NAO、来日す

 空港から電車を乗りついで二時間。やっと故郷に着いた。

 俺は大きく息を吸い、歩き始める。

 記憶の中の町並みよりも、一回り小さくなった町。

 小さい路地。

 小さい頃にカタツムリをよく探した空き地は、マンションになっていた。


 今日は火祭ひまつりだ。

 屋台が並ぶ。松明たいまつに火が灯っている。

 懐かしい。

 今年はずっと、夏から、火を灯し続けているのだそうだ。

 どこかの霊能者や神主さんの指示らしい。

 あんな事件があったから。


 あずま小学校は、昔のまま、校舎の一部が真っ黒にすすけ、窓ガラスが割れていた。周囲のフェンスは縄とお札とあと色々なもので取り囲まれている。

「あ、大林先生!」

足もとを、小学校高学年くらいの女の子が駆けていく。もう一人、少し遅れて歩いていく少女もいる。

 大林先生とよばれた初老の男性は振り向いて、ああ、ああと声を上げて泣き出した。俺はちょっとぎょっとしたが、彼はそのまま、駆け寄った少女を抱きしめた。後から来た少女にも、頭をなでて何か話しかける。少女がうなずいている。

 ――あの学校関係かな。

 俺はそっとその場を離れた。


「――もしかして、NAOさんですか?」

 校舎をぐるりと一周したところで、その大林先生という人に、小声で声をかけられた。

「……よくわかりましたね」

 こんな田舎に自分のことを知っている人はいないと思っていたのだが。

「ええ、はい。昔の生徒があなたの大ファンでね。いつもあなたの話をするものだから、自然とわたしもファンになってしまいまして」

 大林先生は、照れたように笑う。

「――へえ」

 日本の小学生に、俺のファンがいたとは。

「その子は、今は?」

 何気なく尋ねると、大林先生の表情が沈み、涙が垂れた。

 ――まさか。

「こないだのその、事故の関連で……亡くなりました」

 俺は絶句する。

 そっと校舎を見る。昔のままの、見慣れた校舎。

 三階の一部が真っ黒にすすけ、窓ガラスが割れている。


 七月に起きたという事件は、俺の住むアメリカのニューヨークシティまで届いた。

 小学校の一クラスが燃え、生徒と教師がたくさん亡くなったと。

 どうやら心霊が絡んでいるとかで、霊能者らが呼び集められ、色々除霊のようなことをやっていると。

 心霊云々に関しては、ある記事は懐疑的に触れ、ある記事は面白おかしく書き立て、ある記事は黙殺した。

 俺も心霊云々に興味はない。

 事件自体にも、別に興味がわいたわけではない。ただ――

 その学校は、俺のかつての母校だった。

 そして、亡くなった教師の名前。その名前に見覚えがあった。

 大友誠司せいじ

 忘れたくても忘れられない、その名前。


「大林……さん、は、この学校の先生なんですか?」

 大林先生に尋ねると、色々話してくれた。

 もう隠すまでもない、このあたりでは有名な話なんだろう。

 大林先生は、去年のそのクラスの担任。

 ここにいる二人の少女は、その事件の生き残り。

 そして亡くなった俺のファンの名前は、――田中さくら。

 去年受け持ってたクラスが、教え子たちが、あんなことになったらキツイよなぁ……。

 俺は大林先生に少し同情した。

 一方で、心の底で、思ってしまった。

 今年の担任が、亡くなったのが、あなたじゃなくて、よかったですよ。本当に。


「きみは、よく助かったね?」

 俺は木下はなという少女に聞いた。ボーッと屋台を眺めていた彼女はこちらを見た。

 少し不躾な質問だっただろうか。

 大林先生は少し離れたところで、りんご飴をかじる戸田結香ゆいかと何か話している。

「……うん、わたしたち、わかくさクラスにいたから。ドア、開けてって言われたけど、開けなかったから」

 木下はなは、表情を変えず、俺の質問に答えた。

「開けて、って――えっ、ドア?え、ウワサのその、化け物に?」

 俺はおどろく。

「よくがまんできたね?俺なら逃げたすぎて、開けちゃいそうだけど」

「新聞に書いてあったから」

 木下はなは淡々と答える。「学級新聞に。返事したりまねいたりしない方がいいって書いてあった。わたし読んだから。何度も何度も読んだから、覚えていたの」

「学級新聞……」

 それは、誰か、生徒が書いたのだろうか。

 その生徒は亡くなってしまったのだろうか。亡くなってしまったのだろうな。

 木下はなは振り向いて校舎を見上げる。俺もつられてそちらを見る。

 松明たいまつに照らされて黒く浮かび上がる校舎は、どこかの知らない建物のようだった。


 ――俺はアメリカに帰る便の中で思い出す。

 十八年前、屋上に閉じ込められた日のことを。

 親友だと思っていた大友誠司せいじに裏切られた日のことを。


 大友誠司せいじが大好きだった。

 飼っていたカタツムリの話を誰よりよく聞いてくれた。

 彼もカタツムリが好きなのだと信じて疑わなかった。

 あの日突然、何の前触れもなく、俺は屋上に閉じ込められた。

「いつも自分のことばかり。人の気も知らないで。この六年間どれだけオレが、きみの世話を焼いてきたと思ってるんですか?きみにいいように扱われて、どれだけオレががまんしてきたと思ってるんですか?オレはきみのことが大嫌いです。だからもう、知りません。そこで頭を冷やせばいい」

 前後のことは覚えてない。何が彼を怒らせたのかもわからない。

 ただ、その時の衝撃だけは忘れられない。

 とにかく謝った。泣いて謝った。何が悪かったのか、頭を冷やすってどうすればいいのか、わからないままに。

 けれど、扉が開くことはなかった。

 日が落ちてあたりが暗くなっても、誰も、俺を助けには来なかった。

 俺はびくともしない、階段につながるドアの前で、泣いて泣いて、涙も枯れていた。

 恨んでいた。大友誠司せいじを恨んでいた。

 あれだけ普段いい顔をしておいて、なんでも許してあげるよみたいな寛大そうな顔をしておいて。

 いきなりこんなに怒ることないだろう?

