7月17日 小島結芽には不満がある

 終業式の朝は気が重い。

 窓を見るとまさにわたしの心そのまま、曇り空。

「あー……おなかいたいなぁ」

 全然痛くないのに、そうつぶやいてみる。

結芽ゆめちゃん、早く起きてらっしゃい」

 ママが呼ぶ声がする。三度目で若干イライラしている感じだ。わたしは重い体を持ち上げて、寝室から出た。

「ママー、おなかいたぁい」

「はいはい。今日半日行ったら、夏休みでしょ?頑張っておいで」

 ママはこちらをチラリとも見ずに言う。

「ホントにおなかいたいのに……」

 ウソだけど。言ってたらホントにおなか痛くなってくるかなとも思ったけど、そうはならなかった。

 中受に不利になるから六年生の二学期までは毎日少しでも学校に行こうね。一年生の時からの、ママとパパとの約束だ。

 わたしはしぶしぶ目玉焼きとトースト、野菜スープを食べ始める。

「終業式だから、かわいくしてあげるね」

 ママがパンを食べてるわたしの髪の毛を三つ編みにしてくれる。この時間は好き。朝って感じがする。

「ママ、今日、夜、レストラン行きたい」

「はいはい、通知表がよかったらね」

 そうは言うけど、大してよくなくたって、毎回終業式の日は、パパとママはレストランに連れてってくれるのを、わたしは知っている。

 少しだけ心が明るくなった。


 曇り空の下を歩く。じめっとした空気がコンクリートの地面から立ち上って来て、憂鬱な気分になる。

 昨日はイヤな感じだったなあ。

 学級会とか言って、なんか、福田くんとか佐々木さんとか沢口くんとかがケンカしたのだ。

「ディベートはケンカとは違うよ」

 そうパパは言うけど、わたしから見たらおんなじだ。

 みんな、早口でどんどん声が大きくなる。わたしはドキドキして、逃げたくなってしまう。ああいう空気、苦手。

 しかも話題がオバケとか呪いとか死とか、最悪。

 なんでもいいから早く学校が終わってほしい。

「あ、陽奈はるなちゃーん」

 前を歩く栗原陽奈はるなちゃんを見つけて、わたしは声をかけた。

結芽ゆめちゃん、おはよう」

 陽奈はるなちゃんは振り返って笑った。

 

「きのうは大変だったねぇ」

 わたしが言うと、陽奈はるなちゃんはうなずいた。

「なんか広報委員の子たち、かわいそうじゃなかった?あんな、多数決で負けたみたいにされてさぁ」

 わたしはあの流れも不満だった。大体ディベートだか知らないけど、なんでもかんでもどっちが正しいとか結論を出したがるのはどうかと思う。どっちも正しいってことだってその逆だってあるでしょ?

「負けだとはわたしは感じなかったけど……」陽奈はるなちゃんは少し考えてから言った。「あの多数決はあまり意味なかったかもしれないね」

「あれは完全にいつきくんの暴走よね」

 わたしは言う。いつきくんも昨日はいつもと違ってピリピリしてたな。「心那ここなちゃんとか謙信けんしんくんとか泣いちゃってかわいそうじゃなかった?正直、たかが学級新聞に何を言ってるんだろって思っちゃった」

「えー、結芽ゆめちゃん、意外と冷めてるね」陽奈はるなちゃんは笑った。「でもわたしもあの空気はいたたまれなかったな。佐々木さんたちがフォローしてあげてくれてるとは思うんだけど……」

「それに呪いとかなんとか、先生までノッてきちゃって、マジ?って思った。不謹慎かとかはわからないけどわたし、怖い話は無理。耳をふさぎたくなっちゃったよー。怖い話はよそでやってほしいよ」

結芽ゆめちゃんも?」わたしの言葉に、思いのほか陽奈はるなちゃんは食いついた。「そう、そうだよね、よかった、わたしだけじゃなかったんだ……」

陽奈はるなちゃんも、怖い話苦手なの?」

「うん」陽奈はるなちゃんは泣きそうな顔になる。

「あの……だから、ホントは、ホントはね……もう毎日毎日、学校を休みたくてしかたないの……ダメなんだけど……」

「わかるー!!」わたしは思わず陽奈はるなちゃんの両手をにぎる。「休みたいよね!?二人で……けど、中受があるもんね、ママたち許してくれないよねえ」

「そうだよね」陽奈はるなちゃんはうなずく。「昨日、お母さんに、明日休みたいって言ってみたけど……何言ってんの、って流されちゃった」

「うちも今朝言った!」わたしはうなずく。まぁわたしは、おなか痛いって言っただけだけど。あのママに休みたいって言う勇気はわたしにはなかったのだ。どうせ聞いてもらえないってわかってたし。

