4月16日 竹内茉由は活躍する

「竹内さん、ちょっとこの後いいか?」

 一学期最初の委員会が終わった後、同じ体育委員の瀬尾朔翔さくとさんに呼び止められた。

「ん?うん……」

 特に用もなかったわたしはうなずいた。瀬尾さんは校舎二階の西の端っこの、六年二組の教室へと大股で歩いていく。風を切って、という表現がふさわしい、がっしりと大きい肩が左右に動いている。わたしは小走りに後を追う。わたしも歩くのが早い方だが、それでも瀬尾さんには追いつかない。どうやら瀬尾さんは何かにいら立っているらしい。その「何か」には心当たりがあったので、そして個人的には正直、少し期待と下心もあったので、わたしは素直に後を追い、教室に入った。

「あ、サク。お疲れ」

 やっぱり。わたしの心臓がドキンと高鳴った。教室の南寄り、逆光に照らされ半分陰になって塚本さん――塚本いつきくんがいた。

「おー、サク。竹内さん連れてきてくれたんだ」

 となりには福田蓮音れおんさん。そして丸山みどりさん。その他、あの場にはいなかった、福田蓮音れおんさんと同じ給食委員の小林琉維るいさんと木村大和やまとさんがいる。

 ちょっと緊張する。普段はあまり話さないメンバーだ。仲良くないわけではないが、なんとなく接点がないのだ。

「あの……」

 わたしが何か言うより早く、

「竹内さん昨日はまじでありがとっした!!」

 福田蓮音れおんさんがコメツキバッタみたいにぴょんと飛び上がって90度のおじぎをしてきた。

「え、なに、レオンまたなんかやらかしたの」

 ニヤニヤしながら小林琉維るいさんがからかうように言う。

「あ、そうじゃなくて。ていうかやめて、わたし全然何もしてないから」

 わたしは慌てて言うが、塚本くんまでが、

「いやいや、謙遜しないで竹内さん。オレたち本当に感謝してるんだ」

こちらの目をまっすぐに見て言うものだから、わたしはドキドキして何も言えなくなってしまう。

 こんなことになるとは思わなかった。わたしは本当に何もしてないのだ。


 あれは昨日の昼休みだった。わたしは西階段を登り教室に向かっていた。階段を登り切ったところで、西端のあずま学級――高学年用の支援学級だ――に向かう角の方から、なにやらヒソヒソと複数人の声がした。普段なら気にも留めないのだが、その声の中に塚本くんの声が聞こえたような気がして、わたしはそっとそちらへ近づいた。

「秋本くんの言いたいことはわかったよ」やはり塚本くんの声だ。「でも……」

「でも、って何?」かぶせるように秋本かえでさんの声がした。「言い訳の余地なんかないと思うけど」

 ずいぶん攻撃的な言い方だ。まあよくあることだけど。わたしはそっと、壁の角から覗く。秋本かえでさんのぽっちゃり丸みを帯びた後ろ姿と、向き合うようにいつも通り、でも少し表情が硬い塚本くん。隣には、いつもの笑顔が嘘のように白けた感じに無表情の丸山みどりさん。困ったように半笑いで、秋本楓さんと塚本くんをチラチラ見比べている福田蓮音れおんさん。彼らの後ろに大きな体で仁王立ちに腕を組み、見下ろすように秋本かえでさんを睨みつけている瀬尾朔翔さくとさん。

