第58話:盤上の駒、深淵の嘲笑

その惑星には、昼と夜の概念が存在しなかった。


二つの暗い太陽が地平線の両端に常駐し、空を永遠の黄昏色たそがれいろに染め上げている。大地は、ガラス質化した黒い砂で覆われ、そこから生える植物は、水晶のように透き通った葉を持ち、自ら青白い燐光りんこうを放っていた。重力が通常よりもわずかに強く、空気に混じる未知の魔力粒子が、肌をぴりぴりと刺す。生命にとっては過酷な、しかし、ある種の者にとっては、これ以上なく心地よい世界。


その星の中心、天を突く巨大な黒曜石の塔の、最上階。


壁も、床も、天井も、全てが継ぎ目のない一枚岩で形成された、広大すぎる玉座の間。そこに、ゼノンは静かに膝をついていた。


彼の視線の先、玉座ぎょくざに座す影があった。


人型であること以外、その姿を判別することはできない。影は、周囲の光さえも飲み込むほどの、絶対的な闇でできていた。だが、その存在感は、宇宙そのものよりも重く、そして深遠しんえんだった。


彼こそが、『深淵』の頂点に君臨する、真の支配者。


ゼノンが、ただ一人、「マスター」と呼ぶ存在。


「――マスター。ご報告、いたします」


ゼノンの声は、静寂に満ちた玉座の間に、吸い込まれるように響いた。


「カイヴァー・ドレークが、討たれました。遺失された鋼鉄の聖域にて、新たに出現した「勇者」とその仲間たちの手によって」


報告の内容は、組織の最高幹部の一人の死。


だが、ゼノンの声に、悲嘆ひたんや動揺の色は一切なかった。ただ、淡々と、事実を述べるだけ。


玉座の影は、微動だにしない。やがて、その影の中心から、男とも女とも、老若ともつかない、重層的な声が、静かに紡がれた。


『……そうか。あの男も、ようやく、その傲慢すぎる魂に、相応しい結末を与えられたか』


その声には、何の感情も乗っていなかった。まるで、チェスの駒が一つ、盤上から取り除かれたのを、確認しただけ、といった風情だ。


ゼノンは、顔を上げずに、報告を続ける。


「は。彼の聖域への襲撃は、我々の想定の通り、聖域の管理AI「ライブラ」と、勇者一行の注意を、完全に引きつけることに成功いたしました。カイヴァー・ドレーク……彼は、最後の最後まで、最高の「囮」としての役目を、見事に果たしてくれました」


そう。全ては、計画通り。


カイヴァー・ドレークという、強大すぎる力と、肥大化したエゴを持つ男。彼を『深淵』の表向きのリーダーとして担ぎ上げ、聖域へとけしかける。それは、この日のために、何年も前から仕組まれていた、壮大な陽動ようどう計画だったのだ。


ゼノンは、その口元に、かすかな笑みを浮かべた。


「勇者たちが、カイヴァー・ドレークという名の「嵐」に気を取られている、まさにその間。我々の別動隊が、目的の座標へと、到達。何者にも妨げられることなく、作戦を完了いたしました」


ゼノンが、そっと手をかざすと、彼の前に、一つの兵器のホログラムが投影された。


それは、全長が戦艦に匹敵するほどの、巨大な大砲だった。その長大な砲身には、宇宙に満ちる「星のささやき」を超高密度に凝縮するためのものであろう、無数の魔導回路が、まるで神経網のように青白い光を放っている。惑星さえも一撃で破壊するというその砲口は、全てを無に還す虚無きょむのように、ただ静かに闇を湛えていた。


「銀河の反対側、忘れられた第七神殿『静寂の墓所』にて、禁断の古代兵器『星喰らい』が、その制御ユニットと、無事、再接続を果たしました」


ゴーストシップでユウトたちが遭遇したパーツは、あくまで『星喰らい』を起動させるための、数ある部品の一つに過ぎなかった。だが、これこそが、その全ての機能を統括する、心臓部。


カイヴァー・ドレークが命を懸けて戦っている間に、『深淵』は、その真の目的を、達成していたのだ。


『……よくやった、ゼノン』


マスターの影が、初めて、わずかに、満足したかのように、揺らめいた。


『カイヴァー・ドレークの死によって、宇宙連邦も、そして、あの忌々しい聖域も、一時的な勝利に酔いしれるだろう。だが、それも、束の間の夢。彼らが、真の絶望を知る日は、近い』


影は、ゆっくりと、玉座から立ち上がる。


その背後に、宇宙の星図が、ホログラムとして広げられた。


無数の星々が輝く、美しい銀河。


だが、マスターの指先が、その星図に触れると、美しい星々は、次々と、その光を失い、黒く、塗りつぶされていく。


『新たなる勇者の誕生は、計算外だったが……それもまた、一興。盤上の駒は、多い方が、楽しめるというものだ』


その声は、まるで、神々の嘲笑のように、どこまでも、冷たく、そして、残酷に、響き渡っていた。


「は。全ては、マスターの仰せのままに」


ゼノンは、深々と、頭を垂れた。


彼の脳裏には、あの黒髪の、小賢しい指揮官の顔が、浮かんでいた。


「(ユウト、と言いましたか……。貴方との再戦を、心より、楽しみにしておりますよ)」


ユウトたちが掴んだ勝利が、実は、より大きな敗北への序曲に過ぎなかったことを、彼らはまだ、知らない。


宇宙の深淵で、真の悪意は、静かに、そして、着実に、その牙を研いでいた。

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