結芽ゆめちゃんも?」陽奈はるなちゃんは意外そうな顔をして、しばらく考えこんだ。「そうなんだ……意外とほかにも、同じように思ってる人はいるのかも……」

「きっとそうだよ、それこそ多数決とりたいよ」わたしはうなずく。きっと陽奈はるなちゃん、一人で悩んでたんだろうな。わたしなんかよりずっと。

「今日オバケが出たらどうしよう?わたしお守り持ってるけど、交通安全のだからきかないかなぁ」

 わたしは言う。言ったら余計怖くなってしまうとわかっていながら、言わずにはいられない。この不安を口に出さずにいられない。

 陽奈はるなちゃんは、うーんと考えて、

「でも、山中くんがどこかの霊媒師さん?霊能者さんかな?そういう人にメールしてみるって言ってたから、大丈夫だと思う」

と、優しく言ってくれた。こんな時でも、自分だって不安でいっぱいなんだろうに、わたしを安心させてくれようとしているのがわかって、わたしは少し感動する。

「へぇー、すご。でも、子どもの言うことなんて、信じてくれるかな?」

 そもそもメールなんてできるんだ。LINEじゃない…よね?

「わからないけど、やらないよりはいいかな、きっと」

 陽奈はるなちゃんは言う。

「そうだよね、きっとそうだよ」

 わたしはあわてて何度もうなずく。願いをこめながら。

「それに今日さえ終われば、夏休みだし」

「夏休みだね……」陽奈はるなちゃんは空をあおぐ。わたしもつられて空を見上げる。相変わらずの曇り空だ。

「すぐ塾の夏期講習が始まるけど、学校よりはだいぶマシだよ」

 わたしは元気づけたくてそんなことを言う。

「あとは兄弟の世話も」陽奈はるなちゃんはくすりと笑う。

陽奈はるなちゃん、兄弟多いんだっけ」

 一人っ子のわたしには想像つかないけど、大変なんだろうな。陽奈はるなちゃん、面倒見よさそうだし。

「うん。結芽ゆめちゃんは、夏休みの予定はある?」

「うちは、今年は旅行はおばあちゃん家くらいで、あとは夏期講習と家庭教師と――」わたしは憂鬱な気持ちで言う。「火祭ひまつりの準備だよう」

結芽ゆめちゃん、えらいね、火祭ひまつりの準備、親御さんたちと一緒にするんだ」

 陽奈はるなちゃんは、目を丸くする。

「うん……めんせ、」面接でいいネタになるからっていううちの親の意見をここで言うのはさすがにはばかられたので、わたしは言い直す。「えーと、強制だよ、強制。陽奈はるなちゃん家は、そういうのない?」

「うちは弟たちの世話が強制かな」

 陽奈はるなちゃんは、なんでもないことのように言う。

 それを聞くと、一人っ子のわたしは恵まれてるのかなぁ、と思う。受験時期に弟の世話とか、わたしだったらイライラしてしまいそうだ。

 

 火祭ひまつりが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。いつもの学校が松明たいまつに照らされて、別世界に来たようでワクワクする。それに、学級新聞にも書かれていたように、魔除けだって思うとなんだか心強い気分。今なら特に。

 憂鬱なのは、パパが会合だとかでお酒を飲んできたり、ママが会合とかで仕入れたうわさ話をしゃべりまくったり、二人ともなんだか浮かれて、わたしのことをあまり見てくれていないようなそんな感じになるからだ。

 お祭が悪いわけじゃない。


 学校が見えてくる。始業の十五分前だ。

 陽奈はるなちゃんが少し早足になる。わたしも、曇る気持ちを奮い立たせて、陽奈はるなちゃんの後を追う。

 怖い気持ちはまだある。行きたくない気持ちも消えてない。けれど。

 きっとわたしは大丈夫。多分今日は大丈夫。特に根拠はないけれど、そんな気がするの。

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