 なんか、微妙な雰囲気だ。ケンカでもしているのだろうか。塚本くんにしては珍しいけど……

「言い訳、ではなくて、オレはただね、」

 あくまで穏やかな声色を変えずに塚本くんは秋本かえでさんに話しかける。「その、生徒だけでカラオケに行ってはいけないなんて決まり、あったっけかなあって思って」

「ないだろ」瀬尾さんが低い声で言う。「聞いたこともねえ。今まで何も言われたことねえし、今更」

「それはみんなが先生の話を真面目に聞いてないからでしょ」

 早口で秋本かえでさん。瀬尾さんに物怖じするそぶりもない。

「は?」

 瀬尾さんの顔がさらに険しくなる。丸山さんが舌打ちする。秋本かえでさんは構わず続ける。

「四年生の時の夏休みの前に、教頭先生が言っていたんだ。子ども同士でカラオケやショッピングモールに行くのは駄目だって」

 わたしの脳裏に、前の教頭先生の、禿げ上がった頭と、表情に乏しい痩せた顔が思い出される。――ですからね、今年は、子ども同士でのカラオケや――

「なにそれ、いつの話よ」

 ハッと鼻を鳴らす丸山さんに、「だから、四年生の時の夏休み前だよ」と秋本かえでさんは律儀に返す。そう言うことを言いたいんじゃねーよ、と丸山さんは乱暴に吐き捨てる。かわいい子だけど怒らせるとなかなか怖いタイプみたいだ。

「そうじゃなくて、なんで前の教頭の話が出てくんの」

 丸山さんの言うことももっともだ。

「教頭先生が変わったって、学校の決まりは変わらないよ」

 秋本かえでさんの言うことも間違ってはいない。

「だからって……オレらじゃあ、どうすればいいっての?」

 困ったように福田蓮音れおんさんが呟く。ひとりごとのようなぼやきだったが、秋本かえでさんは聞き逃さなかった。

「どうすればいいって?そんなのは自分たちで考えるべきことじゃないの?まあでも、みんなの前で謝って、反省文を書くかな、自分なら。恥ずかしくてそうでもしないといたたまれないね」

 たしかに秋本かえでさんならそうするだろう、とわたしは思う。誰も頼んでいなくても。

 そしてどうやら、ここにいる四人のメンバーで子どもだけでカラオケに行ったことを秋本かえでさんに糾弾されているらしいということが、わたしにもわかってきた。

「反省文……」

 福田蓮音れおんさんが絶望に満ちた表情になる。彼は作文が苦手だ。句点や読点、改行を駆使くししてなんとか文字数をかせぐ方法について、よく塚本くんに相談している。相談というか、笑いながら自虐的じぎゃくてきに騒いで、それに塚本くんが同調しつつさりげなくアドバイスをあげる感じだ。普段から仲が良く習い事も一緒らしいから、きっと一緒に勉強することもあるのだろう。

 こう書くとまるでわたしがストーカーみたいだが、福田蓮音れおんさんがこういったことを始終教室で大きな声で話しているだけだったりする。まあ、たしかに、塚本くんが絡む話はわたしもつい聞き耳を立ててしまうところはあるけれど。

「書きたいやつが書けばいい。オレは書かねえ。何も恥じることもねえ」

 瀬尾さんは動じない。彼はガタイもよく声も大きいので、威厳がある。威厳というより、威圧感か。わたしは自分も体が大きく怖がられやすいタイプであることもあって全然瀬尾さんを怖いとは思わないけれど、怖がっている女子も多いようだ。

「そう、それこそが恥ずべきことだね」

 よせばいいのにあおる秋本かえでさん。いや、彼は煽っている自覚はないのかもしれないが。

「んだと――」

「まあまあ、秋本くんの考えはよくわかったよ」

 一歩踏み出した瀬尾さんを塚本くんが止め、秋本さんに笑顔を向ける。

「あとは僕たちも先生のお叱りを待つことにするよ。先生がルール違反だと言うなら、先生の言う通りにする。それで反省の意を示すよ」

 これで丸くおさまるか――と思いきや。

「先生ね……大友先生は甘いからなあ」

 秋本かえでさんは更に話を続けようとする。さすがの塚本くんの顔からも笑みが消える。それでも口調は明るいままで、

「それってどういう意味?大友先生は、いい先生だと思うけど」

「いい先生って、生徒に甘いのがいいってこと?生徒が髪を染めてたって(丸山さんの肩がピクッと動いた)、スマホを持ってきたって、教科書を忘れたって遅刻したって、ニコニコ見逃して保身のために揉め事を避けて、それがいい先生だと塚本さんは思うわけだ」

