三文作家と現地取材④
熱気の収まらない劇場の物陰から、アリーは感嘆の声に耳をそばだてた。
「素晴らしかったですわね!」
「わたくし、三度目の観劇ですけれど、やっぱり泣いてしまいましたわ!」
淡い色合いのひらひらふわふわしたドレスを見るに、彼女たちは友人同士で連れ立って来たお嬢様がたであろう。
たった今、王都で絶賛公開中の演目を身終えた彼女たちは、可愛らしいハンカチをぎゅっと握りしめて、口々に絶賛をさえずっていた。
そして、とうとう彼女たちの話は、アリーが『聞きたいこと』まで行きついた。
「最後のシーンの、青年の『僕は君の傍にはいられない。でも、このハンカチを僕だと思って持っていて』というセリフときたら!」
「分かるわ! あれが『飾り気のない質素なハンカチ』だからこそ、いいのよねえ! 貧しい青年の持ち物ですもの! 高価でぎらぎらしたハンカチだとか、ここにきて急にアクセサリーを渡すとかだと、イメージに合いませんわ!」
高くも安くもない売れない織物――『普通の人が普通に持っていそうな普通の品』も伝え方次第では、魅力的な商品に化ける。
品の魅力が足りないなら、そこに『魅力的な情報』を添えてやればいい。『綺麗に作られた嘘』は真実よりもずっと魅力的に見える。
「わたくしね、前の観劇の後に、この話のモデルになった『聖地』に行こうと思ったのよ。でも、その時に一緒にいたお父さまが『北地区に行くのは許さん!』と怒ってしまって……」
「うちも『北地区はダメだ』って言われたことあるわ! あそこは、近づくことも控えた方がいいくらい、治安が良くないんですって」
――欲したものが叶わない。欲することすら窘められた。
――でも、どうしても欲しい。どうにかならないかしら?
無邪気な少女たちの欲求は、時として、恐るべき力を持つ。
「じゃあ……北地区の治安が良くなればいいんじゃないかしら?」
『聞きたいこと』を全てしっかり聞き届けて、アリーはそっとその場を離れた。
「それにしても、ファンの方々の行動力って、すごいわねえ」
今や演劇をきっかけにした一大ブームで、北地区の織物の売れ行きは上々、減っていた職人だけでは生産が間に合わない分は、北地区を出た者も戻ってきて手伝っているようだ。
アリーもまた、演劇の脚本料と商品の宣伝費の名目で得たお金を前にして、にやにや笑顔が止まらない。
計画通りにすべてうまくいった、と高笑いをしていると、リックが嬉しい言葉を贈ってくれた。
「すごいのは、君もだよ。君の書いた物語のおかげで、全てが良い方に進んだ」
確かに、アリーが演劇の脚本を書いて、それを劇団に持ち込み、こんなブームを巻き起こしていなかったら、北地区は今も元の姿のままだった。
だから、リックは何も大げさなことを言ったわけではないし、アリーはただ『当然ね』と胸をそらしておけばいいのかもしれない。
だが、その賛辞は無性に嬉しくて、しみじみと胸に沁みた。
ゴシップ作家としてなら、それなりの評価は得ていたというのに、こればかり特別に嬉しく感じるのは、なぜだろう。
他人のゴシップとは違って、むき出しの自分を褒められたような気がするからか。それとも、褒めてくれたのがリックだからこそ、特別なのだろうか。
せっかく褒められたのだから、賛辞は素直に受け取るべきだろうと分かっている。……でも、妙に照れくさかった。
「あなた、『嘘』は嫌いなんじゃなかった?」
ふざけて混ぜっ返してやると、リックは真面目な顔で言う。
「ゼロから作り上げるのは『嘘』ではない。『創作』だ」
「よく回る口ね。役者でも目指したら?」
「僕も演技には慣れっこだからね」
「まあ、貴族って大変なのね」
それはご愁傷様、と笑ってやると、リックはしょぼくれたように眉毛を下げた。
まるで雨に濡れた子犬のようなその顔を見てアリーはまた笑った。
(貴族って大変ね。一抜けして正解だったわ)
これは、紛れもなくアリーの本心だ。
貴族社会は窮屈だった。今の自分に満足している。今の自分だからこそ、リックに出会えたのだ。リックは『ゴシップ作家のアビントン』を訪ねてきたのだから。
それでも――どこかで考えてしまう。
もしも、私が今も『いいところのご令嬢』のままだったら、もっと、リックと打ち解けて話せたのだろうか。
同じ境遇にある者同士だと、心を許して、彼と悩みを共有できたのだろうか。……アリーが彼の傍にいることも、許されたのだろうか。
「アレクサンドラ・アトキンソン嬢。あの方から離れなさい」
こんなふうに、湧いて出た他人に割って入られて、彼から遠ざけられることもなく。
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