 なにも閉じ込めることないだろう?

 ここで俺が死んだりしたらどうするつもりなんだ?

 死んでもいいって言うのか?

 悪魔が。クソ。その辺の道路で事故にでもあって、死ねばいいのに――

 

 その時、

「おおとも、くうん」

 何かの声がした。目の前のドアの向こうから。

「あーけーて」

 さっきまでそう泣き叫んでいた俺の声だった。

 俺はドアから飛びのく。

 体がガタガタ震えて、声が出なかった。

 後ずさりして、遠ざかっても、声はついてくる。

「おおともくーん、あーけーて」

 背中にガシャンとフェンスがぶつかり、屋上の隅まで来ていたことに気づく。

「おおともくーん、あーけーて」

 俺は嘔吐した。屋上の隅で。南西の隅で。

「おおともくーん、ごめんねぇ、あーけーて」

 悲鳴をあげたはずなのに、かすれた息が出ただけだ。

 いつの間にか、大小便でズボンがびしゃびしゃだった。

「おおともくーん、あーけーて」

 俺は一晩中震えていた。

 朝になって、声がやんだとき、無理矢理壁や雨どいを伝って、俺は屋上から降りた。最後は二階の高さから植え込みに飛び降りた。

 そしてとにかく走って走って、家に駆け込んで、心配して俺を探していた母親に、すぐにここから逃げたいと訴えた。

 母は何も聞かずに、引っ越してくれた。

 もともと単身赴任で父親がアメリカにいたので、そこに荷物も持たずに飛び込んだ。

 俺が孤立してること、この町には合わないことに、両親とも気づいていたのだと、後で聞いた。

 

 日本の家のこと、学校のことは、どうしたのか俺は知らない。

 カタツムリは空き地に逃したらしい。もともとそこで見つけたカタツムリだったとはいえ、それが自然保護とか種の保存とか的に正しいのかはわからない。けれど俺にはそれを追求する気はない。あれ以来カタツムリは飼っていない。

 学校には急な父親の都合だと押し通したらしい。イジメについて追求するために日本に残るより、俺のために日本から離れることを家族は選んだ。

「あたしも日本は合わないと思ってたんだ、ま、アメリカが合うってわけでもないけどね」

 母はそう言っていた。本心かどうかはわからない。

 母の言う通り、アメリカが俺に合っていたというわけではなかった。まず英語に慣れることに苦労したし、話し方一つ一つに苦労した。ケンカもたくさんした。殴られて歯が欠けた。アメリカにはアメリカの窮屈さがあり、差別があり、不自由があった。

 けれど、俺は今もアメリカにいる。

 吉田尚真しょうまの尚を訓読みにして、NAOと名乗って、俳優や歌手なんかをやっている。

 ありがたいことに、アメリカだけでなく、日本でもそこそこ人気があるらしい、が――

 今後、俺が日本に住むことは、おそらく二度とないだろう。


 大友誠司せいじ

 色々思い当たることは、ないわけじゃないんだ。

 ノート、借りてばっかりで悪いかなって思わないわけじゃなかった。あの日のノートはとうとう、返せなかったし。

 カタツムリの自由研究、書かせてばっかりで悪いかなって少しは思った。俺の字は汚いからさ。

 でも、聞いてもさ、いつも「いいよ」「大丈夫だよ」って笑うから。

 だから信じてたんだ。

 だから俺なりに大切にしようとさえ思ってたんだ。親友を。たくさん話しかけたり、カタツムリが増えたら一番に見せたり、それが――

 それが全部間違ってたってことかな?

 俺、やることなすこと考えること、全部、おかしかったんかな?

 死ねばいいなんて、ウソだよ。いや、ちょっとは、ホントかも。でも、やっぱり、ウソだよ。俺はそこまでお前が悪いと思えない。

 お前はいつも正しくて、親切で、人気者だったから。

 だからきっと間違ってるのは俺の方なんだ。

 

 あれから日本人の、東洋人の笑顔が怖くなった。

 相手を本気で怒らせて、英語で罵倒されて殴られて初めてホッとした。

「ナオはいつも人を信用してないように見える」

 マネージャーにそう言われたこともある。

 そうかもしれないな。

 ずっと、ずっと俺は人も自分も信用していない。

 ずっと、ずっと大友に責められてる気がしていた。

 あの日俺にかけられた呪い。

 お前のことが嫌いだと――

 あの日、俺も俺のことが嫌いになった。

 褒められるたび、評価されるたび、それに笑顔で返すたび、あの屋上の景色が、あの声が蘇る。

 お前のことが嫌いだと――


 今日、大林先生にファンだと言われた時、もうあの声は聞こえなかった。

 俺はきっと、もう、自分のことをそこまで嫌いではなくなっている、気がする。

 飛行機の窓から見える日本はどんどん小さくなっていく。

 あの町はもう見えない。

 俺が生まれ育った小さな町。今は松明たいまつがそこかしこに灯されている、小さな町。

 あの町の呪いとやらは、当分解けそうにないが――

 俺の過去の、大友誠司せいじの呪いは、どうやら解けたようだった。


 窓の外、下には海が広がっている。

 日本はもう見えない。

 俺は目を閉じる。

 そうして、帰ったら、子ども達を追悼する、日本語の曲でも作ろうかなと思う。

 俺の幼いファンだったという少女と同じ名前の、桜をテーマにして。

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