 早口で少し声を上ずらせる秋本かえでさん。この人そんなことを思っていたのかとわたしは驚く。

「そんな言い方――」

 塚本くんの頬にさっと赤みがさす。

 見ていられない。わたしは思わず大きな声を出した。

「教頭先生の話って、コロナの時のでしょう?」

 みんながぱっとこちらを振り向く。わたしを見て少し緊張した表情になる。こういう反応には慣れている。わたしは続ける。

「あの年はコロナが五類になって、色々社会状況が変わった。一気にたくさんの人が自由に動くようになって、マスクもつけなくなった。一気にコロナも流行った。季節外れのインフルエンザまで流行って、夏休み前には学級閉鎖も出てた。だから教頭先生は、釘を刺すように言っていたわよね、久しぶりに制約の少ない夏休みだからって、コロナが減ったわけじゃない。油断しないで、密室となるカラオケや、人が集まるショッピングモールには、子どもだけの集団で行かないようにって」

「……ああ」

 塚本くんが思い出したように目を丸くしてうなずく。

 秋本かえでさんは、鬼の首を取ったかのように

「ほら、竹内さんも言ってる。教頭先生が」

「でも」

 わたしは秋本かえでさんに話す暇を与えないように畳みかける。こういうのはペースに乗せられたら負けだ。

「その年の冬には、子ども同士で遊ぶ人は気をつけてっていう言い方になってた。特に夜には子ども同士でカラオケなどに行くなって――の話よ」

 秋本さんは口をつぐむ。

「それ以降は、どの先生からも、昼間の遊び先については何も言われてない、と思う。夜のことは毎回言われるけど。たしかに昼間子ども同士でカラオケに行っていいとも言われてはいないから、確認する必要はあると思うけど、秋本さんがここで決めることじゃない。大友先生に確認すればいい。はっきり決まってないのなら、職員会議にかけてもらったっていいわ」

 秋本かえでさんの色白の頬が紅潮する。

 少し攻撃的な言い方になってしまっただろうか。でもお互い様だ。とにかく生徒だけでのカラオケが悪かろうが良かろうが、たいしてその前後の話も覚えてないような子供あきもとさんに罰則を決められる筋合いはない。それだけはっきりすればいい。

「……じゃあ大友先生に決めてもらえば。大友先生がわからなければ僕が校長先生に聞いてやる。どいつもこいつも、なんでも人に決められないと自分じゃ判断できないんだな」

 秋本かえでさんは真っ赤な顔で、吐き捨てるように言って背中を向け、どかどかと大股で教室に向かって行った。

「……自分じゃ判断できないって、"学校"の決まりだって自分で言ってるのに」

 少し呆れの混じった声で塚本くんがつぶやき、わたしの方を見て、

「竹内さん、あり――」

 そこで予鈴が鳴った。わたしは急に無関係な自分がしゃしゃり出て啖呵たんかを切ったことが恥ずかしくなり、「あ、次理科室だよね、急いだ方がいいわ」とかなんとか言ってその場を走り去ったのだった。


「ひぇー、そんなん、かーっこよすぎるだろ!」

 塚本くんから話を聞いた小林琉維るいさんがおおげさに驚いてみせる。

 わたしはだいぶ恥ずかしい。

「そうなの〜、かっこよかったぁ〜」

 丸山さんがキラキラの笑顔を向けてくる。このわたしが、彼女に直接笑顔を向けてもらったのは初めてじゃないだろうか。まぶしい。ほんとかわいいなこの子。チャラいと思ってたけど、こんなにかわいけりゃ、髪も多少染めたくもなるだろうな。

「そ、そんなことない。たまたまコロナで大変だったなって、記憶に残ってて。わたしあの年、生活委員だったから、マスクをしろとかしなくていいとか、ルールが急に変わって混乱したから印象に残ってるだけ」

 これは本当だ。ゴールデンウィークが明けた頃突然、それまでマスクをしない人は非国民くらいの扱いだったのに、マスクをしなくていいよとなったのだ。これまで大人の言う通りにマスクをしろしろと言ってきたわたしたち生活委員の立つ背がない。まあだからと言ってさすがにわたしたちが誰かに直接敵意を向けられることはなかったものの、当時は大人の身勝手さにちょっと腹が立ったりもした。だからなんだか嫌になって、後期は生活委員にならずに放送委員になったりした。でも、

