7月7日 田中さくらと田村莉子

 最近、莉子りこの元気がない。

 よく保健室で休むようになったし、授業中もボーッとしている。

 今日なんて当てられたけど、明らかに聞いていなかった感じだったから、あたしが横から教えてあげた。

 トモセンだったから優しく、大丈夫か?体調悪い?と聞いてくれて、保健室に行かせてくれたけど。

 去年のバヤシだったらきっと面倒なことになってたぞ。や、保健室には行かせてくれただろうけど。根掘り葉掘り聞かれてたぞきっと。

 

 莉子りこはときどき、こんな感じになるんだ。

 そんなとき思う。莉子りこっていつも落ち着いて笑ってるけど、結構神経使って生きてるんじゃないかなって。

 なにしろ家庭がちょっと複雑なのだ。

 去年、莉子りこのママが再婚して、莉子りこの苗字が立川から田村に変わった。新しいお父さんはちょっと太ってるけど、優しそうなおじさんだ。そう見える。近所の集まりとかにもよく参加してるし、あたしたち子どもにも優しいし、あたしが遊びにきた時のために、お菓子を用意してくれてるし。

 でも、意外と厳しいというか、父親ムーブをかましたいとこもあるみたい。いろいろ、莉子りこのためって言って、家の決まりを決めたらしい。とりま、LINEが夜の八時までって決まりになって、夜の九時には寝るってことになったらしい。前まで十一時近くまでLINEしたりしてた莉子りこにはキツかったと思う。あたしもはじめは引いた。でもまあ、慣れたな。あとは、出されたものは残さず食べる、とかかな。

 去年ちょっと引いたのは、家族旅行で家族風呂を予約されて一緒に入ろうって言われたって聞いた時。莉子りこがいやそうな顔をしたら、「家族なんだからいいだろう」って言われたらしい。いや、きょうび家族だって父親と娘一緒に入らんわ。入ってる子もいるよたしかに。でも入ってない子も多い年頃よ。ましてやあんた、こないだまで他人だったやんけ。

 まあでも、盛り上がっちゃってるだけで、よく話せばわかってくれるっぽいんだよね。その時もあたしが莉子りこパパがいる日曜日に遊びに行って、その話題を莉子りこ「あたしもパパのこと大好きだけど、五年生んなったから一緒にお風呂入るのはやめたよー」「好きなのと恥じらいは別だよねー」「娘の気持ちをソンチョーしてくれるパパだからこそ、好きなんだよねー」っておっきな声で話したら、莉子りこママからも言ってくれたみたいで、一緒に入らなくてすんだみたい。

 ま、いきなり年頃の女の子の父親になって、距離をちぢめたい気持ちはわかるけどさ、基本人との距離が近いタイプっぽいから、莉子りこは大変かもなー。

 莉子りこってそもそも人見知りだし。

 あと多分、莉子りこママに気をつかってるんだよね。莉子りこママは莉子りこパパのこと大好きでさ。前の父親だった人は、莉子りこが三歳の時に離婚したらしくて、莉子りこはあんまり覚えてないらしいけど、莉子りこママがダメだって言ったのに赤ちゃんの莉子りこにハチミツ食べさせたり、レバ刺し(昔はまだ禁止されてなかったんだけど赤ちゃんにはあげないよね普通)食べさせたり、あと保育園に迎えに行くのを忘れたり、お出かけ先で放置して莉子りこが階段から落ちたり、やばやば伝説を多く残していった人で、なんかお出かけ先の人には児相に通告されたりしたらしくて、莉子りこママもまあ莉子りこを守るために離婚した感じだったらしいんだよね。や、そりゃこんな人間、離婚して当然だろって思うけど。いちお離婚した後も時々会ってたらしいけど、外国の困ってる子どもたちのために身をささげる!って言ってアフリカのどこかに旅立ってからは音沙汰ないらしい。なんか、親として見なければそこまで悪い人ではなかったのかもしれないけど、そうとう変わった人だよなあ。

