侵食する献身

満月 花

第1話

※本作には、やや強めの感情表現や心理的な不安定さを含む描写があります。

ご自身のコンディションに合わせてお読みください。




改札口を通り抜けながらスマホを確認する。

この時間なら彼が帰ってくるまでに全て用意出来る。


彼の部屋を合鍵で開ける時いつも少し笑みが浮かぶ。

手早く身支度すると、テキパキと家事をする。

急いで朝家を出たのだろう、物が乱雑に散らかっている。

掃除をして洗濯機を回し夕飯の準備に取り掛かる。


お互いに仕事もあるし、無理しなくていい、大丈夫だから。

といつも彼が言ってくれるけど


私は彼のために出来ることをしたい

それが私の喜び。

きれいに整えられた部屋、お腹をくすぐる匂いが部屋を充満する。


ドアの開く音がして、急いで彼を出迎える。

少し驚いた顔、でもやはりという表情に変わっていく。


部屋に入っていく彼の後ろに付き添い労いの言葉をかける。


そしていつものように彼は感謝と私を心配して無理しないでいい

と言葉をくれる。


その言葉で十分、彼の日々を支えられるのならそれでいい。

散らかしがちな彼の部屋を掃除して

洋服もわかりやすく収納する。

夕食はバランス良く栄養も考えたメニュー。

少し偏食しがちな彼の事も考えて。


出来る事なら、彼とずっと一緒にいたい。

私じゃなければ嫌、と言うほどに

だから私は彼に私の存在価値をもっと認めて欲しいと頑張っている。


でも、彼は今、仕事優先だからそんな余裕なさそうだけど、

いつかね、きっと私と。


彼が夜道を心配して帰りは車で送ってくれる。

少し疲れているのか言葉数は少ないけど


たまには自分のために時間を使って、僕は大丈夫だから。


その言葉に、好きでしてる事だからいいの!

と返すと彼は小さくため息を吐く。


彼が私を心配してくれるのは嬉しいけど

もっと一緒にいたいのが私の本音。


小さく手を振りながらか彼の車が遠ざかるのを見送る。

次はどんなメニューを作ろうか、と思いを馳せながら。



***


自宅へ帰り、ぐったりとソファに沈む。

合鍵を渡さなければよかった、と後悔する。


でも今更、しょうがない。


雨の中で待ってた彼女の姿につい

部屋で待っていればいいよ、と渡してしまった。

その鍵を宝物のように見つめる彼女が可愛かった。


ーーのに、彼女はその鍵を使って毎日のように部屋を訪れた。

初めは初々しい恋人が彼のために頑張っていると

感激した。


でも、喜びはすぐに戸惑いに変わっていった。


この方が使い勝手いいからと物の配置を勝手に動かす。

置いてある大事なメモさえ、ゴミとして捨てる。


乱雑に置いている俺が悪いのかもしれないが、ここは俺の家だぞ?


勝手に物に触らないで、捨てないで、とお願いしても

まるで聞き分けの悪い子供のような扱いをしてくる。

あなたのためよ、と。


苦手な食材を小さく刻んでわざと料理に仕込む。

気が付かないわけないだろう、無理に飲み込んでるんだ。

それを見守る彼女、そういうあざとすぎるお節介がすごく嫌になる。


喧嘩しても

まるで子どもをあやすかのように俺を宥める。

いつかわかる時が来るわ、という言葉を忘れずに。


仕事で遅くなるから今日は来ないで、と連絡しても

俺の部屋に来て心配する連絡が頻繁に鳴る。


彼女は尽くすのは苦にならない、というけれど


これは尽くしているんじゃない、侵食だ。


他人の領域を脅かし侵食していく得体の知れないものだ。


彼女は気づかない。


何度も、もう来なくていい、自分のことは自分でするから大丈夫だ

と言っても、また訪れる。


全然、わかってくれない。

そしてこの頃、二人の未来について想いを馳せるような空想を口にする。


このままではダメだ。

一旦距離を置くか、別れるしかない。


彼女の事が大好きだった。

一緒にいた時間が何よりも大事だった。


けれど今は

彼女の想いが息苦しい、押しつぶされそうになる。


これは果たして、愛のなのかどうかさえわからなっている。


いつものように夕飯を終えると

彼が話があると言った。


もしかして、これからのことを?

私の心が弾んだが、だけど鬱積したような彼の表情に戸惑う。

何か心配な事でもある?トラブルでも?

それなら私が彼を支えようと決意も新たに向かい合う。


でも、彼からの言葉は予想外の言葉で


少し時間を置いて二人の関係を見つめ直したい。


どうして?私は彼に問い詰める。

私の何がいけないの!

こんなに尽くしてるのに!


だけど、彼の言葉は私を打ちのめす。

彼に対してしてあげた全ての事が無意味だったと。


一緒にいたいね、って言った言葉は嘘だったの?

ありがとうって言葉も。


彼からもうあの時の温度が感じられない。

私を拒絶したいという頑なな態度だ。


自分の部屋で泣く喚く。

私、ずっと一緒にいたいって言ったよね。

どうして?


どうすれば、戻れる?

しかし、思いは悲しみから少しずつ憎悪に染まる。


こんなにしてやったのに、尽くしたのに。

どうして、こんな扱いをされないといけないの?

彼を許せない。絶対に。


彼の好きな色合いで整えた部屋を空虚な気持ちで見渡す。



台所の包丁が蛍光灯の明かりを受けてギラリと光った。



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侵食する献身 満月 花 @aoihanastory

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