数式の見える少女 ―唯一“見えない”彼との物語―

@kitano_kokage

第1話 見えるようになった日― 数式のはじまり

人は毎日、無数の選択をしている。

朝起きるか、二度寝するか。パンを食べるか、ご飯を食べるか。

小さな選択の積み重ねが、未来を形づくっていく。

けれどもし、その「選択」と「結果」が、数式のように見えたとしたら――?

ある日、わたしの目に世界は変わって映りはじめた。

人の頭上に浮かぶ確率と分岐。

「右に進む→82%」「立ち止まる→18%」

まるで、透明なレイヤーをかぶせたように。

世界は数式でできている。

そう信じたくなる光景だった。

けれどそのときのわたしは、まだ知らなかった。

“見える”ことが、どれほど残酷で、どれほど愛しいものかを。



第1話 見えるようになった日

高校2年生のある日から、結月の人生は変わった。


物理や数学が得意で、理系クラスに所属している16歳。物理選択の女子は少なく、30人ほどのクラスのうち、8人だけが女子だった。

その中でも結月の成績は群を抜いており、学校の定期テストのみならず、模試でも好成績を残していた。


ある朝、目を覚ましたとき、何かが違うことに気づいた。

まぶたを開けた瞬間、視界の隅に「0.98」「×登校」「○欠席」など、意味不明な記号と文字が浮かんでいた。最初は夢かと思った。まばたきしても消えない。ズン、とした頭痛を感じた。

「なにこれ……?」思わずつぶやいた。

家を出ると、向かいから歩いてくる近所の会社員とすれ違った。

「左に曲がる→92%、まっすぐ行く→8%」

結果、彼は左に曲がった。いつものルートで駅に歩いているのだから当然だったが、もしかしてコンビニに寄る可能性があったのかもしれない。結月は考えた。

どうして、こんなことが起こっているのだろう。にわかには信じられない。


そして、さらに奇妙なことに、「結月自身によって、その確率が変動すること」に気がついた。

通学路の途中、信号の前で立ち止まったとき、隣にいた小学生の頭上に「信号無視→3%、待つ→97%」という選択肢が出ていた。だが、結月が彼の顔を見つめた瞬間、「信号無視→7%」に変わった。

(……え、今わたしが見たから?)

怖かった。

自分が何かを見てしまったせいで、世界が変わってしまうような感覚。心臓が、どくん、と重く打つ。

違和感を感じながらも、それでも学校に向かった。

「おはよ、結月」

友人の沙耶(さや)が近づいて、話しかける。彼女の頭上にも、やはり表示が浮かぶ。

「3秒後に右足をひねる→4%」

(え……)

瞬間、嫌な予感がして、わたしは沙耶の腕をとっさに引っ張った。

「えっ、どしたの?」

「段差…段差があるよ」

「えー? 気づかなかった~ありがと~!」

沙耶は笑っていた。でも、その瞬間のことを、わたしは忘れられなかった。

4%。たったそれだけの確率で起こることが、現実になる。

それからの一日は、地に足がつかないままだった。教室でも、廊下でも、先生にもクラスメイトにも、頭上には「選択肢と確率」が表示されている。

「この問いを当てる→63%、外す→37%」

「席を立つ→81%、立たない→19%」

まるで、世界そのものが数式で構成されているようだった。まるで、選択肢が「すでに決まっている」かのように。

(これ、何なの……?)

放課後、帰り道の電車の中。窓の外に流れる景色は変わらないのに、わたしの中では世界がぐらぐらと揺れていた。

ふと、目の前の優先席に座った、幸せそうな妊娠中の女性の表示を見る。

「無事に出産する→24%、死産する→76%」

息が詰まった。

(そんな……そんなの、知らなくていいよ)

知らないままでいたかった。そんなこと、わたしが知っていていいことじゃない。

そのとき、電車のドアが開いた。向かいのホームに、制服姿の男子生徒が立っているのが見えた。目が合った気がした。でも――

彼の頭の上には、何も、表示されていなかった。

(……え?)

驚きで思わず身を乗り出す。確かに見えた。彼だけは、真っ白だった。ノイズのように消されたかのように、数式が一切浮かんでいない。

電車は動き出し、その姿はすぐに視界から消えた。でも、確かに見た。

(見えない……人がいる?)

この世界で、彼だけが――「見えなかった」。

それが、後にわたしの運命を大きく変えることになる、藤咲との出会いだった。


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