに言って? 私は人間だって、見えない化け者じゃないって!」
必死の訴えだったと思う。彼女の目が縋り付くようなものだったから。でも……
私は逃げ出した。
次の日、友人がこんなことを言い始めた。
「知ってた? 見える人って精神異常者なんだって。ネットで話題になってたよ? 早期治療が可能だけど、私らには見えてないソレとずっと会話してるんだって」
私の変化に気付いたから、友人はこんなことを言い始めたのだろう。隣にいる彼女は期待と不安の眼差しで私を見つめてくる。
「ねぇ、もしかして見えるの?」
「なんだ? 見える人なのか?」
友人とたまたまそばに居た先生が私を試す。いや、クラス全員が私を試していた。真実を言うのなら今なのかもしれない。だけど、この日も私は逃げた。
「まさか! 見えるわけないじゃん!」
友人と先生は安堵の表情。隣にいたソレの表情は……見えない、見えないふりをした。ソレからの視線は一切なく、どろりとした重苦しい空気だけが私を締め付けた。
私は逃げた。見えないフリをした。
しばらくソレを見なくなって数週間後、いつも乗っていた電車が人身事故で遅延していた。
駅のホームでは、冴えないサラリーマンが「人身事故とか迷惑すぎ。人のこと考えろよ」というソレを認識した声が聞こえてきた。ネットでも似たような言葉が溢れていた。駅のホームと学校には花束が置かれており、クラスメイトは泣きながら、口を揃えてこういうのだ。
「大人しく、真面目な人でした」
死んでから彼女は人であると認められ、クラスからも視認された。そうかそうか、みんな見えているのに見えないフリをしていただけなのか。
「ねぇ、なんで? 前まで話してたじゃん!」
また一人、クラスでソレが現れた。ソレの声も顔も私には見えない。
だって、みんながソレを見えていないし、気づいてもいない。だから、私に見えるわけが無いのだ。
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