 その人に比べたら今の莉子りこパパはかなりまともだ。普通の仕事をして普通に近所付き合いをして、ちょっとから回ってるけど莉子りこと仲良くなろうとしてる。

 だから莉子りこママは新しい莉子りこパパが大好きだし、莉子りこもイヤだって強く言えないことがたくさんあるみたいなんだ。


 そのせいかわかんないけど、莉子りこは時々上の空になって、保健室にこもる。学校には休まず来るけど、家にいたくないだけって可能性もある。あとはあたしに会いたいとか?だったらうれしいけど。

 だからってのもあって保健委員になったんだ。保健委員になれば莉子りこを保健室に連れて行けるし、休み時間に保健室で寝てる莉子りこに会いに行けるし、学校終われば荷物持って行ってあげられるからね。や、ぶっちゃけ保健委員にならなくても、できることだけど。まあ気持ちの問題かな。

 莉子りこが時々「保健室占有せんゆうしちゃって悪いな……」とか言うので、今回からあたしは「保健委員が保健室にいるのは当たり前じゃん!」って言えるようになった。理屈としては通ってないなって自分でも思うよ。でも、莉子りこにはなにか言い訳が必要な気がするんだ。


 三時間目の休み時間、莉子りこを見に行ったら、小さい声で誰かと電話してるみたいだった。だからそっとドアを閉めた。

 給食を持ってって、一緒に食べよう。

 保健の安田やすだ先生も、今日はお休みだと聞いているし。

 今日の給食は莉子りこの好きなシチューだ。七夕ゼリーもついている。

 七夕祭り、莉子りこと行くの楽しみだな。


「ありがとうね、田中さん。田村さんちょっと心配だから、話聞いてあげてくれる?先生も、今度聞いてみようとは思うけど、先生には話しづらいことかもしれないから」

 トモセンは優しい表情かおであたしに言った。

 先生は莉子りこの家庭の事情を知ってるはずだから、なにか気づいてるのかもしれない。自分が大人の男だからと遠慮してるのかな。そういうとこがいいんだよね。バヤシとは違う。バヤシも悪いやつじゃなかったけど、おせっかいだったしな。

「うん、聞いとく。トモ――大友先生になら、莉子りこ、話してくれるかもよ」

 あたしはそう言って、給食のお盆を二つ持って、保健室に向かった。


 保健室のドアの前に立ち、耳をすます。

 ……うん、すごく静かだ。電話とかはしてなさそう。寝てるのかもしれない。

「……莉子りこ〜……」

 静かな声で呼びかけながら、片足をひっかけて扉をゆっくりスライドさせて開ける。

「給食持ってきたよ〜……」

 カーテンが閉まってる。ベッドに近づく。

「今日は莉子りこの好きなシチューだよ〜。ゼリーもあるよ〜」

 少し声のトーンを上げて、呼びかける。

 返事は、ない。

莉子りこ、寝てるん?」

 お盆を持ったまま、ひじでサーっとカーテンを開けた。

 そこには莉子りこ身体からだがあった。

 頭が――顔が、首から上が、なかった。

 ベッドと床が真っ赤に染まってて、ポタポタと垂れていた。血が。

 血?

 ――莉子りこ

 これ、莉子りこ

 すごい叫び声が聞こえる。それがあたしの口から出てることに、少ししてから気づいた。あたしはいつの間にか、床に尻もちをついてた。こぼれたシチューで手とお尻が濡れている。給食のお盆を落としていたことにも気づかなかった。自分の叫び声が遠くに聞こえる。止まらない。ゆっくり右手を伸ばす。ベッドから垂れ下がった手に触れる。莉子りこの手だ。ぴくりとも動かない莉子りこの手。

 その手の先の床に、血まみれになった紙が落ちている。ふるえる手で拾う。何かたくさん書いてある。莉子りこの字だ。

 誰かがバタバタと廊下を走ってくる音が遠くに聞こえた。

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