止まっていた初恋の秒針が再び動き出す

はるさき

プロローグ

 机の引き出しの奥で、小さなペンギンが冷たい眠りについていた。

 大学のレポート課題で参考文献を探していた時、山積みになった古い教科書の底から偶然転がり出てきたものだ。中学時代、僕が人生で初めて愛した少女、音無琴葉(おとなしことは)がくれたキーホルダー。プラスチックの表面は経年劣化で少し色褪せ、繋がれた金属部分には僕が過ごしてきた日々の数だけ細かな傷が刻まれている。それをそっと手のひらに乗せると、ずしりとした物理的な重み以上に失われた時間の重みが指先にじんわりと伝わってくるようだった。

 僕の人生における「恋愛」という項目は、たった一人の名前で埋め尽くされている。


音無 琴葉


彼女は、僕の初恋で中学時代のすべてだった。そして、僕が一度は離れたこの東京の街に、再び戻ってきた理由そのものだったのかもしれない。

僕たちは出会い、ごく自然に恋に落ちそしてあまりにも幼く、拙い選択で別れた。離れ離れになった八年間という、あまりにも長すぎる空白の季節。その間、彼女が僕の知らない誰かと笑い合い、涙し、そして新しい恋をしていたであろうことは想像に難くない。僕だって、大阪での新しい生活の中で新しい出会いがなかったわけではない。それでも、心のいちばん奥深く誰にも触れさせることのなかった柔らかな場所には、いつも彼女がいた。まるで、心の羅針盤の針がいつでも彼女のいる方角を指し示しているかのように。


もし、あの夏の日僕が違う言葉を選んでいたら。

もし、別れという安易な結論ではなく共にいる未来へ手を伸ばす勇気があったなら。


僕たちの今は、少しでも違ったものになっていただろうか。

 ペンギンを強く握りしめる。答えの出ない問いだと分かっていながら、僕は何度も何度も自問する。この小さなペンギンだけが、僕たちの過ぎ去った季節の、唯一の証人だった。

すべては、まだ制服の着こなし方すら覚束ない、あの春の教室から始まったのだ。光に満ちた、二度と戻ることのできない、甘く切ない記憶の海から――。

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