「いやいや、オレも言われて思い出したけど、覚えててもあの場で竹内さんみたいに理論的に話せはしないと思うよ」

 塚本くんが真顔で言う。余計に顔が熱くなる。

「そうだよなー、覚えてるのと話せるのとは別だよな」

 うんうんとうなずく木村大和やまとさんに

「お前は覚えてなかっただろ」

瀬尾さんがツッコミを入れる。「ま、でも竹内さんはな、体育委員でも委員長になったしな、しっかりしてるんだ」

「なんでお前がえらそうなんだよサク」塚本くんが笑う。

「そ、そんなことより」わたしは慌てて口を挟む。こういうのはどうも落ち着かない。「大友先生はなんて言ってたの?」

「あー、学年主任に確認したけど、学校としてそういうルールは明示してない、だから大丈夫、だって!」

 塚本くんの言葉に拍子抜けする。そんなことだろうとは思ったが、思った以上にあっさりした解決だった。塚本くんも「はじめから大友先生に任せとけばよかっただけなのになー」と笑っている。

「いやでも本当、反省文とか言われなくて良かったよ……」福田蓮音れおんさんはまだ言っている。

「反省文って、やばいよな。頭おかしい。バヤシでもよほどでなきゃやらなかっただろ」小林琉維るいさんが言う。たしかにそうだ、去年の担任の大林先生はたしかに厳しかったけれど、反省文を書かされたという話は一、二回しか聞いたことがない。結局これも、秋本かえでさんが勝手に言っていただけか。

「……秋本、ほんっと、うざいよね」

 スッと丸山さんから笑顔が消える。

「ああ、今度という今度は許せねえ」

 瀬尾さんの低い声。

「五年の時にもこんなことあったよね」

 半笑いの福田蓮音れおんさん。

「チクリ魔、空気読めない魔、自分のことは棚上げ魔」

 からかうようにリズミカルに言葉を紡ぐ小林琉維るいさん。

「ちょっと誰かが一度、こらしめた方がいいよ」丸山さん。

「ああいうヤツは一度、痛い目見ないとわからないんだ」と瀬尾さん。

 なんだかきな臭い空気になってきた。

 けれど痛い目見ないとわからないだろうというのには同意だ。なにしろこの六年間変わってこなかった人間だ。ちょっとやそっとのことで考えが変わるとは思えない。きっとまた、同じようなことをやるだろう。自分本意の正義感で、暴走してまわりを巻き込んで、いいことをした気分に酔って。

 それはわたしが最も嫌うタイプの人間だった。

 そして――

「うーん……みんなが嫌な気持ちになるのはよくわかるよ。ごめんね、オレが言い出したことで……」

 塚本くんが困っている。こんないい人を、わたしが密かに好いている人を、自己満足に巻き込んで悪者扱いしようとしたことが、もう、わたし的には許せなかった。だから、

「塚本さんは何も悪くない。当たり前のことをしただけ。みんなも」

 わたしははっきりと言った。ましてや校則違反でさえなかったのだ、ここははっきりさせとかなければいけない。

「そうだよ、そうだよ!」

「竹内さんが言うと説得力が違うな!」

 みんながわっと盛り上がる。わたしは冷静に続ける。

「瀬尾さんが言うこと、一理あると思う。言ってもわからない相手にははっきり態度で示してあげることも必要だと思う。ただ、痛い目って言っても、またこっちが悪者にされちゃかなわない。やるならうまくやらないと」

わたしは言った。みんなの目がわたしを見て、期待にきらりと光った。塚本くんも、わたしの意見に異論はないようだった。

 

 この日を境に、わたしは彼らに"たけうっち"と呼ばれるようになった。

 それは学校で、公の場で男子も女子もさん付けで呼んでいる世代として、少なくともわたしにとっては画期的なことだった。わたしも自然に、彼らをくん付けで呼び、丸山さんをスイちゃんと呼ぶようになった。仲間と認められたようでうれしかった。塚本くんへの下心抜きにしても、単純にうれしかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る