3.春光の食卓での告白
「……旦那様が?」
思わず聞き返すと、使用人は淡々と頷いた。
「支度を整えて、食堂へお越しくださいませ」
……何の風の吹き回し?
これまで一度だって「一緒に食べよう」なんて言わなかったのに。
頭の片隅で、昨夜の金色の瞳がちらつく。
心臓がじわりと早鐘を打ち始めた。
◆
食堂の扉を押し開けると、春の光がやわらかく差し込んでいた。
窓辺から漂う朝の冷気に混じって、焼きたてのパンの香ばしい匂いと、ハーブの香りがふわりと鼻をくすぐる。
長いテーブルの端──いつもは空いている席に、蓮様が静かに座っていた。
朝日を背にした横顔は淡く縁取られ、まるで硝子細工のように儚く整っている。
その姿に、思わず息を呑んだ。
「……おはようございます」
声をかけると、蓮様の視線がすっとこちらを向く。
冷たくはないが、触れたら壊れてしまいそうな距離感のある眼差し。
「座りなさい」
促され、彼の向かいに腰を下ろす。
白い陶器の皿には、湯気を立てるスープと、バターがじんわり溶けはじめたパン。
カトラリーが触れ合う金属音が、広い食堂に乾いた響きを残す。
「……今朝は珍しいですね。ご一緒に食事なんて」
恐る恐る切り出すと、蓮様はわずかに唇を動かした。
「……君の顔色が悪かったからだ。昨夜、寒い外を歩き回っていただろう?」
──っ!
スプーンを持つ手が止まる。
なぜ、それを……?
「わ、私……その……」
視線が泳ぐ。
まさか“離れ”で銀色の耳と尾を見たとは言えない。
蓮様はそれ以上何も言わず、スープを口に運んだ。
金色──いや、琥珀色の瞳が、一瞬こちらを掠める。
昨夜の金色と重なって、胸の奥がざわついた。
スープを一口飲む。滋味深い味が、冷えた体の芯まで染み渡る。
けれど──味よりも、目の前の旦那様の存在が気になって仕方ない。
「……旦那様は、よく眠れましたか?」
誤魔化すように問いかける。
蓮様はスプーンを置き、短く頷いた。
「私は、あまり眠れなかった。
昨夜、庭に出ていたら……予想外な人物に出会ってな」
──っ!
心臓が一拍、強く跳ねる。
予想外な人物……それって……。
「……で、君は?」
不意に問い返され、肩が小さく跳ねた。
視線が合い、喉の奥が張り付く。
昨日の金色の光が、今この琥珀の瞳に重なった気がして──息が詰まる。
「君も、そうだったのだろう?」
「……えっ?」
意味を掴めずに聞き返す。
「昨夜、離れで会ったのは……私だ」
──……は?
耳の奥が、自分の鼓動でいっぱいになる。
言葉が追いつかない。
「……ど、どういう……こと、ですか?」
声が震える。両手を膝の上で握りしめる。
だって、私が昨日会ったのは……銀の耳と尻尾が生えた──
蓮様は視線を逸らさず、落ち着いた口調で告げた。
「金色の瞳、銀の耳と尾……それも全部、私だ」
「……っ!」
もしかして、と思ってはいた。
けれど、こんなにもあっさりと……。
「驚くのも無理はない」
そう言って、彼はパンをちぎり、何事もなかったかのように口へ運ぶ。
私は呆然と彼を見つめた。
どうしてあんな姿に? それは何を意味するの?
「……旦那様は……人間……ですか?」
ようやく絞り出した問いに、蓮様は一瞬だけスプーンを止めた。
その手がほんのわずか、握りしめられるのを見逃さなかった。
そして、ゆるやかに首を横に傾ける。
「……さあな。私自身は、そのつもりだが」
そう言って、ほんのかすかに微笑んだ。
けれどその笑みは、光の中で影を落として見えた。
──しまった。
寝不足で、深く考えず思ったことを口にしてしまった。
その一言が彼を傷つけたのだと、直感で分かった。
「もし、君が──」
「申し訳ございません!」
立ち上がって頭を下げる私に、蓮様が目を見開く。
それでも私は、言葉を重ねた。
「失言でした。“人間ですか?”など……」
上手く言葉にならない。
でも、不快に思わないはずがない。
後悔しても、もう遅い。
一度発した言葉は、謝っても消えはしない。
それでも──私は、ただ謝るしかなかった。
そして頭を下げたまま、彼の反応を待つ。
……沈黙が重く、息が詰まりそうになったその時、
「謝る必要などない」
静かな声が耳を打った。
あまりにもやさしい声で、思わず顔を上げる。
そこには、穏やかに微笑む蓮様の顔があった。
──綺麗。
気づけば、見とれていた。
「私が“人間なのか”。あの耳と尾を見れば、そう思うのは当然だ」
そして、ほんの一瞬だけ視線を伏せ──まるで自分自身に言い聞かせるように続けた。
「私とて、自分でも……そう思う」
その声は、ひどく寂しい響きを含んでいた。
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